緑⊿の短編系


ねるの冷ややかな空気に、耐え忍んだ数時間。
私の勘違いで、別れと認識してしまった件は修正され、ねるを怒らせると怖いということを再認識した。


「で?なにが原因だったわけ?」

「これから一緒に過ごしてく事考えてたら不安になっちゃってて、ねるに仕方ないって言われたんだ」

「うん、それで?」

「その日の別れ際に零したことだったから、そのままねるも帰っちゃって。これで、終わりなのかって」

「………その思考、どっかに捨ててきなよ」

「…ごめんって」


報告も含めた由依とのランチ。
事の顛末は、あまりに粗雑で。私が"別れ"を恐れていたがために無理やり繋げられたものだったと、今なら分かる。
ねるにも、すごく怒られたし。


「土生ちゃんあたりにセラピー受けてきたら?ポジティブになれるかもよ?」


由依はイジるように笑いながらそんなことを言う。 土生ちゃんは幸せに生きる人、だもんなぁ。本気で少し分けてもらった方がいいかもしれない。


「まぁ、ねるはそんな理佐が好きなんだろうから無理に変わる必要は無いけどね」

「……、」

「私も好きだよ、理佐の静かなところとか、すごく考えるところ」


たまにめんどくさいけどね。

最後にそう付け加えたところで、由依は席を立つ。ちょっとごめん、と鳴動するスマホを持って店の入口へと向かっていった。


「………、」


はぁ、とため息をついて外を眺める。 そう言えば、ねるの職場はこの近くだ。 ランチのタイミングだし、見かけることもあるかもしれない。

そんな浮かれた妄想は、現実になると同時に心臓が締め付けられた。


「──、」


目の前には、楽しそうに喋るねると、男性。
距離が近くて、男性はスマートに店の入口を開けてねるをエスコートする。ぼけっとしていた間に、
ねるとその人は、私がいる同じ店に入ってきていた。

一瞬にしてパニックになる脳内に、影が入る。


「!」

「ごめんね、急な電話だったから……理佐?」

「、由依ごめん、ちょっと……」


ねるに見えないようにして、由依の影に隠れる。
傍から見たら滑稽なそれを気遣うことも出来ず。悪いことをしてる訳でもないのに、見つからないようにと祈ってしまう。


「何してんの、変だと思われるじゃん。やめてよ」

「いいから動かないで」

「………あー、なんかめんどくさい予感がする」


そう、めんどくさい。
隠れる必要なんてないのに。ただ声をかけて、お疲れ様って言えばいいだけなのに。

ねるが楽しそうに笑う、その姿が
ねると笑うその人に向けられていることに、何故か声がかけづらい。


「……声かけないの?」

「…、上司かもしれないし」

「まぁ、そうだね。分かってるじゃん」

「……」


脳裏によぎる。全ては必然なのかもしれない。

楽しそうに笑う相手が、その人なのも。
このタイミングで、私がねるを見つけてしまうのも。

これから先、ねるはそうして家庭を築くのがいいんじゃないだろうかと思ってしまう。
決して定義なんてないだろうけれど、その分、誰の予測も範疇も図れるものじゃない。


いつだって、変化しうる。

その可能性をこうして突きつけられる、この現実は───



「理佐」

「、?」

「ねるになんて言われたの、この間」

「え?」

「怒られたでしょ、その思考回路」

「……。」


分かってる。分かってるんだ。
こうやって思う不安は、相手を試していることも。
何かしらの不安や疑問を抱えたって、それにいちいち気を病んでいても仕方がないんだ。どこかで踏ん切りをつけて進むしかない。見て見ぬふりをして、相手のことも自分のこともを信用して、そうして日常を過ごしていかなきゃ。


「……大丈夫。分かってるよ」

「ほんとに?」

「うん」


姿勢を戻す。由依の向こうに僅かに見えるねるの横顔と、笑み。対峙している男性は、テーブルに肘をついて前のめりだった。






◇◇◇◇◇◇◇



「お疲れ様」

「理佐ぁ、疲れたぁ」

「何飲む?」


ねるが当然のようにうちに帰ってきて、私はねるの希望を聞きながら飲み物を渡す。
ありがとう、と崩れた笑顔を見せられる。
私は、自分のマグカップをテーブルに置いて、ねるの隣に座った。


「明日やね、引越し」

「うん」

「荷物終わり?」

「うん、あと今出てるの最後に入れたら終わり」

「お疲れ様。急やったけん、大変やったね」

「ううん、由依も手伝ってくれたから」

「……そっか。お疲れ様」

「うん」


引越しになる。遠くなる。
ねると別れると思っていた時の引越しは、ねるへの思いを断ち切るために大事か手段だった。けれど今は、不安になる要素しかない。遠くなって、距離ができて。そうしてねるは、昼間あった時のように誰かと笑って過ごしていく。

………全ては、必然なのだ。


「…今日、昼間ねるのこと見たよ」

「そうなん?声掛けてくれたら良かったんに」

「話してたからさ、、男の人と…」

「……、」


「ねる、」

「なん」


顔を上げるとねると視線が重なる。
私の言葉に、ねるは真っ直ぐ見つめてくる。
事と次第によっては怒りが噴出しそうな顔だった。


「ふふ、」

「なんよ」

「ううん。あの人、絶対ねるのこと好きだよ」

「──りっちゃ」

「不安なんだ」

「──……、」


ねるに仕方がないと投げられた時と同じ言葉を口にする。
進歩がない、成長しない。そう思われても仕方がない。事実、私は。螺旋階段のようにグルグルと、答えのない思考をさまよっている。


「引越しなんてしたくない。ねるのそばにいたい」

「……理佐、」

「離れることは不安だし、今日見たあの人がねるを奪っていくことだってある…と思う」


……遠い私より、身近な人が頼りになる。力を借りれる。心が揺らぐことだってある。
それは、君を信用していないとか、怒ってくれるその感情に嘘があるとか、そういう話じゃない。

人の、気持ちは分からないから。


でも……


「でも、……だからさ」

「!」

「ねるに、沢山会いに来るよ」

「──……」

「奪われないようにがんばるし、不安だからって逃げない…ようにがんばる」


全ては必然。

なら、その必然に、私は立ち向かうしかない。
今日見たあの出来事から、ねるが離れてしまう未来が見えたことが必然なら、私はそれに歯向かってやる。

引越しで距離が空いて、それで私よりも近い人間ができる。私が間に合わないことも、力になれないことも、知らない涙を流させることだってある。なら、私は。

ねるの傍を、誰よりもしがみつく。


別れを思い込んでいたあの時、ねるが私を泣きながら怒ってくれた、それこそが。

離れなかった今にたどり着く必然だったと、君の手を取りたい。



「格好悪いけど、私は、ねるを─」



プロポーズの様なセリフに、ねるは目尻を普段より下げて笑う。
抱きついてきたその体を離さないように、思いっきり抱きしめた。




















「あ、長濱さん。これからランチ一緒に行かない?今度は俺のおすすめのとこ紹介するよ」

ねる「えっと、ごめんなさい。先約があって」

「そ、か。…じゃあまたタイミングあったら行こう。長濱さんが誘ってくれたあの店、めちゃくちゃ美味しかったよ」

ねる「ふふ、よかったです」


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