Wolf blood

「………あ、」

「あぁ、久しぶり」


ねるが平手の家に通されたソファに座っていると、しばらくぶりになる2人組と鉢合わせした。

悪い人ではないと分かってはいるけれど、ねるは前回の件を思い出すとどう対応すればいいのか分からなかった。けれど、相手は気にする様子もなく飄々とねるの出方を伺っていた。


「ねるさん!」


そこに、名の通り光が入ってくる。
気まずい空気は、差し込むように明るくなった。


「ひかるちゃん!元気そうやね!」

「はい!」

「、 あれ?…でも、なんでここにおると?」


少し緩んだ思考がやっと疑問を思い出す。元吸血鬼とはいえ、由依だって元々近寄らなかった場所だ。
あの後、由依はひかるとともに帰っていったと聞いているのに。
なぜここにいるのだろう。


「……呼ばれたんだよ」

「、てちに?」

「あー、まあそんなとこかな」


はっきりしない返答に、頭を傾けているとくっついていたひかるがくんくんと鼻をならしていて
加えて、何故か眉間にシワをよせて怪訝な顔をしている。


「え、くさいと?」

「………?理佐さんの匂い、しませんね」

「……え?」

「由依さんのこと傷つけたから好きじゃないですけど、あのやさしい匂いは好きです」

「……、りさ……?」


ひかるの言葉に、由依も鼻を鳴らす。
少し距離を詰めたところで首を傾げた。


「確かに。理佐と会ってないの?喧嘩?」


2人の会話はさも当然のようで。
ねるは完全に置いていかれている。でも、その違和感は自分のズレだとも分かる。自分が『りさ』を知っていることが当たり前のはずなのだ。


「……その人のこと知っとると?」

「…………は?」


ねるの一言に、由依がひどい顔をする。
可愛い顔をしているのに、とねるは心の中で悲しくなった。

そして、目の中を覗き込むようにして由依はねるへ距離を詰める。
ソファに座っているせいで後ろに下がるのにも限界があったけれど、仰け反るようにして距離を取ろうとした。


「な、なんよ、」

「……はは、理佐、やったんだ、」


上がる口角と、弧を描く目。
雰囲気は柔らかくなったけれど、笑みに潜む影の深さは変わらないようだった。


「ねえ、あなたの番はだれ?」

「つがい?」

「それも忘れちゃったの?」


なんだー、と少し呆れ声をあげる由依に、ひかるもねるも疑問符を浮かばせる。
それを気にもとめずに、由依は少しだけ思考して、再びねるを見る。
いつのまにか、出会った頃の位置に戻っていた。


「でも、平手の番でもないんだね。……このまま逃げられるのも癪だなー、」

「え?」

「昔話をしてあげる。まぁ、昔だから今とは違うだろうけど、根本は変わらないよ」


おいで、ひかる。
そう言って、ねるの座るソファの向かい合わせにある椅子に座る。
ひかるも由依の隣に座った。


「あるところに、でいいかな。まぁそこに吸血鬼なのに血を飲むのが嫌いな子がいたの。血への欲求が少ないのもあったけど、痛がらせるのがやだって言ってたこともある」

「…………」

「それでも、この世界じゃそれは異質だった。その子は必要に応じて飲むようになる。でもやっぱり他からしたら少なくてね、酷い扱いを受けたこともある。ただ、能力だけは買われて利用された」


淡々と送り出される、表面上を表す言葉たち。その色も、深さも、なにも分からない。
その行為は、どれだけその子に傷を与えたんだろう。


「でも、成長して少なからず友人には恵まれたらしいよ。けど、拗れた性格が出来上がったせいでそれを素直に受け入れることは出来ないんだ。 自分にそんな価値があるとは思えないんだって」


傷は癒えても、消えることはない。
それでも、一生背負わなくてはならなくても、形を変えることはできるかもしれない。
だけど、それは簡単じゃない。


「けどね。最近になってやっと、たった1人を見つけられたんだ。その人のために、偉い人の胸ぐら掴んだり、狼と戦争をするとまで言った。自分にそんな価値はないと下を向いていたやつがだよ?ありえないよね。でも、そういうことを、その人の為にできるようになった」


きっと、
どこにでもいる。どこにでもある。

もっと深くて、光ひとつ入らない世界もあるだろう。


そんな不幸のひとつ。


「でもそういうやつってさ、たった1人になんでもできちゃう分、その反動は想像できないものになる。結局、根っこは変わらないんだよ。たったひとり、見つめてくれたやつが、誰かに触れたら……きっと、自分が傷つく前に自分で傷つけにいく」


そんな心当たりはない。責められている訳でもない。

なのに、ねるは
気づけば手に汗をかいていて、心臓が落ち着きなく鼓動を早めていた。



「それが、理佐。渡邉理佐だよ。分かる?長濱ねる」

「ーー、」


それは、他人事には思えないくらいにねるの心臓を痛めつける。

知らないはずなのに、訳も分からずに感情が崩れ落ちそうだった。


「聞き覚えは?」

「……ない」

「懐かしい感じは?」

「……なかよ」

「私を見て、誰かを思い出すことは?」

「ひかるちゃんと、てちくらい」


その人に触れる答えは出てこない。
ただただ、泣きそうになるくらい辛くて、息がしづらかった。

でも、由依がなにを伝えようとしているのかは何となく、分かる気がした。

きっと、『わたなべりさ』にとって自分は『その人』だったんだ。



「私に血をあげたの覚えてる?」

「、うん」

「ふふ、よしよし。それは大丈夫だね。じゃあそれは、なんでだった?」

「……それは、」


なぜ、か。

ねるは必死にあの時のことを思い出す。
思い出さなきゃいけない、そんな追われるような感覚。自分に、追われている。


由依は苦しげに項垂れていて、血を滴らせていた。
醸し出す雰囲気と、その目。
その言葉にーーー、


「…………、」



誰かに、似ていた。
何かを否定したかった気もする。

でも確かに、あの時。
由依を通して、
だれかを、救いたくて、守りたくて。
その人を、大切にしたくて。

でも、それが出来ない自分を、慰めたかった。



「わかる?長濱ねる、」

「………っ、」

「だれかを、思い出していたよね?」


思い出していた?
誰かを?

それが、『わたなべりさ』なのだろうか?



「それは、平手友梨奈だった?」


……てち?

確かに、鋭さや陰りは似ているけれど
その形は決定的に違うのもがある。


助けに来てくれたのは平手だった。
その衝撃に戸惑ってしまった記憶はある。

でも、どこかで。
恐怖の裏に、大事なその人の存在に『抱きしめて欲しい』と願ったんだ。


『それは、平手友梨奈だった?』


………、それはーーー。








「ねる?」

「!、てっちゃん……、」

「……んん、惜しかった」


開きかけた鍵が、思考の中断と共にがちゃんと音を立てて硬く閉ざされる。
平手の登場に由依も姿勢を崩す。さっきまでの張り詰めた空気は薄れて、ねるはやっとまともに呼吸できた気がした。



「こば、何してるの」

「……借りがあるから、ちょっと謎解き手伝ってたの」

「………」


平手の視線に、由依は少しだけ鋭く視線を返して立ち上がる。皺になった服を叩いて、ひかるの手を引いた。

帰ろうとドアを開けようとして、ひかるの手に力が入る。由依が、握られた手に反応してひかるを見ればなにか言いたげな視線とぶつかった。


「なに、」

「………、」


大きく純粋な瞳に、由依はひとつため息をつく。
開きかけたドアを1度閉めて、ねるに向き直った。


「長濱ねる。ひかるがあなたを好んでいるから、最後に1つ、プレゼントしてあげる」

「え?」



ねるに近寄り、あの時、ねるが傷をつけた腕と、由依の歯が貫いた部位に触れる。

傷の癒えたそこは、目には見えなくてもまだ敏感で。
ねるは小さく体をビクつかせた。

そして、さっきとは違う小さな声でねるに呟きかける。



「私たちの中での番っていうのは、絶対なの」


「……、」


「それは誰も代われないし、変えられない。その人の唯1人で、それ以外なんて有り得ない」


「人間の結婚とか不倫とか浮気とは訳が違う。世界で、絶対的唯一。」


「真性だろうが形式からだろうが関係ない。番となったら、その契約がすべてなの」


「なにを怯えたのか、あなたの番はそれを教えなかった。まぁ、……あの性格考えれば検討はつくけどね」


「思い出したら、そいつのこと殺してやったらいいよ。あなたの番はそれくらいの罪を犯したし、あなたはその殺人者として罰せられるべきだ」



















平手邸をあとにして、2人が並んで歩く。
ひかるは誰もいないことを確認して、由依へ不満を漏らす。


「由依さん、ぶっそうですよ」

「ひかるが言わせたんだよ?」

「私はあんなこわいこと言ってほしいなんて言ってません!」

「えー。あんな熱い視線でせがまれたらあぁなっちゃうってー」

「!!っ、表現がいかがわしいです!」

「うわ。ひかるそんなこと思ってたの?やらしい。お姉ちゃん悲しい」

「由依さん!!」

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