Wolf blood

君と見たあの桜を、あの蕾を。
最後に見ようと思ったのは
きっと、最後の最後まで君から離れる覚悟がなかったからだ。



祭りの喧騒から少し離れたそこは、誰もいない。
ライトアップもされていないまだ蕾の桜を見ようなんて人はいなくて、私にはどこか、ねるとの2人だけの場所のようにも思えた。


「……去年の約束は果たせなかったなぁ」



そんな誤魔化しのような独り言を呟いてすぐ、人の気配がして姿を隠す。

帰らなかったのは、その気配がねるだと気づいたからで。すぐ離れればよかったのに、まだ蕾を見たいと自分に言い訳をして、影から君の姿を見つけた。


そして。


「ーーー………、」



いつかの記憶と目の前のそれが、
重なって酷く後悔した。


平手が、ねるに、触れて。
ねるは、それに応える。


2人がキスを、した。


「…………っ、」



…そうだ。ふたりだけの場所なんてあるはずがない。
始まりすら、偽りだった。

ねるの皮膚を破ったのは、平手だ。

私はどうあってもそこを超えることは出来ないし
そうしたのは、他でもない自分なのだ。


「………、ねる、」


………一体自分は、どれだけこの思考を繰り返せば気が済むんだろう。


ひとたび何か起これば逃げるように自分を否定して、
ねるが傷つくと分かっているのに、何度も何度も否定する。
肯定するために、ねるに縋って。

それじゃダメだと突き放す。


始まりだって、ねるは「初めては理佐やったよ」と、包み込んでくれたのに。

一体どれだけねるを傷つければ、気が済むんだ。




喉が引き攣るように痛んで、
深く息を吸う。
春先のまだ冷たさの残る空気は、少しだけ冷静さを取り戻させた。



それでも、やっとこれで。
ねるを振り回し、傷つけることはない。

記憶はいつも以上に深く、強く消した。
その分、記憶の穴は大きくなってしまったけれど、穴を穴だと認識することすら出来ないよう、調整したつもりだ。

……人には、死角がある。
見えていても、認識できないことがある。

誰かに指摘されなければ、見落とされ、流れていく、そのモノ。

消した荒は、そうなれるようにした。




はずなのに。







「待っ、て!」


君は私を呼び止める。

その声にせっかく取り戻した冷静さは吹き飛んで、全身が痺れて泣きそうになった。

必死に、
君の記憶に引っかからないように。
流れて、またすぐ君が日常に戻れるように。

何でもない振りをして、

持ち帰ろうとした、君のチャームを返す。

ーーたったひとつ。それさえ、持ち帰ることは許されない。

別れを決めたのは自分なのに、その事に酷く落胆して、
どうあっても、ねるに縋らなければ生きていけないのかもしれないと思い知る。

だからこそ、 離れなきゃいけない。



なのに。




「あの!っ、私あなたのこと知っとる…ような気がすると!」



君は。




「渡邉理佐!理佐っ、りっちゃん!!ねる、知っとる!」



私のしていることは、すべて間違っていると言うように


離れることを許さず、

踏み込むことを止めない。




「りっちゃんやろ!っ、!」


「っ!りさっ、」


それは、どれだけ幸せなことだろう。


掴んでくる手は、離れない。
力は、緩まない。

瞳は強く、
言葉は真っ直ぐだ。


そんなねるが、

好きで、


好きで。


仕方がない。



「…っ、私はあなたを知らない!」

「ーーなんでっ!なんでいつもねるの嫌がることばっかすると!!」

「っ!!」



こんな私のために、傷ついてくれる
そんな君が、大切で

涙を流してくれる君が、愛おしくて




私の心はこんなにも、揺さぶられる。

きっともう、私は涙を流している。
そんな資格、無いのに。


「りさは、、っ。」


「ねるが、どれだけ傷ついとると思っとるの!!」



心臓に、轟音が響く。

脳が、軋む。

視界は、君だけを映し



私の世界は、感情と思考が濁流し

混沌とした世界に堕ちていく。







「っ!、だからーー!!」





愛しくてたまらない、
好きで仕方がない、

君なしでは生きられない。



ーーー大切にしたいのに、最後まで傷つけてばかりで…ごめんね、ねる。




「ーーーあなたなんか知らないんだ!早く戻れよ!!」






ねると、ずっと


一緒に





ーーー生きていきたかった。








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