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夜凪

キィ…玄関のドアが小さな音を立てて軋む。
息を潜ませてククイ博士の足音が近付いて来ないことを確認すると靴も履かずに研究所を飛び出した。
「はぁっ、はぁっ……」
ドクドクと心臓が早鐘を打つ。
走るのは心臓に良くないから駄目だと前の先生が言っていたけど、もはやそんな事に気を取られる理由なんてなかった。
───どうせ、私の居場所なんて何処にもないんだから
自嘲気味に顔を歪める私を慰めるように生暖かい夜風が優しく頬を撫でる。空を見上げると厚い雲に覆われた灰色の曇天だった。
雨粒が落ちてくる気配はないけど、今にも泣き出しそうな暗い色をした分厚い雲。
まるで先のない自身の未来を表しているようで、思わず顔を腕で覆った。鼻がツンと痛くなったのはきっと潮の香りのせいだ。
次第に重くなる足を引き摺りながら辿り着いた場所は研究所近くの砂浜。繁華街離れの殆どプライベートビーチ化した砂浜は一人になりたい時に絶好の場所だった。
波打ち際まで歩み寄りしゃがみ込むと両手で砂を掴む。
指の間からサラサラとした感触と共に零れ落ちる砂を見て何とも言えない虚無感に襲われた。
───あぁ、そうか……私はこの砂浜と同じなんだ。
何も持たず、ただ流されるまま生きているだけの存在。
そして同時に思い知らされる。
私がどれだけ無力な存在なのかという事を……。
気が付くと目尻からは大粒の涙が流れ落ちていた。声を押し殺して静かに泣く。時折吹く強い風だけが私の嗚咽を聞いてくれているようだった。
どうして両親は私を捨てたの。
どうして私が病気にならなければいけなかったの。
どうして弟が生まれたの。
どうして私だけこんな目に遭わなければいけないの。
どうして、どうして……! いくら考えても答えなんか出ない事ばかり頭に浮かぶ。結局は自分の運命を呪うしか出来ないんだ。
悔しくて悲しくて、だけど誰にも助けてもらえなくて。そんな自分が情けなくって惨めで……。
誰かに愛されたい。必要とされたい。それだけなのに。
考えれば考える程やり場のない怒りや悲しみといった負の感情が入り混じる複雑な気持ちになる。自分で自分を制御出来なくなる程の醜く濁った心。それは泥沼のような真っ黒な汚水となってどんどん溢れ出して心を侵していくような感覚に陥っていく。
(……いっそ)"楽になってしまおうかな"
"全部捨てて死んでしまったら少しはこの苦しみから逃れられるんじゃないかな"
「っ……!」
不意に浮かんできた考えを振り払うように勢いよく立ち上がる。
ふぅっと深呼吸をして辺りを見回せば、以前わたしが壊したはずの城の跡が不格好ながらもその形を残していた。
『どうして壊してしまうんだい?』とククイ博士に尋ねられたことはまだ記憶に新しい。
「だって、結局壊れちゃうじゃないですか。」
『また作ればいいじゃないか』
「……そういう問題じゃないんです」
どれだけ取り繕っても、もうあの頃には戻れないのだから
そう思うと胸の奥がきゅっと締め付けられるような気がして苦しくなった。
「はぁ………」
私が勝手に部屋を抜け出したと知ったらククイ博士は怒るだろうか?
まだここに来て間もない私を気遣ってか叱られたことはないけど、きっと心配をかけてしまうだろうな。
手持ち無沙汰に白い波を見つめる。
ゆら ゆら ゆら
寄せては返す波の音に合わせて揺れる海月に誘われるようにしてそっと手を伸ばした。
「……つめたい」
指先に触れた海水は思ったよりも冷たくて身体がぞくりと逆立ったけれど、それもすぐに心地よい温度へと変わっていく。
「ふしぎ…」
夢中になって何度も水を掬い上げた。
このままこの冷たい海に溶けてしまえたらどんなに幸せだろう。
そんなことを考えているうちに段々と頭がぼんやりとしてきて、いつの間にか目の前の波の中に一歩踏み出していた。
水圧を物ともせず、このままどこまでも沈んでいきたいという衝動に駆られるまま、一歩、また一歩と進んでいく。
水が太腿の辺りまで来たところで漸く立ち止まって、服が濡れるのも構わずに海面へ飛び込んだ。
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