緑⊿の短編系


「大丈夫?ほら、この先が校舎だよ」



思わず言葉が出なかった。

後から思ったのは、無視されたと相手に思わせてしまったんじゃないか。そして、優しくしてくれたその人に、落胆されたんじゃないかっていう
自責の念だった。




「小池美波さん、どこいっていたの?時間は過ぎていますよ」

「すみません、迷ってしまって…」

「なら、それなりの時間の余裕を持って──」
──「ちょっと」

「!」


先生のお怒りが始まる、そう思った時後ろから少し強めの声がして振り返る。
そこには私より遥かに背の高いクラスメイトが居た。


「後ろ、通りたいんだけど」

「ぁ、ごめんなさい」

「、土生さん。あなたも遅刻──」

「寝てました。屋上。鍵開いてたんでちゃんと施錠した方がいいですよ」



転校してきて早々。未だ慣れない登校道に遅刻しそうだからと近道らしき道に突入して、結局迷子になってしまった。
泣きそうな私に、肩を撫でてくれたその人。

でも、あの時の表情とは違って冷たい印象が全面に押し出されていた。
私の横をぬけて歩き出す土生さんに、先生はため息をつく。


「………小池さんも座って。HRの続きをしましょう」

「…すみません」

「……」


そうして、私にも見切りをつけた先生は次へと意識を移す。
私が頭を下げている間に、彼女は気だるげに席に着いていた。








「みぃちゃん大丈夫やった?迎えいけば良かったね、ごめん」

「そんなええよ。ウチが寝坊したのがあかんねん。教室入ったときのみんなに注目されるのも先生に怒られるのもほんと嫌や…」

「あれは恥ずかしかね。でも土生ちゃん来たけん、良かったばい」

「……せやね」


方言を混ぜながら眉を下げて笑うのは、クラスメイトの長濱ねる。去年地方から転校してきたらしく、転校生の居づらさを掬って、友人と呼べる距離を作ってくれた。


そんな彼女が呼称した『土生ちゃん』が、朝の一連の出来事にいたその人だ。


「”土生ちゃん”て、呼べるんええな、」

「ねるが勝手に呼んどるだけばい」

「ねるには理佐おるから、他の子より話すことあるやろ」

「んー、そうかなぁ」


えへへ。と垂れた目尻を更に下げて笑う。
たった数日の付き合いだけれど、ねるにとって”理佐”というワードは、目尻を垂らすスイッチだと思っている。

ねる曰く、渡邉理佐はとても優しいらしい。方言で馬鹿にされ、頭の良さを妬んだクラスメイトのねるへの態度に
喝を入れ、ひと睨みして黙らせたのは理佐でそれ以降、時々絡みがある、、らしい。


「あの理佐様が優しいとか想像できへん」

「理佐は優しかよ。普段クールにしとるけど、怖くなかばい」

「……」


だって、転校して数日だけど理佐が優しいどころか笑ってるところすら見た事ない。

『大丈夫?ほら、この先が校舎だよ』

……あの時だって、あの”土生ちゃん”だとは一瞬分からなかった。

”土生瑞穂”と”渡邉理佐”は学校で有名な人だと、転校してきてすぐ分かった。
綺麗でかっこいい。スタイルも良くて、なあなあに他と馴染まない強さ。
ただ、優しいという認識には乏しくて、何となく近寄り難い。そんな人たち。


「…見た目じゃ分からんな」

「そうやねぇ」



先生が入ってきて、同時に始業の鐘が鳴る。
視線を移せば、土生ちゃんの席は空いていて、今朝の言葉が思い出される。


『寝てました。屋上──』


あの嘘は、何のためのものだったんだろう。

そんなことを頭の片隅で思いながら、それでも、授業をサボるなんて不良だと心の距離に線引きしてみた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


そこから、数日。
土生さんとも理佐とも接点がろくに無いまま学校生活が過ぎていっていた。

あの朝の出来事はもしかして夢だったんじゃないかとも思う。


そんなことを呑気に思いながら、登校していた朝。
天から降ってきたように、提出物を思い出した。


「っ、嘘。忘れた!!」


思わず時計を見る。
走ってもきっと間に合わない。
遅刻する。提出が間に合わない。

たかが提出物だけれど、あまり頭が良くない自分には提出率というのは結構重要で。でも職員室に行って、先生に報告しなきゃならないし、先生に怒られて頭を下げる。謝るのは別にいいけれど、その環境が嫌だ。色んな人の目に当たるし、何より不出来さを目の当たりにして自分のメンタルがキツい。

でも走っても、遅刻は間逃れない。
みんなに注目される。

この間も遅刻したのに。

どうしてこんなにダメなんだろう。
もっと上手く要領良くしたい。
遅刻なんてしないし提出物だって、。
別に優秀になりたいわけじゃないんだ、高望みもしない。だけどせめて。目立った失敗のない人になりたいのに…。


「─なにしてんの」

「!」

「あ、この間の子、、えっと、、転校してきた小池さんだ」

「……土生、さん」

「……?」


パニックな私を見下ろす優しい目。声。
ごちゃごちゃに考えていたのは、スポーンとどこかに吹き飛んで
頭の中は目の前の土生瑞穂でいっぱいになる。


「、で?立ち止まってどうしたの。遅刻するよ?」

「あ、っ、えっと、て、提出物、忘れてもうて」

「提出物?」

「きょう、出すやつあるやろ?守屋先生の、」

「あぁ、あかねんの?いいじゃん別に、明日で」

「そ、そうなんやけど、、」

「………」


あーー、呆れとる。そうよね、そんなこと気にせんで学校行けばええねん。
『明日持ってきます、すみません』でええねん。失敗してしまうならその時の区切りが付けられればええ。ごちゃごちゃしとるほうがめんどくさいし、。でも、やっぱり──


「……えっと、ぁの、うち取りにもど、」

「……ぁ、あった。これあげる」

「へ!?」


土生ちゃんがカバンの中から出してきたのは、白紙の提出物で。目の前に差し出されたそれに、うちは反射的に手を出して受け取ってしまう。


「無いよりマシ?今から走れば間に合うかもよ」

「…………、」


確かに答えはまだ覚えているし、書くだけなら学校に走れば間に合うかもしれない。
けど、そもそも、これ、土生ちゃんのじゃ、


「私、出す気なかったし使って。早く行った方がいいよ」

「っ、でも」


うちのことなんて見ないで土生ちゃんはスマホをスイスイと操作して耳元に当てる。
そうして背を向けて学校とは反対に歩き始めてしまった。
















「みぃちゃん、どうしたと?」

「……つ、疲れた、、」

「学校着いてからずっと書いとったもんねぇ。お疲れ様。課題やってくるん忘れたと?」

「ううん、課題の用紙家に忘れたんよ」

「え?それで?」

「土生さんが、紙くれてん。でも土生さんそのままどっか行ってもうたんやけど」

「そういえば、土生ちゃん休みやね」

「!え?」

「理佐が言っとった」


休み、、。
なんで。制服着て歩いてたのに。

提出物出せなくて……?

………いや、そんなんで休むわけない。そもそも出す気ないって言っとったし。



「な、なんで、?」

「え?さあ、?」

「……」



………まさか、ね。









「みぃちゃん帰ろー」

「ねる反対やん。帰るんは大丈夫やって」

「正門まで一緒に行くばい!」

「ふふ、ありがと」


ねるは1人で帰るうちを気にしてくれる。
申し訳ないと思いつつ、帰りに誰かに気にかけてもらえるのはありがたいと思ってしまう。
ふと、ねるがいなかったらうちはどうしてたかな、と思うけれど全く想像つかなかった。


ねる「、理佐」

美波「え?」

理佐「その子、小池さん?」

ねる「うん。どうしたと?」


靴に履き替えてすぐ、周囲に明るい声が飛び交うなと思ったらその中心には”理佐”がいて、ねるに気づくと、近づいてそのままうちの名前を口にした。
一方的な面識しかないのに、なんの用だろうと混乱してしまう。


理佐「、これ。部活の先輩から、今日全体に渡されたんだ。土生ちゃんちと小池さんの家近いって聞いたんだけど頼んでいい?」

美波「……へ?」

ねる「みぃちゃん近いと?」

美波「いや、知らへん。近いんかな」

理佐「私今日は行けなくて。住所送るからさ」

ねる「……一緒に行こうか?」

美波「………」


スマホのナビがあるから、たぶん行ける。
でも、私なんかが勝手に家を知っていいんだろうか。
知られたくないかもしれない。
ただのクラスメイトだし、来られても困るかも。
嫌な思いをさせてしまうかも。例え時間と手間がかかっても、理佐に来てもらった方がいいに決まってる。。

でも、

でも。


否定の言葉はたくさんあふれてくる。
なのに、心の奥は、なにかしこりを抱えて。


しってる、。
分かってる。

この感覚は、思考と気持ちが反対にある時の、不快感だ。


───「ううん。ひとりで行く」






◇◇◇◇◇◇



「………なに?」



ナビを駆使してたどり着いた土生さんの家。確かに近い、、と言うよりは家と学校の間に土生さんの家がある感じだった。
インターホンを鳴らした後に出てきたのは、シンプルな私服に着替えた土生さんだった。寝ていたのか、少しだけ髪が乱れている。

理佐から預かったそれを渡した後も帰ろうとしなかったうちに、少し訝しげに土生さんはその言葉をこぼして
うちは、来たことを少しだけ後悔しながら
声をひねり出す。



「っ…ぁ、えっと、、今朝のプリントのせいで休んだんやったら…申し訳なくて。部活にも行けんかったやろ、」

「………小池サンには関係ないよ」


冷たい音。線引きする言葉。

目の前の彼女はどこか呆れ声で、私は喉奥から引っ張られるように喉が痛くなる。



「っ、そぅやんな、、ごめん」

「……はぁ」

「っ!」



ため息。

が、落とされる。


土生さんは玄関のドアに手をかけると体重をかけた。

ドア、閉められるかな。
拒絶される。
あの優しさを求めていたわけじゃないけど、泣きそうになる度に助けてくれる彼女に、せめて。お礼が言いたかった。

土生瑞穂にとって、それが
道端に転がる石粒だとしてもいい。

それでもーーー



「小池さんは、いつも泣きそうだね」

「──……ぇ?」

「方向音痴のくせに、近道しようとして」

「、」

「先生に怒られるのが嫌で、提出物に頭抱えてさ」


声は冷たいのか優しいのか分からない温度。
ただ、土生さんから振られる話題に、どこか心は嬉しがっていた。


「今だって、学校を休むなんてどうって事ないのに私に申し訳ないって思ってる」

「だって、学校、来ようとしてたやろ…」

「それで卒業出来ないとか怒られるとか、アホなことしないよ」

「………」


温度は、未だわからなくて。
でも、なぜか、。

喉が痛くて、
苦しくて。

土生さんの声に、言葉に、守っていた何かがとかされる感覚がする。



「だから、泣かなくていいの」

「……ッ、」

「…自分のことは自分が一番可愛がってあげなくちゃ」

「そんな、うち、ダメなことばっかりで…、」

「小池さんは、それでいいんだよ。こうしなきゃいけないってことはもっと社会とか大人に塗れたら嫌でもやらなきゃならないし、今は、こうしたい、だけでいいの。今のままでいい」

「……土生さん、は」

「なに?」



──どうして優しくしてくれるの?



「──……ううん、、ありがとう」


聞きたいけど聞けない。
きっと優しさはうちにだけじゃない。
こうやって関わる全ての人に、こうしたいって思う相手の人に、彼女は分け隔てなく関わるだろうと思う。



「頑張る」

「……小池さんらしいね」


そう言った土生さんは、
初めて会ったその時と同じ柔らかい微笑みを向けてくれた。


胸の奥が、苦しくなる。
けど、あの時とは違う。

それでも、私が抱くこの感情は
その人への憧れだって心を落ち着かせた。






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