Wolf blood

「………、」


頭が鈍い痛みに襲われる。
溢れかえった記憶は強制的で止めることが出来なかったのに、急に弾けるようにして現実に引き戻される。

そんな激しい活動に、脳は悲鳴を上げているようだった。


ねるの目の前には桜の木がある。けれど、さっきまでいなかったその人は
おおよそねると友梨奈がいた所に立っていた。

その背中に何かを感じる前に、鈍い痛みは鋭さを表してねるは表情を歪める。


「………っ、」


ーー戻ろう。

頭痛は止む気配がなく、むしろ悪化している気さえする。
どくどくと血を送り出す心臓は、その動きを大きく早くさせていく。
そのせいか、呼吸が苦しくて
どこか喉が詰まる感じがした。


何がきっかけか分からないけれど、自分の体調が明らかに変化し、不安とも恐怖とも分からない感情が渦巻いている。

友梨奈もいなくなってしまった。何かあったのかもしれない。愛佳のところに戻って、そして友梨奈を探そう………。


そう思った。




「ーー………、」




けれど、踵を返すと同時。
何かがねるを引き止める。

なにか、。

不安と恐怖に、疑問と混乱が混じる。
自分が何に引かれているかも分からないのに、これ以上『ここ』から離れてはいけない気がした。


そうして、意識して少しゆっくりと、深く呼吸をする。

なぜ、ここに戻ってきたのか。ここに来た目的が果たせれば戻ってもいいと言い聞かせる。


ーーチャーム、。

失くしたそれを見つけに来た。






頭痛を抱えて、再び桜の木へ向き合う。
その人は変わらずそこにいて、木の下やその人の足元に目をこらすけれど
それらしきものは見当たらなかった。


「………あの、」

「……、」


せっかく桜の木の元にいるのに、その人は下ばかり向いている。

背中を丸めて。
寂しげに。

たったそれだけが、自分の何かを揺るがせてくる。


「……チャーム、落ちて、ませんでしたか?」

「……、」


ねるの声に、なにも返事は来ない。
背を丸めたその人は、反応を示さない。

知らない人とやり取りをするのは得意じゃない。チャームだって、おまけで付いてきたのもだし、なくても別に構わない。友梨奈には見つからなかったといえば済む話だ。

自分の体調だって良くない。
できれば早く帰って休みたい。


この人に、縋る理由なんて

なにもない。




はず、なのに。



「あの、大丈夫…ですか?」


気づけば1歩近づいていて。
言葉は勝手に、相手に送られている。

心配するフリをして
チャームを探すフリをして。



その人に手を伸ばした。





「………近づかないで」

「!」


視線も向けないまま、小さく拒絶が放たれる。
少し低いその声に身体が跳ねるけれど、それは拒否されたからではなくて……その、声に。心臓が締め付けられて驚いたからだ。


「…ぁ、ごめんなさい、」

「……。」

「……………、」


心臓を締め付けるこの感情は、なんだ。
喉を詰まらせる引き金は、どこにある?
指先が震えるほどに冷えるのは、何を求めているっていうんだ。


「……これ」

「!……ぁ、」


思考が何かを追い求める最中、邪魔するように差し出されたのは、探していたそれで。
ねるが手を出せば、ぽとり、と手のひらに落とされる。


「ぁ、ありがとうございます、」

「……、」


終始俯いたその人の顔は見えない。
それでも、僅かなその声も、僅かに見せたその指先も、
仕草も、無言の残し方も、


『この人を知っている』と、ないはずの記憶が酷く押し付けてくる。

ねるが言葉に詰まっていると、その人はそのまま背を向けて
歩き出してしまう。

遠ざかる背に、焦りだけが手を伸ばして。
ねる自身はネジの壊れたおもちゃみたいに動けない。
それは、どこか。

何かを比喩している気さえした。





「っ待っ…て!!」

「っ、」


長い時間、それこそもう手の届かない場所に行ってしまえるほどの時間を動けなかった気がしたけれど
彼女はまだ、目の前にいて、ねるの声に足を止めた。



「あの!っ、私あなたのこと知っとる…ような気がすると!」



瞬きを忘れる。
呼吸を忘れる。
心臓が早鐘を打つ。
指先が冷え、震える。


それは全て、目の前の『彼女』のせいだーーーー












「……私はあなたを知らない。…夢でも、見てたんじゃないですか?」









「ーーー……」







心が抉られる。

この拒絶を、


私は知っている。





『夢でも見てたんじゃーー』
理佐なんか知らん!!


『普通の女の子としてーー』
ねるを何やと思っとーと!!

忘れさせるなんて最低やってーー


『ちゃんと、ねるも幸せだったかな、?』
忘れたくなかよ!、やめて!





ーーーーねえ!りっちゃん!!








「ーーーーりさ、!」

「っ!!」


弾かれるように走り出す。

この記憶はなんだ、とか
この人じゃないかもしれない、とか
勘違いかもとか、
そんなこと、考える余裕もない程に思考は全て目の前の人、渡邉理佐で埋め尽くされて。

ねるはその人にぶつかるように掴みかかる。
握りしめられた手は相手の服を掴んで、相手が体勢を崩しても少しの抵抗を見せても緩みもしなかった。



「渡邉理佐!理佐っ、りっちゃん!!ねる、知っとる!」

「離して…!」

「りっちゃんやろ!っ、!」


脳の中心を叩かれるような頭痛。
止まる呼吸。
でも、それでも。握りしめた、大切だったであろうその人を離すことは出来なかった。もう二度と、離したくない。

なのに、あなたは。


「っ!りさっ、」

「…っ、私はあなたを知らない!」

「ーーなんでっ!なんでいつもねるの嫌がることばっかすると!!」

「っ!!」


「りさは、、っ。」


理佐は。

いつも。



いつも。




愛されてるかを確かめる小さい子どもみたいに、
拒否して、逃げて。

ちゃんと捕まえて抱きしめたって、それに安心なんかしてくれない。
ねるがどれだけ、やだって言っても
突き放して、




「ねるが、どれだけ傷ついとると思っとるの!!」

「っ!、だからーー!!」











拒絶って、痛いと。
拒否って苦しいばい。

好きな人なら、尚更。

する方も苦しいかもしれんけど
される方も、苦しいって、りっちゃん分かっとるかな。





大好きな理佐の言葉は、いつも、ねるの心を抉りよる。

スパって切れる刀のようで、
突き刺さる刃のようで、
刺さったまま抜けん杭みたい。

それが悲しいものやけん、
理佐に悲しい顔させたくなくて。



でも、

好きって言っても、一緒にいたいって言っても
ぎゅーって抱きしめたって
キスしても、肌に触れたって


理佐は…、信じてくれん。



好きって言ってくれても、
一緒にいるよって言ってくれても、

すぐ、離れていきよう。


陽炎みたい。











………そんなんもう、ねる、疲れた。







掴んでいた手が緩む。
触れるのは、空気だけ。

それに、あなたは一瞬だけ戸惑いの色を見せてくる。






まだ蕾の桜の下、
何かが、弾ける音がしたーーー。



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