Unforgettable.

ーーバチン!

鋭く乾いた音がして、一瞬の出来事に小池が愛佳を止める。



「ちょっと!愛佳止めて!」

「っ……、理佐。何してんのか分かってんの……!?」

「…………わかってる」

「分かってないんだよ!」

「じゃあどうしたら良かったんだよ!!」

「!」


「どんなに最低なことしてるか分かってるよッ!でも、そんなこと私が分かってるとか分かってないとか関係ないじゃん!そうだっていえば良かったの?違うって言ったら良かったわけっ?」


理佐が自宅に帰ると当然のように愛佳が居て。理佐の顔を見るやいなや小池に連絡をした。
連絡を終えて愛佳が口にしたのは『1人で聞いたらキレそうだから止める奴呼んだから』だった。

理佐はそれを無言で聞いて、
少しして小池が土生とともにやってきた。


先程の経緯を一字一句間違えないように話すと、左頬に衝撃が走った。
次いで小池と愛佳の声。

その痛みを、戒めを待っていた気がした。
だから、愛佳を見て安心してしまったような気さえする。

それでも声を上げてしまったのは、きっともう自分の中で耐えるのは限界だったからだ。





あの時、ねるから『吸血鬼』という言葉が出て、決められなかった覚悟を後悔した。まだ、時間があると思っていた。ねるは時間をくれると思っていた。
自分が思っていたよりも、時間は限られていて、ねるを追い詰めていたんだと知った。


問われて、口から出たのは
逃れるためのサイテーでサイアクな言葉で。



それなのに。

ねるが、泣いてたのに
怒るように、私を見つめて、涙を流している姿を
綺麗だと思ってしまったんだ。

その涙は、私のために流れているのかなって。ううん、私のせいで流させてるんだって分かってたけど。

君の心が私で埋まっていることに、私は心満たされてしまった。





「お前そんなんだから……!」
「待って。愛佳」

「っ、土生…」



再び掴みかかろうとする愛佳を止めたのは、土生だった。
2人の間に入り、愛佳と対峙する。そんな土生に愛佳は言葉を飲み込んだ。


「…みいちゃん、理佐と一緒に外出ておいで」

「ぇ、?」


みいちゃんも泣きそうだよ。そう言って、小池の頭を撫でる。小池はそこでやっとひきつる喉と動悸を自覚した。

張り詰めた空気の中、土生の纏う空気感は変わらない。


「土生ちゃん、」

「大丈夫。愛佳にだって力じゃ負けないから」

「はあ?」



心配そうな小池に、やや的はずれな答えを笑顔で返す。気が立っている愛佳を目の前にそんなことを言えるのは中々いない。それでもそう言えるのは、愛佳を信用しているからなんだろうか。








ーーガチャン、

音を立てて玄関が閉まる。土生が愛佳を見ると、愛佳は険しい顔をしながら壁を見つめていた。



「愛佳、大丈夫?」

「…土生はなんなの。小池を守りたいのは分かるけど、今は関係ないでしょ」

「………関係なくない。友達じゃん。一緒にご飯食べた」

「意味わかんない」

「理佐のこと、心配してるんでしょ?好きだもんね」

「………はぁ。土生と話してると調子狂うんだけど」





愛佳はバツが悪そうにソファに座る。
手に取ったそれを土生は素早く奪った。


「タバコはだめ」

「は?なんで」

「みいちゃんが嫌いなの」

「…………ばかばっか」



はぁあと、大きなため息が溢れる。
ため息とともに、入りすぎていた全身の力が抜けていく。

吐いて、吸う。

気持ちを切り替えるには大事な動作かもしれないなと思う。

それでもやはり。

「ね、1本だけ良くない?ベランダ使うから」

「だめ」






◇◇◇◇◇


「理佐、大丈夫?」

「……うん、ごめん。迷惑かけて」



近くの公園のベンチに座る理佐に、氷の入った袋を差し出す。
チラ、とそれを見やるけれど、理佐はそれを手に取ろうとはしなかった。


「……冷やした方がええよ」


そういって、小池は理佐の隣に座り腫れた左頬にそっと氷を当てる。よく見ると口の端から僅かに血も出ていた。
なるべく刺激しないようにしたつもりだったけれど、瞬間、理佐の体が小さく跳ねた。


「あっ、ごめん」

「…ううん、平気」



平気なわけが無い。
愛佳は衝動的に振り上げていたし、
理佐も振り上げる手を知っていながら全く逃げようとしていなかった。

罰を受けようと思っていたのかもしれない。




「……美波」

「っ、なに?」


氷を持っていた小池の手に、理佐の手が重なる。
目が合った瞬間、理佐が何をしようとしているのか分かった。

小池の身体が強ばっていく。



「…冗談やめてや、理佐」

「……大丈夫だよ、『私』にやられたなんて覚えてないから」


理佐は重ねた手を握り、ぐっと距離を縮める。
顔が触れる程までに近くなる。

小池は拒否するように目をつぶる。その脳裏に映ったのは愛してやまない土生だった。
それと同時に、これ以上関係が壊れることがとてつもなく怖くなった。

きっと、自分を襲えば土生は暴走してしまう。そんなことになれば、関係性どころか理佐は命を失うかもしれない。
理由がどうあれ、理佐を失えば愛佳だってねるだってこのままじゃいられない。

理佐はそれが分かってる。
だから、やろうとしているんだ。




そんなこと、冗談じゃない。




「ちゃう!そういうことやない!」



「ーーー………、」



理佐の記憶と小池の言葉が重なる。ねるの涙が脳裏に浮かび、理佐の身体は動かなくなる。

それなのに、何かが溢れるのを止められなかった。小池は震える手を理佐の頬に重ねる。腫れた頬とは反対の頬だったから痛まないはずなのに、理佐の目から雫が零れた。



「理佐。1人でどこかに行かんで。寂しいやんか…」


小池の手を掴んでいた理佐の手が、力なく落ちていく。
氷の入った袋が落ちて、ガシャっと音を立てる。
氷は2人の熱だけで溶けだしていた。






「……理佐は、ねるのこと好きなんやろ…?」



「………」

「自分の気持ちに嘘ついたらあかんよ、」



ぽろぽろと流れていく涙を、小池の指で拭っていく。
誰にでも相手に寄り添うことが出来る、寄り添おうとする。それは小池の愛される理由のひとつだった。



「ね、理佐…大丈夫やから。もっかいねると話ししよ?」



独り静かに、悲しそうに泣く理佐に、ただただ寄り添う。

理佐と小池の距離は縮まった位置から変わらなかったけれど、その涙の本当の意味を小池は知らなかった。














ーーー……ねるが好きだということは、ずっと前から自覚していた。

だから、気づかれないように
ねるにするのと同じようにみんなに優しくした。

もしねるだったら、こうしたい。こうしてあげたい。
それを周囲の人に反映させてきた。


それなのに、どこで気づかれてしまったんだろう。




『理佐、今度ねると夜桜見に行くんでしょ?私も行く』

『え?』

『怪しまれないように、みんな誘おうよ』

『………もしかして、』

『……うん。ねるに決めた』



その笑顔に、絶望したことを覚えている。

もうどうしようもなかった。









ねる、

本当の吸血鬼は、平手だよ。


あの桜の下で
ねるを襲ったのも

図書室で、ねるの名前を呼んだのも


その柔肌を貫き、流れる血を溢れさせたのも。






私はその、片付け役でしかないんだ。


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