緑⊿の短編系
「……、」
「藤吉さん、今日もサボり?」
夏の暑い時間、午後1時。
その扉を開ければ、白を基調とした世界と夏の風物詩とも思えるくらい涼しい空気が肌を撫でる。
「……ちょっと調子悪くて」
「こら。当然のようにベッド使わないの」
いつもその空間にいるのは、優しい空気をまとった、保健の渡邉先生。
勝手にカーテンを開けて勝手に寝る私を止めるのは言葉だけで、それ以上のことはなかった
……第一印象は少し怖かった。進んで色んな人と関わらない私は、きっと優しい雰囲気の人でも近寄らなかったと思う。
けど、生理痛が酷くて保健室に行ったとき、その人の空気に触れて
すごく優しい人なんだって知った。
『大丈夫?』
『……すみません、』
『痛み止め抵抗ある?あとは温めたら少し楽になると思うんだよね』
『………ありがとうございます』
『気使わないでいいよ、無理しないで』
大した会話じゃなかった。
別に特別な扱いでもなかったと思う。
それでも、私を見てくれるその瞳と、包むような声が、私の心に染み込んでいった。
先生もそれからすれ違う時とかに声をかけてくれて。
ゆっくりと、だんだん。
冬は寒いこと、
春は花粉症、
夏は暑くて。
生理が辛いと理由をつけて。
保健室へ、足を運んだ。
でも、迷惑かけたり、怪しまれないように。
月に、2、3回くらいの頻度。
「藤吉さん?」
「──……、」
「寝てるの?身体大丈夫?」
布団に潜る私に声が掛かる。
ほんとに、優しい。
でも、みんなにも優しいって知ってる。
松田にも、森田にも、武元にも。
増本って子と楽しそうにしてるのも見た。
無意識にシーツを握りしめる。胸の奥がモヤモヤする。
生徒との関わりなんて当然だ。
だから私にも優しい。
皆が好いているところに惹かれてるのも同じ。
先生だって、私だって、同じ。みんなと、おんなじ。
「………夏鈴ちゃん、」
「──え?」
布団の外から、先生の声。
いつもと違う、少し子供みたいな、。
「夏鈴ちゃんは可愛いね」
「……っ!?」
意味がわからなくて、布団を退かして起き上がる。
カーテンの内側に立つ先生は、愛おしいものを見るように口角を上げた。
「……先生?」
「ねぇ、ぎゅってしていい?」
「だっ、だめです」
ドキドキする。
怖いんじゃないけど、緊張する。
嫌じゃないけど、不安。
好きだけど、目の前の好意に防壁を張る。
「ふふ。だと思った」
「……、」
「先生だからダメ?」
「……、あの、どうしたんですか?」
押し問答みたいに、質問がぶつかり合う。
こんな私は嫌い。
少なくとも好きじゃない。でも、こんな私を壊すことも出来ない。
答えた言葉がどういう意味を持つのか怖くて、相手がどう受け取るのか考えて、答えるよりも相手を探る。
もっと、素直になれならいいのに。
「この前、森田さんかな?楽しそうに笑ってるところ見たよ」
「……、」
「藤吉さんのあんなに笑ったところ、初めて見た」
「……はぁ」
「すごく、愛おしいって思ったんだ」
「え、?」
──だから、抱きしめていい?
全然意味が分からない。
大人ってそういうものなの?
そんな、可愛いって思って抱きしめるとか、ただのペットじゃ──、、
「っ、やめてください」
「、」
先生は別に足を進めることも、手を伸ばすこともしてなかったけど
私は否定の言葉を絞り出す。
これを受け入れたなら、私は。
「─………ベッド、ありがとうございました」
「あ、」
上履きを履いて、先生の横を抜ける。保健室をそのまま飛び出した。
布団そのままにしてきちゃったとか、
別れ際のやり取り最悪だったとか
なんで嫌だったとか、先生の言葉の意味とか
色んなことが脳内を巡るけど、何一つ解決の手段はなくて
私は無駄に三階まで駆け上がり、その先のトイレに入る。
ドキドキする。
息が切れる。
隠すように口元に手を当てれば、荒れた呼吸が手に熱を移していく。
暑い、
熱い。
恥ずかしい。
悔しい。
『すごく、愛おしいって思ったんだ』
瞳、声、空気。
笑った顔、ふざけたときの顔。
今まで知ってたどれとも違う。
でもそれが、他の人にも注がれる愛情ならいらない。
なんていう嫉妬。劣情。
保健室に通っていた、その行動の奥底に眠っていたものと、今のこの感情の根元、
それに気付くには私はまだ程遠くて、ただ母親に甘えたい子どものようだと思っていた。
「よ」
「あ、小林先生。どっか悪いの?」
「ないよ。さっき藤吉来てたでしょ」
「うん。でももう出てっちゃった」
「泣きそうな顔してたけど、何したの」
「え?泣きそうな顔してたの?」
「走り抜けてったから一瞬だったけど」
「そっかぁ。純情だねぇ、かわいい」
「ちょっと、生徒に手出すなよ」
「分かってるよ。そんな軽いことしないって」
「………その笑顔信用出来ないんだけど」