Wolf blood
「んで?」
「なに、」
友梨奈が愛佳の元に戻ると、愛佳の手にはクレープが握られていた。
どれだけ食べるのだろう、と片隅に疑問が生まれたところで口から出る前に愛佳から疑問が投げられる。
何を問われているのかは分かっていたのに、敢えて聞き返したのは気付かないふりをしたかったからだ。
「てっちゃんは愛しのねるちゃんにキスしたんですかー?ファーストキスじゃないの?」
「………黙って」
「いーじゃんか。眠姫の目覚めのキスだろ?それが相手の王子さまのためになんて、泣けるけどね」
「…そんなんじゃない」
「……」
「私はそんなに強くないよ。ねるのことは奪う気だった…。ねるが、思い出そうとしてなければ、何したって思い出すことはなかったし、もし、ねるが受け入れてくれるなら、『僕』はねるを番にしたかった…」
「………、」
宝物を無防備に置いていくのなら、奪われる覚悟があるってこと。
だから、奪おうとした。
「番は絶対だ。それが真性でも形式でも関係ない。…でもきっと、あのふたりはそれだけじゃない」
きっと力づくなら、ねるを繋ぎ止めることも隣に置くことも出来た。
でも、そんなことはしない。
その在り方は、ねると自分にとって間違いだとまだ分かる。
ーーけど、これ以上ねるを苦しめるのなら、その時は…。
愛佳「……苦労するよ、ねるは」
その言葉と同時、愛佳は友梨奈の頭をわしわしと撫で付ける。
頭ごとぐわんぐわんと揺れたけれど、今はそれが心地よかった。
にじみ出る涙を、誤魔化すことができた。
友梨奈はこんなところで泣くのを嫌がることを愛佳は分かってくれている。それは友梨奈にとって、間違いなく救いだった。
友梨奈「……バカみたいにネガティブでさ、」
口調が柔らかくなって
ふたりに笑みがこぼれる。
愛佳「性格こじらせてて、」
どこか呆れを含むそれは、愛に満ちていた。
友梨奈・愛佳「「へたれ」だからね」
『あなたなんか知らないんだ!早く戻れよ!!』
喉が傷むような声の後、ねるは電池が切れたように掴んでいた手を離す。
けれど、距離は変わらなかった。
「…………」
「……………………、」
「理佐、なんよね?」
桜の蕾の下、ねるの声が小さく、それでも、この距離で理佐に伝わらないはずがなかった。
けれど、
遠くの祭りと人の音と、車の走行音が途切れ途切れに空気を震わすだけで
ねるの元に、声は返って来ない。
「………」
「ねるのこと、ほんとに知らんと?」
「…………、」
理佐の表情は、ねるには見えなかった。
さっきまで理佐を掴んでいた、今は緩んだ手のひらへ視線を移す。
あまりに強く握りしめたそれは、少しだけ震えていて抑え込むようにして握りしめた。
「……心にね、大きな穴が空いとるんよ」
「…………」
掴んだそれは、本能で。心で。自分にとっての真実であり、本心だ。
「寂しくて、悲しくて、ずっと、誰かを探しとった」
目の前の人が、大切なその人であることに
なんの疑いもない。
「理佐はねるのこと知らんでも、ねるは理佐のこと忘れん」
「……」
「記憶から消したって、物を無くしたって、」
心は脳の中にある、とか、
心臓は何も感じていないとか、
そんなのは、どーでもよくて。
理佐を目の前にして、心臓が痛んだのも息が苦しくなったのも
手が震えるのも、
今、とてつもなく泣きそうなのも。
「理佐は、そんなんじゃ、誤魔化せん…っ、そんくらい大きか、りっちゃんは…!」
目の前の人が、渡邉理佐で。
すごく大切な人。
とても、好きな人。
でも、そんな言葉じゃ言い表せないほどの存在だから。
「黙りよう癖も……懐かしかね、」
「……」
「でも、もう………疲れたったい、っ」
だから、心は磨り減って、
追いかける足も、伸ばす腕も、
ゆっくりと上がらなくなっていく…。
「ねるは…、理佐が、好きやけん、…一緒におりたかったけど……っ、理佐は違かったと、ね」
「ーー、」
「ねる、勘違いしとった。りっちゃんはねるのこと好いてくれとると思っとったけん、迷惑かけたかな、」
「っ、ちがう、!」
「っなにが!?ねるんこと、知らんとやろ!」
「!」
「…、……ねる、りっちゃんの空気が好きやったと。そこにおるだけでふんわりする。優しい笑顔も、きゅんてする。泣いとる顔も、ぎゅーってしたくなる」
振り向いてもらえんと悲しい。
背中ばっかりは、寂しくなる。
「理佐の強い眼も好いとぉ。でも、頑張りすぎないか不安になる。」
けど、離れてくあなたが
倒れた時に
「自分のこと傷つけちゃう分、ねるがいっぱい愛したかった」
「………っ、!」
すぐ駆けつけられると思ってた。
それが出来るのは、追い続けて、手を伸ばし続けた
自分だけやと思っとったとよ。
「……ずっと、一緒におりたかった、」
「っ、ねーー」
「バイバイ、理佐」
ーー…君を、一体どれだけ、傷つければ。
『理佐を愛した長濱さんは、これからどうしていくのかな』
「………っ、」
ねるは、一体どれだけ、傷ついたんだろう。
私の茨は、自分にだけ刺さればいい。
それで、君を傷つけていいはずがない。
「待って……っ」
「………」
「っ、」
『逃げるために、人間のままあの人といた訳じゃないよ』
人間として生きていてほしい?
20歳まで待って?
それが、どれだけねるを否定してきたのか
ねるの涙を見て
ねるの言葉を聞いて、
ねるに、否定されて。
やっと、気づく。
死角に気づかなかったのは自分だ。
流して、見落としてきたのは自分だ。
友香にも、土生ちゃんにも指摘されてきたのに、聞く耳を持たず目を向けなかった。
今更君を、抱きとめることも、
腕を引くことも、
名前を呼ぶことも許されはしない。
「ねる……っ、」
「………」
ねるが背を向けて歩き出す。
1歩ずつ、確かに、紛れもなく離れていく。
「ーー……ゃだっ、、!」
ーーー『行かないで』
そんなのは、こどもの我儘だ。
勝手で、
気ままで、
なににも気づけないくせに
気づいて欲しいと泣いて。
その影で、誰かが犠牲になっていることも傷ついていることも
考えられない。
「………いいの?」
「え?」
「ねる行っちゃうとよ?いいと?」
「……、、」
だって、、、
でも、、、
「もう会えんくなっていいと?」
「ーーーっ」
君と。
………君を。
また、この腕に抱いていいのか。
「理佐のばか!!へたれ!!」
「!!」
「ねるは!!理佐に抱きしめて欲しい!」
向けられるのは、何ににも囚われない
想いだけの願望で。
「理佐に好きって言って欲しか!」
なにがいいとか
悪いとか
許すとか
許されないとか
「消えんで!」
そんなの、すべて吹き飛ばして
ふるい落として
「ねると、おってよぉ!!」
ただひたすらに
私を想う
君の
まっすぐで、純粋なーーー、
「理佐が自分をダメやって言うとこ全部、ねるが愛しとおけん!!」
「ーーーっ!!」
涙ばかりが溢れて、
引きつった喉は、嗚咽ばかりで
大事な言葉が、言わなきゃいけない事が出ていかない。
君を、見つめたいのに
制御しきれない感情が暴れて
何かを堪えるように、強く手を握り締めてしまって
君へ、手が伸ばせない。
君に会えなくなる。
ねるに、もう二度と触れられなくなる。
名前を呼ぶことも、笑顔を見ることも、無くなる。
そんなこと、分かってたのに。
君の記憶に手を伸ばした時、覚悟したハズだったのに。
…………覚悟なんて、どこにもない。
ただ、君から逃げただけだ。
「………っ!」
「………」
「…ねっ、ーぅ!!」
嗚咽が邪魔で、名前が呼べない。
ろくに言葉が出ていかない。
ねるを苦しめる、そんな未来から逃げただけ。
ねるを縋って生きるのが怖くて、向き合うのが怖くて
逃げた、だけだ。
そんなやつに、ねるの名前を呼ぶ資格などないと言われているみたいだった。
「ーー…っく!」
だから、今から君と向き合おうなんて
虫が良すぎる。
間違ってたからやり直そうなんて、出来るわけない。
失ったものは、戻らない。新しく見つけていくしかない。
でも、
それでも。
足は勝手に進んで。
君に近づく。
腕を伸ばした先で
私は、
君に触れた………。