博士と研究
それは全てのタイミングが悪かった。と断言しても良いだろう。
病状が安定せず、気が立っていた私と、論文作成に忙しく、疲労困ぱいしていた博士。普段ならどちらも気を付けることができたはずだ。しかし、その日はお互いに疲れていた。
「博士…私の、いかり饅頭…食べました?」
「え?あのテーブルに並べてあったやつかい?2つ貰ったけど」
「……食べたんですね……」
「いや!だってあんなにあったんだぜ!?」
「だからって断りも入れず食べることないじゃないですか!!」
そう。私が怒っている理由は、食べられたいかり饅頭にある。今日は朝から体調が悪く、食欲がなかった私は以前購入しておいたいかり饅頭を食べようと思い、リビングのテーブルに置いていたのだ。
それをいつの間にか博士が食べてしまったというわけである。
「なんで、なんで勝手にたべたんですかぁっ!」
普段なら絶対こんなことじゃ怒らないのだが、この日ばかりは感情を抑えることができなかった。涙目になりながら博士に訴えかける。
「うっ…で、でもたかがお菓子だろう?そんなに必死にならなくても……」「たかがお菓子ぃ!?」
確かに大好物ではあるが、そういう問題ではない。そもそも食べ物には人の思い出とか、感情とかが詰まっているのだ。それを勝手に食べられるなんてたまったもんじゃない。
それに、これはただのお饅頭じゃない。
「これはカントー限定発売の幻の『いかりまんじゅう』なんですよ!!もう二度と買えないかもしれないのに……ひどい!!!」
「そ、そんなに大事なら名前でも書いておけばよかったじゃないか……」
普段の博士ならここまで食い下がってくることはないはずなのだが、この時の彼は本当に参っていたのだろう。しつこく反論してきた。
「どうして開き直るんですか!?素直に謝ったらどうです!?」
売り言葉に買い言葉でヒートアップしていく口論。普段はお互いを尊重し合うはずの私たちだが、この時ばかりはお互い意地になっていたと思う。
「もういいです!博士なんて知りませんっ!」
これ以上話しても無駄だと思った私は捨て台詞を残し、その場を後にした。
そして今に至るというわけだ。
「私、悪くないもん……っ……」
1人寂しくロフトへと戻ると、ベッドの上で膝を抱えて泣き出してしまう。後悔先に立たずとはまさにこのことだ。
「うぅ……ひっく……」
それからどれくらい経っただろうか。時計を見ると時刻は既に深夜1時を指しており、ずっと泣いていたからか気分が悪くなってきた。
「トイレ…行こ……」
フラつく足取りでハシゴを下ると、一階にあるトイレへと向かう。途中、洗面所の鏡で自分の顔を確認すると、目は真っ赤に腫れていてとても見れたものではなかった。
「酷い顔……」
こんなのでは博士にも笑われてしまう。
そもそも、いかり饅頭ごときで喧嘩をしてしまった自分が悪いのだけど……。
それでもやっぱり悪いのは博士だと思う。
「博士なんか嫌い……っ」
再び溢れてくる涙を抑えながら、私はトイレへと向かった。
何度かえずくような咳をしたせいか喉の奥が痛い。おまけに頭もガンガンするし、胸焼けのような気持ち悪さもある。朝よりむしろ悪化しているようだ。
「うー……きもちわるいよぉ……」
便器の前で項垂れていると、控えめにコンコンっとドアがノックされた。
「サナ?気分が優れないのか?」
心配そうなククイ先生の声が聞こえる。さっきのこともあって少し気まずかったけれど、流石に見放せないと思ってくれたらしい。優しいなぁ。
「あたまとおなかがいたくて、気持ち悪い……」
なんとか絞り出すように答えると、「入っても大丈夫か?」という言葉と共にガチャリと扉が開いた。
「はかせぇ……」
「お、おい!?どうしたんだ!?」
私の様子を見たククイ先生は慌てて駆け寄ってくると、私の背中をさすってくれた。
「ごめんなさい……たかがお菓子なんかでけんかしちゃって……」
「サナ……そんなこと気にしてたのか?」
「だって、博士のこと許せなかったんだもん……」
私がそう言うと、博士はクスッと笑って私の頭を撫でてくれた。
「僕こそすまなかった。君の大切ないかり饅頭を食べてしまったことは本当に申し訳ないと思っている。すぐに謝罪すべきだったのに、あの時は意固地になってしまって…」
「わたしの方こそ、わがまま言ってごめんなさい……」
「我儘じゃないさ、君が怒るのは当然だよ。本当にすまないことをした。」
博士はそう言いながら優しく微笑んでくれる。その表情を見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように身体から力が抜けていった。
「……っ!」
「おっと、危ないなぁ。」
倒れそうになったところを博士が抱き止めてくれる。本当は私がこうなることを分かっていたんだろう。博士はいつもそうだ。私の体調が少しでも良くないと、どんなに忙しくても絶対に側に居てくれる。
「はかせぇ……」
「うん?どうした?」
私を捉える瞳はどこまでも優しかった。
「さっきから、ずっと、きもちわるいの…っ」
言葉にすると余計に辛くなって、また涙が出てきた。お腹の辺りがぐるぐるして何とも言えない不快感が襲ってくる。
「それは大変だ。自分で吐けそうかな?無理なら手伝うけど……」
博士の指が口に添えられ、口を開けるよう促される。
「んー…」
唇に力を入れて拒否してみるものの、結局力及ばずこじ開けられてしまう。
「やだっ、やだぁ…!」
「我慢して」
必死に抵抗するも虚しく、博士の太い指が容赦なく侵入してくる。そのまま喉の奥まで届くと、舌の付け根を押してきた。
「ん"ん〜……んぅ……んぐぅ……」
「もう少しだからね……」
苦しさに顔を歪める私を見て、博士が呟いた。そして次の瞬間、胃の中から何かせり上がってくる感覚に襲われる。
「んぐぅ……!……げほっ……!」
「よし、上手にできたな!」
偉いぞ、と言って博士は再び頭を撫でてくれた。こんな汚いところ見られたのに、嫌な顔一つしないで褒めてくれるなんて、やっぱり博士は良い人だ。
「気持ち悪いのおさまったかい?」
「はい……ありがとうございます……」
私はゆっくりと立ち上がろうとするが、まだフラフラして上手く歩けない。
「ほら、掴まるといい」
博士が腕を広げて待っていてくれたので、遠慮なく肩を借りることにした。