Wolf blood


身体に流れる紅い血は、

生命の源であり

その人の象徴であり、

他者からの指標だ。



その血で、体は生き、鼓動し、他人の相性を評価され、差別され、限定される。


そして、


誰かを生かし、誰かを、殺すんだ。


















「いたっ」

「………」

「……わざとやないけん」


小さな枝が、ねるの皮膚にぶつかる。
小さく傷のついたそこからは少しばかりの血が滲んだ。



ーーーくぅん、

「……はぁ。ほんとやめてよ。殺人犯だったらあなたのこと殺しててもおかしくないからね」

「……やって、こんな森ん中歩くんが悪かろ」

「……」


ねるの言葉に、その人は元々深いフードをさらに深くする。影から覗く眼は少しだけ鋭さを増した。

足をねるに向けて進ませてバキバキと枝を割り、近づく。
息の触れそうな距離に、ねるの喉が詰まった。


「……なん、」

「優しくしすぎた?そんな口聞くなんて舐められたもんだね」

「……そんなんやなか、」

「……別に用が済めば、なんだって構わない。あなたが死んだっていい」

「………。」

「人を殺すことを躊躇って、こんなことしない」



こんなこととは、なんだろう。
ただの、といえば語弊があるだろうが、
『人攫い』『殺し』
その人にとっての『こんなこと』が、それに当たるとは思えなかった。



「なにするつもり、?」

「…、」

「まだ、時期じゃないってなん?」

「……黙って」


踏みいろうとするねるの言葉に、その人は拒否を示す。
脅したつもりの相手は、怯むことがない。さすが番といえばそれまでだが
その人は己のやり方に少しばかり後悔する。
もっと固く、威圧的な態度を取っておくべきだった。


「……貴女は、なんでそんなに悲しそうなの?」

「っ、うるさい!!」

ーーガウガウっ

「!!!」


その人が声を荒らげたと同時、狼が鳴く。
『ひかる』とは違う、狼だった。


「、…なに?」

「………ひかる、逃げるよ」

ーーガウッ


気づけばねるたちを囲む、狼の声。草木の陰に隠れて何匹いるかも分からなかった。

その人の声に答えるようにひかるが鳴く。


それでも、その動きを察知した狼たちが一瞬先に動き出す。

地を蹴る音がして、同時。その人が飛ぶ。

突き飛ばされた、の方が正しかった。


「っ!」


倒れた身体に、複数の狼が乗り
捕らえるためか殺すためか。その攻撃は甘さの欠片もなかった


ーーガゥガゥ!
グウウ、ウヴーっ…


「やめて!」


一転した世界に急激な焦燥感に襲われる。ねるの声は、狼の唸り声に掻き消されて意味を成さない。
それでも、自分を攫ったその人を、何故か、殺させてはいけないと思った。

襲う狼を離そうとするけれどただの人間に、そんな力はなくて。
悲しくなる。

攫われて、きっと理佐を追い詰めている。それはずっと心に引っかかっていた。
そして、やろうとすることも非力で出来やしない。

悔しくて、喉が痛い。

その人が目の前で、身を守るために出した腕を噛みつかれ、血を流す。
抵抗する足や腕が、狼に当たるけれどそれは引き剥がすには至らなくて。動いた分だけ傷口が広がっていくのがわかった。


「だめっ、離れて!お願い!」

「っ、」

―――ガア!


唯一の味方がその身に敵を連れながらも
その人を襲う狼へ噛みつき、悲痛な鳴き声が響く。

狼が散らされ、怯んだ一瞬に
その人が狼を蹴り飛ばし体勢を直ささた。

そして、そのままねるの手を引いて走り出す。



「走って!!」

「えっ!ひかるは!?」


その人を庇うように、ひかるは狼と戦う。
ひかるとも別の狼ともとれる鳴き声が耳について泣きたくなった。


「っいいから!」

「きゃあ!」


ひかるを気にして走るせいでねるが遅い。苛立ったようにねるを、その人は抱えあげる。
苦痛に歪む表情がねるの視界に入ったけれど、それが傷のせいなのかひかるを置いていったせいなのか分からなかった。
そうして、人1人抱えたまま、その人は地を蹴りあげ森を抜けた。








◇◇◇◇◇◇◇◇


「っ、はっ、はぁ!っ、」

「なん、なんで!ひかる置いてきてっ」

「うるさい。分かってる、、」


顔がはっきり見えていつの間にか脱げたフードに気づく。綺麗とも可愛いともとれるその顔立ちは、理佐と全然違う。
なのに、やはり。似た雰囲気が拭えなかった。


体を下ろされて、再び腕を引かれる。しばらく先の森林は、少しばかり雰囲気が違う。同じに見えていた世界は、内側から見れば全く違うのだと思えた。

項垂れた姿勢に、荒れた呼吸。
服に滲む紅が、痛々しかった。




「怪我、大丈夫と?」

「……、ほっとけば治る」


……その言葉を、以前聞いたことがある。

それは、ねるの中の何かのスイッチを押した。



「……ねぇ、」


ーー血、飲めば治ると?





ねるの言葉に、その人は目を見開いてねるを見やった。


「ーー……なに、?」

「貴女の言った言葉、理佐から聞いたけん」

「……だからって、敵に塩を送るわけ?」

「そんなんやない。けど、辛かやろ」


この人が何者か、ねるは知らない。

理佐と似てるのは、もしかして吸血鬼だからなのかもしれないと思った。


理佐に似たその人を、放っておけなくて。
理佐に似たその人が、辛そうなのを見てられない。


「はは、馬鹿らし。ありえない」

「……」


理佐に似たその思考を、否定したかった。

あの人はいつも、自分を否定して
周りの優しさも想いも、自分に向くはずがないと思っている。

今は影の潜んだ理佐の思考に、ねるは何故か苛立ってしまった。



それは、もしかしたら。


非力で、

愛しいその人を追い詰めることしかしない自分に苛立って、悲しくて。

そして。



慰めたかったのかもしれなかった。




―――!!

鈍い、それでいてどこか鋭い音がして
ねるの顔が歪む。


「!」

「……怪我しちゃったけん、どうにかしてほしか」


少しして、ねるの腕に熱が集まる。つー、と液体が垂れるような感触に、ねるは少しだけ後悔した。



ねるの視界に入ったのは、鋭利な石の欠片。

きっと、それがなければ。
きっと、ひかるという第三者がいれば

躊躇いを、感じる余裕を持っていたなら。


もう少し、思考を深められただろう。

そうすれば、この先の未来は、有り得なかったはずだった。




石に削られた皮膚から、零れる紅い雫が
肌を伝って地面に落ちる。

その人の鼻腔を、ねるの香りが酷く刺激した。




「……理佐のこと、想ってるの?」

「!」




その声は、あまりに近くて。
熱くて。

くすぐったい。




耳元に荒れた呼吸が触れて、
その距離に気付かされる。

離そうとした腕は、捕らわれていて
引き寄せられる道具にしかならなかった。


「ちょっ、と」

「なに。そこまで誘っといて、今更嫌とか言うわけ?…べつに、いいけど」



悲しい声が、理佐に被る。

ねるは、無意識に。その人の裾を掴んでいて。

愛おしすぎて、感覚が麻痺していた。



ーーーー理佐、。



そこからはもう。ねるの思考は感覚でしかなかった。
その心も思考もすべて、理佐でしかないのに。

現実だけが、異なっている。



ねるが、被り直されたそのフードから覗く口元に雫を当てる。

1度ビクついたその体は、ゆっくりとこわばりを無くし、
その人の口元が開いて舌が姿を現した。

雫を舐め上げるそれに、肌が当てられてねるの体が跳ねる。
ゆっくりと傷口にたどり着いたその人から、

牙が覗き、


ねるの皮膚を破く―――。



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