我慢
「ひゅー…ゲホッ、ごほっ…」
ベッドに横になっているのに全力疾走した後のような息苦しさに目が覚めた。
口を開くと乾いた咳が数回込み上げてくるも、一度出してしまえばそれだけで済むはずもなく、次から次へと咳が溢れ出してくる。
苦しい、辛い、気持ち悪い……そんな感情に支配された身体は思うように動いてくれないし、思考回路も鈍い。
それでもどうにか落ち着かせようと必死になって呼吸を整えようとするものの、なかなか上手くいかない。
「はぁっ、はぁ……ゴホゴホッ!んぅ……はぁ……」
リビングの電気がまだ消えていない所を見ると、きっとククイ博士はまだ研究作業をしているのだろう。
彼の邪魔にならないよう、口元に布団に当てて声を殺そうとしても気休めにしかならない。
「はっ……はぁ…、ゴホッごほっ」
むしろ音を立てないように呼吸を浅くすればするほど、身体の内側からの圧迫感が強くなっていく。
「ゴホっ……ッ!けほっ!」
(どうしよう、こんなに酷くなったらバレちゃうよ…)
そう思っていても咳は一向に治まらない。
喉の奥からは焼けるような痛みを感じるようになり、次第に涙まで滲んできた。
「はぁっ、げほ……っ!ゴホゴホ……ッ!!」
「サナ、咳が出るのか…?」
いつの間にか私の様子を見に来ていたらしいククイ博士の声が聞こえたかと思うと、梯子が軋む音がした。慌てて目元を拭ったけれど、すぐに彼に見つかってしまう。
「ごほッ……、だいじょ…ゲホッ、ぶ、だから…はかせは、戻って…ごほっゴホッ……」
「喋らなくていい、それに布団を口に当てるんじゃない。苦しいだろう?僕には気を使わなくても大丈夫だ」
「でも、うるさ…いし、ごほっ……、お仕事のじゃまにっ、……げほ、げほっ!」
「構わないさ、僕は君の看病をするためにいるんだからね。それより少し水を飲もうか。咳が出すぎて喉がカラカラになっちゃっただろう?ゆっくりでいいから少しずつ飲むんだ」
私の背中をさすりながら優しく言うククイ博士に促されてコップ一杯の水を舐めるようにちびちび飲む。本当は一気に流し込んでしまいたいが、そんなことをしたらまた激しく咳き込むことになってしまうから我慢。
しばらくすると咳も落ち着いてきて、ようやくまともに呼吸ができるようになってきた。
「よしよし、よく頑張ったな。今の内に薬を飲んでしまおう。これなら楽になれるはずだ」
「ん……。ありがとうございます……」
咳止めの薬を貰って水と一緒に飲み込む。これでしばらくは咳に悩まされずに済みそうだ。
「いいかい?僕は君の主治医なんだ…遠慮はしないでくれよ?今回はたまたま飲み物を取りに来たから気付いたものの…ああやって音を抑えられていたら気付けなかったかもしれない。君も苦しいのが続くのは嫌だろう?」
「はい……」
「それと、何かして欲しいことがあったら必ず言ってくれ。君はいつも我慢する節があるからな。体調が悪い時くらい甘えてくれてもいいんだよ」
「…………」
「まあ…僕は体調が悪くなくとも甘えて欲しいんだが…」
確かに最近はククイ博士に対して色々と遠慮していた気がする。一緒に住むことになってこんな風に言われてしまうなんて思いもしなかった。
「……我慢、しなくていいの…?私、煩いし…いつもカントーの病室でも、家でも我慢しなきゃって思ってて……お母さんにも迷惑かけて、お父さんも怒ってばっかりで……」
「だから我慢癖がついちゃったのか……。でも今は違うだろう?ここには僕しかいないんだから、素直になって良いんだよ」
「ほんとうに?」
「もちろんだとも!僕はいつだって本当のことしか言わないぜ?」
「うん……」
「さ、薬を飲んだからもう少し寝ると良い。今度はきっとぐっすり眠れるぞ」
ぽんぽんと頭を撫でられて、瞼の上に掌を当てられる。その温かさに安心したのか、すぐに眠気が襲ってきた。
(ああ、やっと眠くなってきた……。起きたらこの夢みたいな時間が終わってしまうんじゃないかと思うと怖いけど……)
眠りに落ちていく意識の中でふと思った。
(もしも次に目を覚ました時にもまだ夢の中なら、その時はわがままを言ってみようかな……?)そしてそのまま私は再び深い眠りについたのだった。
***
「すぅー……、すぅー……」
「……」
穏やかな寝息を立てるサナを見下ろしながらククイは安堵のため息を吐いた。どうやら先ほどまで苦しそうに咳をしていた彼女は無事に眠ることができたようだ。
「薄々感じていたが…親御さんはかなり君を邪険に扱っていたみたいだな……」
ククイはここ最近ずっと観察してきた少女のことを思い出しながら苦々しい表情を浮かべる。
これは推測だが、彼女を引き取る際、両親との会話を聞いていた限り、あまり彼女を大切に思っているような印象を受けなかった。それどころかむしろ厄介者扱いしているようにすら思える発言が多かったのだ。
「彼女はまだ幼い子供だというのに……どうしてそんな酷いことができるんだろうな……」
眠る少女の髪を優しく撫でながらククイは呟く。
「君の苦しみを、悲しみを少しでも和らげることが出来ればと願うよ。それが僕に出来る唯一のことだからね」ククイは眠っている少女の頬をそっと撫でる。すると無意識なのか少女は嬉しそうな笑みを見せた。