Succubus


「愛佳から、話聞いたよ」


そう言われたのは、理佐に『ここにいて』と言われてから数日後だった。
その間、何故あの時理佐の隣にいることが出来なかったのかとねるは後悔と自責ばかりに埋められて
でも、その後悔と自責は、誰のためなのかと自問自答を繰り返していた。


理佐のため?

それとも、元カノに張り合ってる?
淫魔とかサキュバスに対して?

自分を守るためなら、最低だと思う。

けれど、どんな理由であれ理佐を否定したあの行為に、理佐のためだとすることが出来なくて。螺旋階段のようにグルグルと回る思考は止まることがなかった。




冬優花から『ランチしよう』と連絡が来て、何となく、何を言わんとしてるのか分かって指定された日時を予定に入れた。
滞った思考をそのままにして、待ち合わせ場所につく。
メニューを渡されて、店員が去った後冬優花は口を開いた。


「愛佳から、話聞いたよ」

「………うん」

「なにしてたの、ここ数日」

「……なんも、しとらんかった」


冬優花は、自分を叱るだろうか。怒るだろうか。
あんな状態の理佐を放って、自分は殻に閉じこもっている。優先すべき物は分かるのに、しがらみに囚われる。


「ごはんは?」

「…え?」

「ご飯はちゃんと食べてる?」

「あ、うん、」

「夜は?寝れてんの?」

「…、うん」


予想外の問いかけに驚いてしまう。
だって、他からしたら
優先されるべきは被害者の理佐で。
自分は本来、もっとやるべきことがあるはずだった。


だから、あまり眠れてないことも、食事があまり通らないことも言えなかった。


「…なら、いいけど」


でも、冬優花はそんなのきっと気づいてる、とは思った。

サービスで出された水を、冬優花が一口飲む。コップの周りについた雫が、ぽたぽたとテーブルを濡らす。

それに目を取られているうちに、冬優花はまた口を開いた。


「…理佐、食べてないって」

「っ、」

「あんまり、眠れてないみたいだし」

「……りっちゃん、が?」

「他にだれがいんの。」

「………」


コト、と置かれたコップ。
水は当然ながら減っていて、雫はコップの動きに伴って下へ下へと降りていく。
それはどこか、涙のようにも思えた。

理佐は、泣いているのだろうか。


食べてないことは、一種の自傷行為だと唐突に思い出す。
細いあの体がより痩せてしまうよ。
眠れないって、あの人を思い出してるの?それとも、ねるのこと、考えてくれてる?

ああ、やっぱり。
理佐より自分のことを考えている。

理佐の心配だけ出来たなら、貴女に正面から向き合えるのに。
そうしたら、貴女を抱きしめられるのに。



「…理佐はねるのこと、待ってるんじゃない?いい加減、行ってあげなよ」

「……けど、」

「理佐はねるを待ってる。それだけで、充分でしょ?」

「ーーー…、」



鼻の奥がツンとして、言葉がでなくなった。

理佐はここに居てと言った。

なら、それ以外に
ねるが考えなければならない事など無いはずだったのに。

握りしめた手に爪が刺さって痛む。
あの時握った理佐の手と、体をビクつかせた表情を思い出して苦しくなる。怖さを、象徴させるように握ってしまった。
ねるを拒否してるんでしょうとこじつけてしまった。

きっとあれは、『元カノ』に易々と触れられた理佐に怒っていたんだと今なら思う。

それはきっと、ただのヤキモチで。
それはきっと、理佐を傷つけた。



「……うん、」

「でもまずは食べな!食べてないのも寝てないのもバレバレだからね!そんな顔で恋人に会いに行かない!」

「っ。うん」



ーー恋人。

サキュバスとか、元カノとか、夢がどうだとか。自分と理佐がどうとか、
気にするのはそんな事じゃないんだ。

そんなの、どうだっていいのかもしれない。
少なくとも今は、それを考えることに意味なんてなくて、むしろ捨ててしまった方がよかった。


冬優花の言葉が、絡まったしがらみを一蹴する。

メニューを開くために退かされたコップは、冬優花により雫が拭き取られていた。
けれど、手元のコップは動かされずにいたせいで、全身に雫を纏ったままだ。

もしかしたら理佐は、
全てを抱えて、泣くことも出来ないのかもしれない。


ーー理佐に、会いたい。














「りーさー!」

「………なに、」

「何じゃないよ、ごはん食べなさい!私が気持ちを込めたこのお粥を!」

「………食べたよ」

「嘘つけ!」

「………」



突きつけられたお粥は、既に冷めてしまっていて愛佳に申し訳ないと理佐は思う。
それでも食べる気にはなれなくて。
何度かスプーンを持って、口元まで運ぶ。
口を開ける所まで行ったところでそこから先に行くことは無かった。
『食べる』ということに、抵抗すらあった。


「……ねえ愛佳、」

「あ?」


愛佳が持ってきてくれた時、それは温かく香りを放っていて。きっとそれは幸せなことなんだと思った。

でも今は、己の心のように何も感じさせてくれない。
でも。そうしたのは、自分自身だ。


「考えさせてって、なんだと思う?」

「………、」

「ねるは、なにを考えたかったのかな…」



もっと強く、拒否出来ていたらよかった。

自分より、あの子より、
優先したいのはねるだったのに。

なのに。

『もう終わりにしよう 』という言葉があまりに剥き出しの刃のようで、
自分を重ねて抱いた、あの子に向けるのことが出来なかった。

きっとそれは、同情というやつで
なんの好意も持っていなかっただろう。


何が大事かと問われたら、『ねる』だと答えられる自信もある。

でも、結果、今の事態に陥った原因は自分で。
いくら荒んでいたとしても、
いくら『抱いて』と求められたとしても

してはいけない事だった。
そのツケが今、自分に向いているんだ。



「……」

「理佐、飯食え」

「、食べたくない」

「何をそんなに責めてるんだよ、悪いのは向こうだろ」

「ちがうよ、私が」

「理佐が何したって言うんだよ!」

「!」


強い口調で放たれて、体が跳ねる。ぐちゃぐちゃな思考がビリっと痺れる。

顔を上げれば、愛佳は怒っているような、でも泣きそうな顔をしていて理佐は訳が分からなかった。

泣かせてしまう要素があっただろうか。
なら、怒っているのか。
でも、怒られているわけじゃない、とその目を見て感じられて、言葉が出ていかない。

どうしたらいいのか、わからなかった。


「まなか、?」

「…やったのはあっちだろ。ねると付き合う前に何があったかなんて知らないけど、それは同意の元だったかもしれない。でも今回は違う。理佐は触らなかった。襲われたんだ。それを、理佐がどうこう責める必要なんてない」

「………っ、」

「理佐が自分を傷つける必要なんてない。」


まっすぐな目が、理佐を見つめる。

ぎゅうぎゅうに押しつぶされてかけていた心が、泣き始めるのが分かる。


ーーー…ねる。
ねるは、そう思ってくれるかな。
君に、そう言ってほしかった。

君にだけは、離れずに、その手を離さずにいて欲しかったんだ。
そんなの、我がままだって、分かっているけれど

『理佐は悪くなかよ』

そういって、抱きしめてほしかった…




離れた手と、その表情が
喉元を締め付ける。

息をすることすら、許されない気がした。









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