Wolf blood
『ねる』
「……理佐、?」
『迎えに来たよ、遅くなってごめん』
暗い、闇の中で大好きな理佐の声がして。
長い腕が、ねるに広げられる。
ねるは、喉がひきつりながら、その腕に飛び込んでしがみつく。
「理佐っ、」
『ごめんね、ねる……』
「………?」
ぎゅうって抱きしめてくれるのに、温かさは0で。
聞こえてくる理佐の声が、あまりに悲しげで。
「り、………」
『ねる、好きだよ、……、』
「ーーーっ!」
その瞬間、理佐の腕が解かれて、離れてしまう。
必死に手を伸ばすけれど、想いとは逆に体は重くて動かなかった。
理佐はフードを目深く被ったその人に捕らわれて、
なんの抵抗もなくその身を差し出す。
わけが、分からなくて。
ひどい不安と焦燥感に襲われる。
「理佐っ!!やめて!!」
『………幸せに、なって。ねるはまだ、人間だから、』
漠然と頭に叩き込まれる。
理佐は、ねるのために。ねるを逃がすために、殺されるーー。
まるで、吸血鬼のように。
その人は、理佐の首へ噛み付く。
血を吸うのではない。
ただ、ただ。侵食して、潰す。それだけの行為。
「ーーーーっ!!!」
映画のワンシーンのような。
現実とは受け入れ難い事態。
ねるは泣き叫ぶことしか出来なくて、落ちた理佐の体は、ねるに手を伸ばして
理佐は
どこか満足気に、笑っていた。
「ーーーー!!」
バツンと世界が切り替わったように、ここ数日の付き合いになる天井が視界を埋める。
「……ゆめ、?」
理佐はいなくて。でも殺風景だけれど日の差し込んだ世界があった。
視界は現実を映すのに、思考はさっきの光景に埋められていて混乱する。
理佐の無事を確かめる方法もなくて、怖くて体が震えた。
ーーきゅーん、
悲しげな声がして視線を向ける。そこにはふすふすとねるの様子を伺うように狼が顔を近づけてきていた。
「ー、理佐、おらんとね……」
ーーくう、
悲しげな狼が耳をピクリと反応させたすぐ後に、ゴツゴツと足音が聞こえて、視線を向けた。
目の前にあったドアが静かに開く。
夢を思い出して、期待と不安が過ぎった。
「……起きたの」
「………、」
「うなされてた?汗ひどいよ」
フードを降ろしたその人が、気遣うように言葉を投げてくる。この状況にしているのはこの人なのに、どこか他人事のようだった。
攫ってから、数日。
体の抑制や狼の見張り、行動は縛られているけれど、危害を加えることもなく食事も与えられる。
この人が何をしたいのか、分からなかった。
「起きて。移動するから」
「え?」
「……周りの狼が嗅ぎ回ってるの。邪魔されたくない」
ふっ、と体が軽くなって動けるようになる。
体を起こせば、自分が着ていたであろう上着と、タオルが投げられた。
「!」
「タオル…、顔ぐらい拭いたらいいよ」
「……あなたは、何がしたいと?」
「………」
「なんで、ねるに何もせんの?さらったとに」
理佐に、何かするつもりなの?
そう聞こうとして、怖くて止めた。
あの夢が現実になる可能性すら知りたくなかった。
「理佐のこと、気にしてるの?」
「っ!」
「……幸せそうだったよね、腹立つくらい」
「……」
この人は理佐の何を知ってるというんだろう。
あんなに、苦しんで泣いて、それでも頑張って立ち続ける、理佐を。
「私の知ってる理佐は………、」
「………、」
その人は、その先を紡ぐことはなくて。
感情を押さえ込むように目を固く閉じたあと、冷たい視線へと戻ってしまう。
それでも、切なげなその瞳はどこか理佐を思い出させた。
「………私の目的はあなただよ。長濱ねる」
「……、なら」
「でも、まだ時期じゃない」
そう言った、その人の視線はねるではなく傍に座る狼に向けられて。
『ひかる』と呼称されるその子は、主人の視線に首を傾げていた。
「愛佳、」
「ん?あぁ、平手。どうした」
屋敷内を歩く愛佳を呼び止めたのは、友梨奈だった。
「……野良の件、どうなった?」
「あー。…平手が茜に話してくれたろ?今の所膠着状態だよ。野良が見つかんない限りは綱渡りは変わんないね」
「……狼の話じゃない。野良の話だよ。連絡来たんでしょ?」
「……」
的をずらそうとする愛佳の軌道を、平手は引き戻す。
逃げる、その行為を止めることは出来ないけれど平手にとって自分のすべきこと、したいことは譲れない。
真祖としての役割を全う出来なければ、自分が今支えているものは、いとも簡単に崩れてしまうだろう。
狼との戦争も、あの子の命も――。
それを、誰とは言えない。それは口にしちゃいけない。
互いが存在するのに、存在を認識してはいけない。それが、あの処罰の結果だ。
「……平手」
「ん?」
「私は、今回の件助けてやれない。せっかく幸せになれるところだったんだ。あいつが1番安全な位置にいられるように、周りをどうにかしたいから」
「……それでいいの?」
友梨奈の問いかけに、愛佳は即答出来なかった。
「……守りたいの、これ以上傷ついて欲しくない、」
「……うん、」
愛佳が、何かをしてもしなくても。
きっとあの子はねるを追う。
それがどんなに危険でも、傷ついても、それが死ぬことになっても。
そんなこと、わかっていた。
でも、だからって。
そんな場所に、敢えて協力するようなことはしたくなくて、
傷ついて欲しくない。
守りたい。
笑ってて欲しい。
だからーーー、
それが、あの子のためじゃなく、自分を守るためのエゴだと気づいていた。
「ぴっぴがそれでいいなら、なにも言わないよ」
「………ごめん、」
小池がいたら、しばかれるだろうか。と明後日な思考が降ってくる。
もしかしたら、どこかで怒られたかったのかもしれない。
腑抜けて自分の鎧を着込み、大事な人の本当に大切なことが見えなくなった自分に
全て粉々にして、一緒に立ち向かえと
背中を叩いて欲しかった。