君は、理性を消し去る。
真っ暗な世界は、怖くなんてなくて。
ただ。どろどろに溶けていくような、体が無くなっていくような感覚は極めて不快だった。
吸血鬼は灰になる。それは、ただの伝承だと思い知る。
もし、灰になったら、どこかで聞いた歌のように
君の元に行きたいな。
君の周りにほんの僅かでいいから漂って、時々イタズラに、思い出してと呼びかけて。
君の頭の片隅にいられたなら、幸せだと思うんだ。
でも、
そんなものにはなれない。
どろどろに溶けて、無くなっていく。
存在は消え去ってしまう。
そう、思った。
ーーーアツ、い…
急激に襲われる、
内側からの灼けるような熱。
それと
全身が包み込まれるような温かさ。
溶けたからだは、思い出したように形を取り戻して、指先まで神経が走り思考回路が戻ってくる。
目を覚ませ、そう言われてるかのようにぐいぐいと意識が引き上げられた。
「ーーーー………、」
呼吸に伴って入ってくる空気が、何故か久しぶりのように感じて。
心臓が動いているのが分かる。
大きく息を吐いて、吸って。全身に行き渡るような感覚。
生きている、と思った。
「あ、起きた」
「…まなか、」
声がした方に視線を向けると、親しんだ相手がいて少し安心する。
その1拍あとにあの子との電話を思い出して
暗い世界の入口に気がついた。
あの後。自分はどうなって、今ここに在るのだろうか。
「私、どうしたの?」
そんな疑問に、愛佳は嫌な顔を隠さなかった。
「枯渇したんだよ、阿呆」
「あほ……」
『バカ』ではなく、『阿呆』…。
その違いが明確に分かるほど知識はないけれどその区別になんとなく傷つく。
呆れたように愛佳はため息をついて、土生を見やった。
「体は?」
「え?あ、いい感じ…」
『まだマシ』程度ではあるけれど、そこまで悪くない。暗い世界に入るまで引きずっていた衝動も、苦しさもない。
あの子を考えても、理性はある。
「どんだけ我慢してたんだよ」
「…ごめん、」
でも、それは枯渇した体に血が入ってきた証拠だった。
あの熱は、どこの、誰のものだったのだろう。
「血、くれたの小池だよ」
土生の疑問が見透かされていたかのようにタイミング良く答えが降りかかってきて
土生は無意識に呼吸を止めた。その言葉を処理するためには脳を動かさなければならなくて、脳を動かすには、酸素が必要なのに。呼吸は止まって、唾が溜まる。
その不快感がやっと唾を飲み込ませて、呼吸していないことを気づかせてくれた。
「…吸血鬼とは言ってない。ただ勘づいてはいるとは思うよ」
「……そ、か」
そのことになんとなく、気づいてはいた。
気づくのが怖かったんだ。
あの子は、あんな風に電話が途切れたら
相手が誰であってもきっと駆けつけてくれる。そういう、優しい子なんだ。
でも。相手が誰であっても全力で走ってくれても。
『血を渡す』そんなことをした、その後に。あの子は自分に会ってくれるのだろうか…。
『番』は、運命だ。
けれど、運命ほどあやふやなものも脆いものもないようにも思えて、
小池美波という存在が、気づけば手の届かない場所へ遠ざかってしまいそうで怖い。
『番』である相手がいなくなれば、それはーー。
「…死にたかったの?」
反射的に愛佳を見る。
ドクっと跳ねた心臓は、その思いを反映させた気がした。
別に自ら望んだものでは無い。そうなってしまうんじゃないかという、寧ろ恐怖に近い。
けど、それすら
愛佳には怒られる気がした。
そう思うなら捕まえればいいと、弱気な自分が怒られる。そんな予感。
「…ううん。ほんとにみいちゃんのことばかり考えて、枯渇に気づかなかった」
「……そう、」
嘘じゃない。これは本当だ。
死にたかった訳でもない。
でも、ーー
『ごめん』
そう言いかけて、お互いそれが禁句のようにその言葉を発さない。
何が、ということも無く、ただ言ってはいけない、言うべきではないと思っていた。
「みいちゃん、何か言ってた?」
「いや、ただすごい心配してたよ、土生のこと。存外、両想いなんじゃないの?」
「……それだったら嬉しいけど、多分違うよ」
「…」
『番』だから、惹かれ合う。
土生の想いは確かに好意であり、きっと恋愛感情でもある。
けれど、それは番に対しての本能的な部分があるのは否定できないし、
小池の想いも、それを鑑みれば『好意』とも『両想い』とも思えなかった。
「いつもの『大丈夫だよー』じゃないんだ?」
「あはは、そんないつも言ってる?」
「言ってるよ」
少しだけ、明るく振舞った土生に
愛佳が真面目な顔をして真っ直ぐな視線を送る。
「あたしは、それに救われたりしてる」
「………、」
イラつくこともあるけどね
そうイタズラする子供のように笑う愛佳を見て、土生も笑った。
ドク、
と体が脈を打つ。
生きている。と思う。
それと同時に、生きるための渇望が生まれる。
みいちゃん。
君の想いが同情なら、どんなに残酷なんだろう。
この欲望と、また闘わなければならないんだ。
もう二度と会えなくなったなら、私はどれだけ人の血を飲んでも満たされることもなく飢えと共に生きていくことになる。
でもきっと、
どんなにそれが苦しくても
私は、この身を捨てられもせず生きていく。
この身に流れる、僅かな君の血に縋って。