緑⊿の短編系
「ねえねる。ピアス開けてくれない?」
「……やだ」
ゆったりとした時間の中、理佐の少し低めな声が静かに鼓膜を響かせる。
理佐の声こそ心地よいけれど、その内容は数秒の間で結論が出せるほど否定したいものだった。
「なんでー。開けてよーねるちゃーん」
「いややって!まとわりつかんで!」
隣に座る理佐は、強請るようにその長い腕をねるに伸ばしてきて。
ねるは本を読んでいたのにそれを邪魔しに来る。
「私より、本の方がいいんだ」
「なに言っとるん。そんなんやなか」
「ふーん、」
だって。ちょうど面白いとこったい。本なんかよりりっちゃんの方が大事に決まっとるけど、でも。今は本の方が……、
「いいよ。読んでて」
ぱっと腕を離して、ガサガサとカバンを漁り始める理佐。来た時に持っていたコンビニの袋のものはもう全部開けてしまったけど、何か持ってきたのかな。
普段理佐のカバンの中からはしない、ビニール袋の音がして、何となく気になったけれど
本の内容も気になって目を戻す。
けれどもやっぱり、理佐の行動に頭は傾いてしまっていて文字をなぞるだけで内容が入ってこなかった。
無理やり集中してみるけど、さっきまで心を躍らせていた気持ちが帰ってくることはなくて
本の内容は、ただの文章としてねるの中に落ちていった。
「……、えっ!?」
「ん?」
ため息をついて、顔を上げる。
目の前にはピアッサーを耳に当てて、今まさに穴を開ける理佐が居た。
「ち、ちょ!まって!まって!!」
「うわ。なに、危ないよ!」
本なんてそっちのけで、落ちる音がしたけど目も向けられない。
手を伸ばして、若干乱暴にピアッサーを掴んだ。
「危ないやなかと!!さっきのねるがやらんと穴開けん流れやったばい!!」
「えー、だって。ねる開けてくれないって言うから」
「開けんでよかったい!りっちゃん十分可愛か!」
「えー?」
ねるの言葉に、りっちゃんはニヤニヤして。 ふふふって口元を抑えて笑っとる。
いや。違うやん。
にやけとる場合と違うったい。
「とにかく、やらんでよ」
「……じゃあ、ねるが開けてよ」
「だからーー…、」
話が噛み合ってない。説明し直そうとしたけれど、それ止められてしまう。ピアッサーを奪ったねるの手に、理佐の手が重なる。
ぐっと力が込められて、理佐の耳元に持ち上げられた。
「……、」
「………ねる、」
傾けた顔に、かかる髪。
そこから覗く、射抜くような瞳。
掴まれた手は、理佐の冷たい手に体温を奪われていく。
「……やだ、」
「お願い、」
「……これ以上、理佐に傷つけたくなか」
「………。」
『これ以上』。
理佐には、大きな傷跡がある。
肩口から背にかけて。きっと嫌悪感に苛まれるような、傷跡。
綺麗な理佐に、巣食う歪…。
それは、ねるのせい。
「ねるのせいじゃないって」
「じゃあ、誰のせい?理佐の綺麗な…何もなかった肌にそんなん残して…」
「……私はこの痕を嫌だなんて思ったことないよ」
「……っ、」
「ねるを守れた証だもん」
このやり取りは、初めてじゃない。怪我をさせてからずっと、理佐はねるに教えてくれる。
傷跡は絆で、証だって。お互いの『好き』がすれ違わないように。
りっちゃんはいつも、気にかけてくれる。
「好きだよ、ねる。ねるのことが守れて、私はほっとしたの」
「ねるは、悲しかった…。血だらけだったのも、こんなに傷が残っちゃったのも」
「これは、私の宝物なんだよ。大切なもの。ね?ねる。悲しいものなんかじゃないよ」
嫌われても当然なのに、理佐はずっと隣にいてくれて。理佐の愛の形は、変わらない。どんどん濃密になって、溺れるほどにねるをまどろみの中に連れていく。
「私はねるを守りたい。これからも、この先も」
プロポーズみたいなその言葉を、りっちゃんは顔を赤くしながらねるに送ってくれて。愛されてるな、と思ってしまう。
罪悪感はゆっくり、薄れていって。それ自体に嫌悪してしまうこともあった。
なのに、理佐はそれでいいよって頭を撫でて抱きしめてくれるんだ。
「ねえ、りっちゃん」
「ん?」
理佐が好き。
理佐が愛してくれる限り…ねるは、
その傷ごと、理佐を愛していく。
理佐の隣を歩いていける。
「ねるも、理佐のこと好き…」
ねるの言葉に、理佐は顔を柔らかくする。
無邪気に笑う、笑顔でもなく
カッコつけるような作った笑顔でもない。
何かに満たされるような、幸せそうな顔…。ねるだけに見せる、表情。
嫌悪よりも、罪悪感よりも
いくつもの『ごめん』より、涙より…
『好き』の一言の方が、理佐は笑ってくれるって気づいたのはつい最近だった。
重くのしかかるはずの傷跡は、本当に。肌から離れることの無い証のようなものに変わる。
包み込むほどの愛情に泣きたくなってしまうけど、でも。きっと。
その涙には、理佐は笑ってくれる気がした。
「ねるに開けてよ、ピアス」
「え!?だめだよ!」
「え?」
「ねるに傷つけるなんてダメ!」
でも、………りっちゃんは、ある意味過保護なんかもしれません。。。