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博士と研究


燦々と太陽の光が降り注ぐ大地、アローラ地方は今日も通常運転。それは私が通っているポケモンスクールでも相変わらずで、クラスの人達は暑さを各々の方法で凌ぎながら授業を受けていた。…主に私を除いて。
「……けほっ、こほっ」
リュックからカーディガンを取り出すとブラウスの上から羽織った。今日も気温は20度後半らしいけど生まれつき身体が弱いせいで体温調節機能が鈍っている私はどんなに気候が良くても長袖は欠かせない。
「こほっ…こほっ、こほ……」
静かな教室に私の咳だけが響く。出来るだけ目立たないように俯いていると、そんな私の様子を見て隣の席に座るクラスメイトのカキが声をかけてきた。
「おい、大丈夫か?」
「う、うん…大したことないよ。うるさくしてごめんね…あ、うつるような物じゃないから安心して!」
「知ってる、別に気にしちゃいない。それより無理すんなよ?お前は俺達と違って体が弱いんだからな」
幼い頃から咳をすると周りから虐げられてきた。近寄るな、病気がうつる…そう言われ続けた日々を思い出す度に涙が出そうになる。だから人に言われてしまう前に、心配される前に自分で予防線を張らなければ。そう思っていつからか咳をするたびに慌てて弁明する癖がついた。でも、ここでは誰も私を悪く言う人はいない。私がわざわざ言い訳がましく説明する必要は無いのだ。
「ありがとう…」
「おう、辛くなったら言えよ?保健室連れていってやるから」
「あはは…そこまで心配しなくても大丈夫だよ」
そう、この時は本当に大したことはないと思っていた。それが後々後で後悔することになってしまうのだが……
***
「……、ごほっ…」
お昼休みが終わって5時間目が始まろうとした時だった。いつものように咳をした途端に息苦しくなる。それと同時に体の内側から何かがこみ上げてくる感覚に襲われた。
これはまずい、と思った時にはもう遅かった。口元を押さえても間に合わずに吐瀉物が手の上に広がっていく。
「っ、ゔぉ……ぇ…っ」
どうしよう、どうしよう…!私、教室で…皆の前で戻しちゃってる…!
「サナ!?」
ククイ博士が急いで駆け寄って背中を擦ってくれるけど、それすらも刺激になってしまって逆効果だ。
「うっ……げほ、はぁ、はぁ……ッ!」
「気持ち悪いのか?まだ出そう?」
首を横に振ると少しだけ楽になった気がした。だけど胃の中のものを少量吐き出してもなお胸のムカつきや息苦しさが取れなくて苦しいことに変わりはない。
幸い、担任であり、私の主治医でもある彼がテキパキと対処してくれたお陰で教室への被害は最小限に抑えられたけれど、それでもクラスメイト達には不快な思いをさせてしまっただろう。
「とりあえず保健室に行こう。みんな!悪いが今から自習だ!俺がいない間しっかり勉強しておくように!」
ククイ博士の声掛けにより、教室の中はザワザワし始めた。でもそんな声もすぐに聞こえなくなるくらい頭がボーッとしていて、気付いたらククイ博士に支えられて保健室に辿り着いていた。
「横になる?いや、座ったままの方が楽か?どうして欲しい?」
「横に……なりたいです……」
「分かった、じゃあ俺の肩に手を置いてゆっくり深呼吸してみようか」
言われた通りにゆっくりと深く呼吸を繰り返す。次第に落ち着いてきたところで私はベッドの上で寝転んでいた。
「博士…私なら、大丈夫なので授業に、戻って下さい……」
「馬鹿言うんじゃない、今はそんなことより自分の体調のことを優先しなさい」
「でも……」
「サナ、俺は君の先生であると同時に家族なんだぞ?君のことを一番大事にして何が悪いんだい?」
彼の言葉に胸の奥が熱くなるような気がした。今まで誰もそんなことを言ってくれる人はいなかったからだ。
「でも、私が倒れる度に授業を空けていたら皆に迷惑をかけてしまいます……。だから私は大丈夫ですよ……」
「そんなことを言ったのは誰だい?少なくともここにいる人間は皆サナの味方だぜ?」
力強い言葉と共にふわりと優しく抱きしめられる。まるで神様みたいだと錯覚してしまうほど暖かい腕の中で私は自然と涙を流した。
「おっと、泣いたら苦しいだろう?ゆっくり息をして落ち着くんだ」
背中をさすってくれる手が心地よくて安心感に包まれていく。しばらくして落ち着いた頃にククイ博士はおもむろに口を開いた。
「サナ、もしよかったらだがスクールには通わずに研究所で療養するっていう選択もあるんだが……どうしたい?」
「えっ……」
せっかくの提案だが、それじゃあここに来た意味がないのだ。カントーでは入院してばかりで学校に行くこともままならなかったが、ここでなら普通の人のように過ごせるかもしれないと期待している部分もあったから。
「あの……せっかくなんですけど…学校で勉強することに意味があって……だって、ずっと…夢だったから…っ、普通の生活を送ってみたくて……」
必死に訴えかける私をククイ博士はまるで全てを理解してくれているかのように力強く抱き締めてくれた。
「そうか……そうだな、やっと病室から出られたんだし、普通の生活に憧れるよなぁ……うん、うん。よし、大丈夫だ。全部分かってるからな」
それからしばらく気分が落ち着くまで博士は側にいてくれた。でも、次の授業もあるし、ずっとこのままというわけにもいかない。
「サナ、このまま保健室で休んでいても辛いだろ?午後の授業は早退しよう」
「えっ……?」
「こんな状態の君を教室に戻すなんて危険すぎる。それに俺も一緒に帰るからな」
「そ、それはダメです!!これ以上迷惑をかけることはできま、せ…」
思わず声を張り上げると再び吐き気が襲ってきた。慌てて口を押える私を見て、彼はまた背中をさすりながら宥めてくれる。
「ああ…ほら、無茶するなって言った側から……我慢しなくていい、戻しそうならここに出すんだ」
博士が差し出してくれたゴミ箱を抱えて中身を全て吐き出す。ひどい眩暈と頭痛に襲われて今、自分がどんな体勢か、どんな表情をしているのかもわからなくなっていく。ただ一つわかるのは、ククイ博士の温もりだけ。
「げほっ…は、かせっ…みな、いでっ……」
これ以上彼に醜い姿を見せたくない。その一心で絞り出した言葉は虚しく消えていった。
「大丈夫だ、何も心配しなくていい。楽になるまでこうしていてやるから」
背中に回された手に力が込められる。その行為が私にとっては何よりも嬉しかった。
***
「んん……」
あれからどのくらい時間が経っただろうか。気が付けば見慣れた研究所に戻っていた。
服もパジャマに着替えさせられていて、横を見るとククイ博士が私の手を握ったまま眠っている。
また、博士に迷惑をかけてしまった…申し訳なさに苛まれながらも、私の為にここまでしてくれることがたまらなく嬉しいと思ってしまう。
「ありがとうございます……博士」
お礼の言葉と共に頬に触れるだけのキスをした。その途端ピクリと瞼が動き、眠っていたはずの彼が目を開く。
「あ、ごめんなさい……起こしてしまいましたね」
「んー……いや、大丈夫だ。それより体調はどうだ?あの後気を失ってしまったから心配したよ」
「すみません…楽になりました」
「なら良かった。おそらく一気に戻したことで血圧が急激に下がったんだろう。ただの貧血だと思うが一応検査しておこう」
その後すぐに血液採取と簡単な診察を受けた。結果はやはり軽い貧血だったらしい。
「今日はこれぐらいにしておこうか。明日は大事をとって学校は休もうな。」
「はい……ありがとうございました」
「あ、それと……さっきのは、どういう意味でしたんだ?」
「えっ!?」
先程の行為を指摘され顔が熱くなる。まさか起きているとは思わなかったのだ。
「い、いえ……深い意味はないんですよ!?本当に!感謝の気持ちを伝えたかっただけで……っ、」
言い終わる前に唇が塞がれた。触れるだけの優しい口づけだったが、今の私には十分過ぎる刺激だ。
「は、博士……?」
「お返しだ。ま、寝込みを襲うのは反則だが……可愛すぎてどうにかなりそうだったぞ?」
サングラスの奥にある瞳が妖艶に光る。その視線に射抜かれると息が浅くなっていった。その様子を見て博士は満足そうに微笑む。
「ふふ、じゃあお休み。ちゃんと休むんだぞ?」
「はい……お休みなさい……」
「あと、俺は別に怒ってないからな?むしろ役得って感じだ」
「……っ!?」
それだけを言い残して彼は部屋から出て行った。残された私は羞恥に耐え切れず枕に顔を押し付けて悶絶する。
「うぅ〜……もうっ、博士ったら!!」
彼の本気か冗談かもわからない発言に振り回されながらも、不思議と嫌じゃないと思う自分に気づいて戸惑っているうちにいつの間にか眠りについていた。博士のような人が私なんかを好きになるはずがない。だけど、それでも……心のどこかで期待している自分がいることに、まだ気付かないフリをしていた。
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