"贖罪者"たち
彼らは皆、自らが忌まわしい存在であることを知っており、己を生んだ人を憎んでいる。
作品一覧
鉄球頭
呼称:鉄球頭(他、様々な呼び名あり) 身長:2m 対象の条件:罪の意識があるにも関わらず、向き合わず、逃げ続けている者 “領域”:赤く錆びた牢獄。そこに対象が持つ罪の記憶と結びつくような場所が無理やり融合したような空間 戦闘能力:高い。銃火器でもなければ戦うべきではない 瞬間移動:対象を見失わないために使う。眼前には現れず、着かず離れずの距離を保ちたがる 血の操作:基本的に簡単な足止めや、目潰し程度。刀に血を纏わせ、大抵の物を溶断することがある 生物支配:虫のような小さな生物のみ。対象を追い詰めるため、蠅やゴキブリを使うことがある 機械操作:手をかざせば大抵思い通りに操作できる 接近時の予兆:強い血と鉄の異臭。「じゃらん」と鎖が擦れる音 ――概要―― 言い訳、捧げ物、自傷、自死……本質的な贖罪をせず、ただ安易な方法で、罪の意識から逃れようとし続ける者の前に現れる“贖罪者”。対象を記憶から作り出した亜空間に閉じ込め、そこで追い回し、罪の記憶と向き合うことを強要し続ける。 最終的にどうするかは、対象が最も苦しむであろう方法を取る。最後には殺す場合もあるし、永遠に閉じ込める場合もあるし、二度と償える機会がないことを思い知らすだけ思い知らして解放する場合もある。 対象が罪を向き合い、生涯それから逃れることはできず、背負い続ける以外にないと理解すれば、鉄球頭から脱することができる。鉄球頭は「罪と向き合うことを強要する“贖罪者”」であるため、己の罪から逃れないなら、彼はもう不要となるからだ。 こうした特性から、他の“贖罪者”と比べれば出会って生きのびた者も多く、様々な土地で伝説化したり、土着の信仰対象となっている場合もある。「鉄球頭」というシンプルな名称は、場所によって異なる呼ばれ方を一元化したものである。 ――逃れるためには―― 前提として、鉄球頭は他の“贖罪者”と違い、その気になれば何時でも対象を殺せる状態でおり、逃れること自体は不可能である。そのため、助かるかどうかは彼が「立ち去ってくれるか」で決まる。 鉄球頭から様々な方法で追い詰められながら、自身の罪の記憶から再現された空間を巡り、空間の果てで贖罪の気持ちを抱けるかどうか。あるいは、これ以上罪の記憶には耐えられず、生きていたくないと死を望んだ場合、鉄球頭は姿を消す。 最後まで自らの罪を認めなかった場合、または、贖罪よりも自身の生存を望んだ場合は対象を殺す。ただし後者の場合でも、「贖罪のためにこの場を生きのびなければならない」という意味で生を求めた場合、対象と戦い、その覚悟を認めれば立ち去ることもある。
原罪
呼称:原罪 身長:2m 対象の条件:「自分は賢人だ」として、自分の罪を認めず、また、向き合おうともしない者 “領域”:ねじくれ、痛んだ大木が中心に生えた古代ギリシャ風の廃墟群。 戦闘能力:非常に高い。決して戦ってはいけない 瞬間移動:戦闘時、または対象を見つけた状態で距離が離れすぎると多用 血の操作:しない 生物支配:しない 機械操作:しない。ただし剣の一振りでほぼすべての物質を壊せる。 接近時の予兆:不快感のある甘ったるい臭い。剣が「ごうごう」と燃えている音 ――概要―― 罪を犯しながらも、自らは知恵ある者だと思い込んでいる者の前に現れる"贖罪者"。純粋な暴力の化身であり、対象は罪の前に、そして裁きの前には、どんな知性も力も本質的には意味を成さないことを教える存在である。 結局のところ、罪を犯した者はどれだけ優れていようが、ただの罪人に過ぎず、全て愚か者である。罪を背負い、罪と向き合い、罪に苦しみながら、生き続けることしかない。その様を「賢い」と呼ぶには、あまりに馬鹿馬鹿しいだろう。 ――逃れるためには―― まず第一に、決して挑んではならず、戦ってはならず、倒そうなどとは思ってはいけない。 「全裸だから防御は低い筈だ。罠にかけたり、道具を使えば勝てるかも」 「巨体とはいえ剣だから、離れた場所にいれば安全だろう」 ……などという道理は通用しない。何をしても効かないし、瞬間移動して近付いてくる。決して勝つことはできないし、出し抜くことも不可能である。原罪は罪そのものであり、人が生まれて今まで、全く制することができなかった概念そのものなのだ。 とにかく“領域”の中で逃げ続け、隠れてやり過ごし続けること。走ってくることはなく、追跡のために瞬間移動をしてくることはないが、どんな障害物も剣の一振りで粉砕し、最短ルートで追ってくる。隠れて時間を稼いでは、やがて見つかったのことを悟り、また逃げ出して息を潜める。その繰り返しだ。 やがて原罪に追い詰められ、もはや周りを見る余裕すらない時。小さな穴倉や何とか入り込めるような隙間に潜み、自らを探し回る原罪が周囲を破壊し尽くす轟音のみが響く中。罪の前には、己が無力であることを知り、自らの過ちを受け入れた時。気が付くと、元の世界に帰っているのだという。 「だという」……というのは、原罪から逃れられた者は殆どおらず、明確な条件が不明であるためだ。自分を賢人と思い込んで罪を認めない者は、大抵そのプライドの高さや、自分が優れているという思い込みから、最後まで罪を出し抜こうと画策し、最後には殺されてしまうらしい。
かぼちゃ騎士
呼称:かぼちゃ騎士 身長:2mほど 対象の条件:嘘や他人に押し付けるなどで、罪から逃れた者 “領域”:不可視。最初に遭遇した時から、殺されるまでの間、実はずっと“領域”の中にいる 戦闘能力:非常に高い。戦うのは無意味である 瞬間移動:最初に姿を現す時と、介錯のために現れる時のみ行う 血の操作:しない 生物支配:しない 機械操作:しない 接近時の予兆:周囲に暗闇が満ちていく。鎧が「ガチャリガチャリ」と鳴る音 ――概要―― “贖罪者”と幾つもの伝承(スリーピーホロウ、デュラハン、ジャックオランタンが主)が結びついて生じた騎士は、不当な手段で罪を逃れた者の前に現れ、「○○日後にお前を殺す」と予告する。そうして死の恐怖に怯える日々を与えた後、最期は処刑剣によって首を刈り取る。 それまでに罪を告白し、償いを果たせば助かる場合もあるが、罪の告白自体が事実上の死となる場合もあるため、対象は大概どちらにしても死ぬ。苛烈だが、しかし、死ぬまでにせめて、罪を告白できる猶予を与えてくれる存在でもある。 「イカサマで他の者より一歩先に進んだとしても、終わりにあるのは処刑場だ」 ――逃れるためには―― 概要にある通り、予告された死までに罪を告白すれば少なくともかぼちゃ騎士の手で殺されることはない。ただし、「そうすれば助かる」と分かる情報は与えられない。また、告白する相手は誰でも言いワケではなく、例えば罪を他人に押し付けたなら、押し付けた本人や自首など、自身を裁いてくれる誰か。または、直接ではなくても良いので、そうした人物に伝わるような形で告白しなければならない。 かぼちゃ騎士が現れるほどの罪の場合、告白したらそれはそれで相手に殺されるか、一生を牢屋で過ごすようなことも多く、結局は大抵助からない。しかしそれは、かぼちゃ騎士が残酷なのではなく、本人がそれぐらいの罪を犯していたというだけに過ぎない。 告白しなかった場合、何処に隠れようが、どれだけ武装しようが、決して助かることはない。かぼちゃ騎士に出会った時点で、対象は不可視の“領域”の中にあり、これはかぼちゃ騎士の体内でいるようなものである。つまり、出会ってしまった時点で、その後にした行動は全て筒抜けなのだ。“領域”の中にいる限り、その気になればかぼちゃ騎士は対象を虚空から断頭できる。
星屑(Astronought)
身の程知らずの夢や栄光を追い求めた末に、罪を犯した者の前に現れる“贖罪者”。捕まると宇宙(正確にはよく似た異空間)へ連れ去られ、対象が存在していた記憶や記録は世界から全て消えてしまう。 「まさか、月に手を伸ばしたら本当に掴めるとでも?」
ハートの奴隷
承認欲求のために罪を犯した者のもとへ現れる、3mほどある巨女の"贖罪者"。対象を捕まえると覆いかぶさり、抱きしめるよう、または性交をしているような様で、窒息させて殺す。 元々は愛欲の罪を犯した者を殺していたが、時代と共に変質した。あるいは誰かに認められたいという願いは、愛されたいことと同じだからだろうか。 どちらにせよ、彼女だけは罪人を愛してくれる。最期まで
壊中時計
失った物、あるいは無駄にした時間そのものを取り戻そうと罪を犯した者の前に現れる"贖罪者"。対象は時計塔の内部に似た亜空間に引きずりこまれ、壊中時計にひたすら追いかけられる。 捕まると殺されるが、気が付くと再び時計塔の屋上で目を覚まし、鬼ごっこはずっと続く。唯一鬼ごっこが終わる条件は、1階の玄関から外へ出た時だけだ。 しかし例え、一度逃れられたとしても、贖罪の意識がなければ、再び壊中時計は現れるだろう。どうあがこうが、時間と過去から人は逃げられない。向き合い、背負い、進む以外に道はない。
ドン・キホーテの栄光
自身の欲求を満たそうと他者を乏しめた者の前に現れる"贖罪者"。動かないが、逃げても逃げても行く先々に立っており、やがて現実と妄想の区別を失わせる。最後には、超現実的で、重度の認知症患者が見るような世界へ対象を捕らえ、永遠に苦しめる。 かつてドン・キホーテは自身の栄光のために風車を怪物とした。だが現在のドン・キホーテは人を怪物に仕立て上げ、叩きのめし、つるし上げようとする。これはそうした報いである。 「喜ぶがいい。これはお前が望んだ怪物だ」
向誹葵(Sin Flower)
特定の物、あるいは誰かへの執着心によって罪を犯した者の前に現れる"贖罪者"。走ることはないが、対象を決して見失うことなく、延々と追いかける。 愛と執着は似ていて異なる。愛は相手に与えるものだが、執着は相手に何かを求めるものだ。故に向誹葵は何も与えず、対象を求めて追いすがり、命を奪おうとする。罪人に、自らが犯した過ちを分からせるために。