傷つけたくない。続編


舞美の心は、早貴から抜け出していた。
心を囲っていたモノは形を変えて、今は心の中にある。消えはしない。しかし、舞美を支配や束縛をすることはなかった。

愛理の温もりが
何に阻まれることなく舞美に届く。


「愛理」

「…っ」

「好き。だから、離れて行かないで」

「っまいみ、ちゃ」

「自分のこと傷つけるのはもうやめよう。あたしもやめるから。
早貴からの傷…愛理の傷はあたしも一緒に持つから。だからそれ以上なんて、もういらないでしょ?」

「っく、ぅうー…」


拒んでいた腕が、ゆっくりと下ろされた。

 


拒まなくなった愛理を感じとり、ゆっくりと密着させていた体を顔が見える距離まで離す。愛理の頬を涙が濡らしていた。

舞美の指の長い手がそれを拭う。 応えるように愛理の手が舞美の頬をすべる。その手が濡れていて初めて自身の涙に気がついた。

自然と合わさった目をそのままに、二人の距離が再び失われていく。

近づくに連れ、閉じられていく瞳。

完全に閉じたとき二人の距離がなくなった。

 

短い時間ですぐに離れる。しかし、距離はほとんど変わらない。額を代わりに合わせて、少し動けばすぐに唇が重ねられる。


「……愛理、熱い…」

「…ぇ――」


その近さで舞美の掠れた声が響く。愛理が反応する前に舞美が動いた。


「――っ」


触れたくても触れられなかった反動からか、影から放たれた舞美は止まらない。


「…っぃみ、ちゃ…!」

「…っ」


僅かな間で発せられる声。その声にも、止まる気配はない。
逆に愛理の熱を含んだ声に欲が加速する。

 
「…ッも…、」

「―……ぅいッ!」


急に体を走った痛みに思わず愛理から離れた。


「…、あ、」


痛みで我にかえり距離を持ったことで、ここがどこで、愛理がどれだけここにそぐわない状態なのか気がついた。


「…え、あれ…あたし、」

「…っ…もぅ…、」


愛理が肩で息をしている。少し乱れた制服は舞美がやったことだ。

舞美自身にそれをした記憶がないくらいに愛理を求めていた。


自分がしたにも関わらず、その姿にまた本能という欲が暴れそうになる。しかし

『―――――――』


そこに大きな音が響いた。休み時間終了を知らせる鐘だ。


その音に遠ざかった理性が帰ってくる。


「っぁああいり、ごごめ、ごめん!」

「んーん。私も、ごめん」


舞美と合わせられた目は悲しそうで、また早貴のことで謝っているのかと不安になる。

その不安に反して、愛理の人差し指が舞美の下唇に触れた。ピリッと痛みが走る。


「くち、大丈夫?」


不安げに下から覗き込んだ愛理は上目使いで舞美を見上げる。再び飛びそうになる理性を留めるために、口元を手の甲で押さえながら一歩離れた。

拭うように動かした甲を見ると少し血が滲んでいた。弱くはない力で噛まれていたことを理解する。同時にそうしなければ止まらなかった自分のことも。


「だ、だいじょうぶ大丈夫!」


口を押さえた方とは逆の手を愛理に開きブンブンと振る。

いつもの舞美に安心したのか、愛理は自身の少し乱れた姿にハッとして背を向けた。

ごそごそとはだけた制服を直していく。そんな後ろ姿に舞美は話しかけた。


「…どうする?」

「? なにが?」

「…えーと、」


言葉に詰まる舞美に愛理が向き合う。しっかりと制服を直し終わっていた。


「…サボるの?舞美ちゃん」

「ぇー…あはは」


困ったように笑う舞美に、愛理は真顔だった。


愛理は極力サボりはしない。舞美も真面目に加えて全力。


「…たまには、良いかな?」

「えへへっ」

 

しかし、二人にとって今は特別だった。

 

 


癒えない傷はある。

人には見えない心につくられてしまうもの。無傷な人なんていない。


だれが深い、どれが大きいなど比べるものじゃない。だれにとっても、キズはその人にとってそこに在るのだから。

 


――でも、見えないそのキズを本当の意味で知り、分かち合い、受け止め合うことが出来たなら

心のキズすべてが癒えない傷にはならない。

キズは別の形で心に残り、


それは、


その人の強さになって、

その人自身を支える力に成り得る1つになれる―――

 

 


結局、5限目だけでなく放課後までサボってしまった二人。

愛理の教室に荷物を取りに行ってから舞美の教室へ向かおうと二人が歩いていると、桃子が舞美の教室がある方から歩いていた。


「もも!」

「あ、舞美」


何やらいつもより鞄が多いと思っていたらその一方を舞美に押し付けた。


「えっ?」

「探したんだよ。もう帰るでしょ?それ舞美の」


よく見るとそれは桃子の言う通り舞美のものだった。


「あ、ありがと」

「ふふ、じゃあね」


いつもの笑顔をみせて桃子は過ぎていった。

桃子にはお見通しなのだろう。いつもの笑顔が一段と安心したように優しかった。


「舞美ちゃん」

「あ、うん。行こっ」

 
 


「……あ」

「え?」


教室に着いて先に声を出したのは愛理だった。

愛理の机を誰かがうつ伏せで占領して、寝ている。


静かに近づく…


「…栞菜」


そう、待っていると言った栞菜だった。机を占領し、愛理の鞄を抱えている。

帰るときには嫌でも起こさなければ帰れない状況が整えられていた。


二人に笑みが溢れる。


桃子も栞菜も、支え続けてくれた。
疑わず、本気で。

 

「…かわいそうだけど」

「うん。起こさなきゃ怒られそうだし」


愛理が栞菜を起こして言う言葉、それは『おはよう』じゃない――

 

「栞菜、起きて」

「…ん、ぅ」


 

 

 ――『ただいま』


それも舞美が妬いてしまうくらい、

とびきりな 笑顔で―――

 
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