Succubus
理佐に会いたかったけれど、その理佐のために、理佐が安心できるように
解決しておきたいことがあった。
大学に着いてその人を探そうと、人の集まるラウンジに来て、すぐ。
本当に、すぐ。声を掛けられた。
「……わかっとったんですか」
「何となく、ですよ」
『元カノ』から。
座る気にも慣れず、立ったまま話をする。
言うことも話すことも、決まっていた。
「理佐はどうしてます?」
「言う必要ないですよね」
「…教えてくれないんだ?それとも、知らないの?」
「………」
笑みを零す、その顔が。
服から覗くその手が。
目の前にある、全てが。
理佐に触れたと思うと、いらだって仕方がない。
「それで?私になにか」
「…理佐に、もう関わらんで」
「ヤキモチですか?」
「茶化さんで!理佐に何しようとか分かっとうやろ!」
苛立ちが声を上げさせる。
感情的になるべきでないと分かってるのに、どこか自分を守るように相手を跳ね返そうとする。
それは、相手に言い当てられているからだと気づきたくなかった。
ねるの言葉をひとつの区切りにするように、その人はねるへと言葉を仕掛ける。
「…Succubus」
「!」
「リリイデーモン、淫魔、」
「……なに、」
「先に男性を襲って、それをまた女性に介す。悪魔の一種。…別に、そんなもの信じてるわけじゃありませんけど、」
何でもないその存在が、目の前に現れる。そんなこと思ってもなかったと言いたげだった。
それが、あまりにも身勝手に感じられる。
その存在自体が悪なのだと言われているようだった。
「ただ。襲われた側の気持ちは分かる気がするんです。……理佐を相手にすると、私は止まれない」
白い手が、彼女の視線に上がって何かを思い出すかのようにその指を見つめる。
想像もしたくないことを連想させられていく。
その指に操られている気さえした。
「そのために、誘うことも、襲うことも、止められない。フェロモンなのか雰囲気なのか、私も分からないんですけど」
彼女の物言いは、すべて彼女中心で。
理佐がどれだけ苦しんだのかさえ思考の外。
理佐の想いなんてどこにもない。
体に力が入りすぎて軋む音がねるの耳に届く。
それはどこにも届かない、微細で、僅かな音だった。
「…だから、理佐を襲ったと?」
「…はい」
軋んで、固まって。
声が、震える。
苛立ちは、いつのまにか形を変えていた。
「っ…あなたの、理性が弱かったこと、理佐のせいにせんで…、」
「、」
「理佐はサキュバスでも悪魔でもなか。普通の人ばい。すごく優しくて、一生懸命で、いっぱい考えてしまう人と」
だから、傷つけてしまった。
なのに、ひたすらに手を伸ばして、引き寄せてくれる。
その中はあまりに心地よくて。
泣きたくなるんだ。
「好きって感情で近づいて、それがどんな形ででも叶ったとに、ねるのせいで散ることになるけん、理佐を襲ったとやろ」
甘えてばかりのその腕を、守らなきゃいけない。
その腕が、これ以上傷つかないように。
「ヤキモチ妬いたんはそっちばい。理佐を悪者にせんで!」
しん、とする空気。
僅かに、遠くからの話し声がする。
相手は、その声に耳を澄ませるかのように視線を向けて
ねるを見ることなく、言葉を漏らした。
「あなた、色んな人とシたんですよね?」
「!」
視線は未だねるに向かない。
それは、相手にすらしないと言われているようだった。
「噂、本当なんですか?なのに、そんなこと言えるの?」
「……関係なかやろ、」
「Succubus、悪魔。、あなたの事じゃないんですか、」
「っ、なに、」
「色気振りまいて、誘って。男の人ばっかりだったみたいじゃないですか。男の次は女?サキュバスのまんまですね。理佐もその1人なんでしょ、」
「ちが!」
「理佐は、あなたみたいな人といるべきじゃない!」
バクバクと心臓が暴れ出す。
次々と向けられる刃が触れられたくない部分を抉ってくる。
理佐を守る。その意思は変わらない。
でも、
自分を守る。その術は、何も無かった。
だって、今まで、どんなに傷ついて傷つけてもいつだって、理佐がいたから。
「っ、ねるは、理佐がーー」
「好き?誰とでもしてきた人が言ったところでなんの意味もないでしょ」
ざわざわとした、周囲の雰囲気から嫌な視線を感じる。
心が乱されて、『サキュバス』が漏れ出す。
絡みつく視線が、キモチワルかった。
「ー……っ、」
逃げたい。
逃げちゃいけない。
この人をこのままにして、理佐は守れない。
「、」
「ああ、でも、いいですね。その顔、その涙…唆ります…。ほんとに、淫魔なの?理佐の代わりに、私が抱いてあげますよ、?」
熱を持った視線が増える。
思考が絡み合ってがんじがらめになって、解き方が考えられなかった。
相手はねるのこと、『Succubus』とも『悪魔』とも知らないのに、言い当ててくる。
でも、それは相手の中ではただの例え話だ。
なのに、それは該当してて。
突かれた真実が、心を乱す。
でも、『違う』
そんなんじゃない。
ねるは、理佐が好きで。
理佐は、ねるを好いてくれてて。
あの、熱いキスも、抱擁も。
確かにそこには感情があった。
「……っ、ねるは、理佐が好き、」
「…だから、」
「理佐のこと決めつけんで」
「、」
「理佐が好きじゃないならねるは諦めるけん。」
「襲われてる人間には、そんな選択肢ありませんよ」
ーーー、そう、なのだろうか。
理佐は、ねるに当てられているだけで。
その感覚に、惑わされているだけ?
その思考は、いつかに理佐を傷つけた。
悲しい涙を、流させた。
分かってる。
この思考は、その可能性は、理佐をまた泣かせてしまう。
守るなんて、出来なくなる。
なのに、
目の前のその言葉に、心は抉られて。
肯定するかのように、涙が、溢れ出す。
泣きたくない。
言い返したい。
理佐を、守りたい。
けど、涙を止めてくれるのも、拭ってくれるのも、理佐だった。
腕が掴まれて、体が跳ねる。
相手にしていた彼女は、明らかに欲を昂らせていた。
「は、なして、!」
「いいから。理佐のこと、諦めて。仲良くしましょ?」
振り払うことも出来ない。
体は震えて力が上手く入らなくて、涙で視界は朧気で、
近づく気配に気づかなかった。
「ねるを離して」
「ーーー、」
ぐっ、と体を寄せられて、自分より背の高い体に押し付けられる。
掴まれていた腕は、予想外な存在の登場で力が緩んだのか
その人の手で引き離された。
「…り、さ…、」
「選択肢ならある。あなたが思ってるより、私って我が強くてさ」
「……」
「ねるが好きだって気持ちは、そんなことに惑わされない」
なんで?
どうして??
疑問ばかりが浮かんで、支えて守るように腕を回す理佐に、しがみつくことしかできない。
でも、そんなねるに。
理佐は回した腕の力を強くして、応えてくれた。
大丈夫だよって、好きだよって、言われている気がした。
理佐「……ごめん、傷つけたね」
「……、」
理佐「もう、分かってるよね。これ以上はもう、ないよ」
「……なんで」
理佐「ねるのことが好きだから」
その言葉に、もう傷つかないようにと固く硬く固めた心が包まれていく。
理佐の腕の中は、優しさしかなくて。さっきとは違う涙が溢れ出す。
それは確かに、理佐だけに伝えたい涙だった。
理佐「…正直、ここにたどり着くまでに色んなことがあったよ。考えすぎてお互いを傷つけたりした。でも、だから。これからは守りたいの、ねるのこと」
ねるが視線を上げれば、理佐の横顔が映る。
その目は、相手を真っ直ぐに見つめている。
あまりに綺麗で、かっこよかった。
「私は、あなたのこと好きじゃない。この関係も、……終わりにしよう」
『元カノ』と名乗ってきた女性は、そんな理佐を見て
悲しげに顔を伏せた。
そうして、ゆっくりとねるに頭を下げその場を去った。
いつのまにか出来ていた人集りも、ねるの心が落ち着くと共に少しずつ捌けていく。
それでも残った人達を理佐はひと睨みして、ねるの肩を抱いた。
「……ねる、大丈夫?」
「…うん、ごめん、」
「とりあえず帰ろっか、」
何となく、最後のやり取りのせいで気まずくて、真っ直ぐ理佐を見ることが出来ない。
けれど、理佐は優しく手を引いてくれて。
ねるたちは大学を後にした。