君は、理性を消し去る。


「土生ちゃん?っ、土生ちゃん!!」


スマホを持つ手に力が入る。
ゴトっと重い音がしてから、声は聞こえなくなってしまった。


「えっ、何?どないしたん!?」


慌てた小池の声に、返事は返ってこなかった。
無機質な音が小さくして、通話が繋がっていることだけはわかる。


「ーーっ、土生ちゃん!」


でも、それは通話が切れたとかそういう事じゃなくて、確実に土生に何かがあったということにしかならなくて。一層不安が大きくなる。
頭が真っ白になって、体が震えて、どうすればいいのか分からない。
返ってこない声に縋って、何度も声を上げる。



ーーー『……みいちゃん、』


「………っ!!」


気のせいかもしれない。
それでも、小さく、微かに、そんな声が届いた気がした。




土生に大きく一言だけ送って、通話を切る。

震える指にスマホは正確に反応して、小池の求める人物になかなかたどり着かず不安は苛立ちにもなる。


「っ、なんなん!ちゃんとせえよっ」


誰でもない自分に叱責する。
早くしなければならないのに、不安で指先が震えて言うことを聞かなかった。

何度もやり直して、何とかその人へたどり着く。



『はーい、』

「おだっ、だに!」

『んん?どしたー?』

「土生ちゃん!はぶちゃんが!なんかあったみたいでっでも
うち土生ちゃんち知らんで!だにっ」


早く早くと求めるばかりに、早口で内容も薄い。
それでも、織田は受け止めようとしてくれる。


『落ち着いて。美波。大丈夫だから』

「やって、電話しとるのに途中から返事返ってこおへんようになって……!」

『うん。わかった。ちょっと待って』

「………!」


電話口の声が遠のいて、織田が誰かと会話しているのが分かる。
自分が焦っているのは分かっているけれど、ペースを崩さない織田が何故かもどかしかった。


『小池さん?』

「えっ!、」


急に聞きなれない声がして、混乱する。
でも、聞き覚えがあるような気もした。


『ああ、ごめん。渡邉理佐です。分かるかな、』

「わたなべ、?」

『うん。土生ちゃん、私が行くよ。家分かるから』

「っ!待って!うちも連れてって!」

『でも、』

「お願い!こんなん待ってられへん!」

『……わかった。私達もその方がいいし。ただ、何かあったら言うこと聞いて欲しい。それだけ約束して』

「うん!約束する!」



迎えに行くから、と近くのコンビニを指定される。
小池は上着とスマホ、玄関で家の鍵を握りしめた。

ーーみいちゃん、どこ行くの


親のその声に、体がびくつく。悪いことをしているつもりは無い。けれどこんな時間に外へ出ることも滅多になかった。


「っ、友達んち!急用らしくて!行ってくるわ!!」

ーーえ、こんな時間…ー



制止がかかる前に飛び出す。
理佐がどのくらいで待ち合わせに来るかも分からなかったけれど、必死で走った。








「!、小池さん、」

「っ、は、はぁっ、、」

「大丈夫?」


息が切れて気管が痛みを訴えてくる。
それでも、止まることなんて考えられなかった。


「っ、だい、じょぶです!早く、土生ちゃんのとこっ!」

「……うん、行こう。先に愛佳に行ってもらってるから慌てないで」

「っ、は、はぁ、……そ、なんや、」


でも、不安も焦燥感も消えなくて
息を落ち着かせようと呼吸を深めにするけれど心臓が落ち着くことはなかった。

土生が今どうなっているのかばかりを考えていた。




アパートに着いて理佐の後に続いて土生の部屋に入る。
土生の部屋にこんな形で入るなんて思ってもなかった。

中に入ると、いつか見たその人が土生の横に座っていた。


「愛佳、」

「ああ、理佐。あと、小池さん、」

「っ、」



恐らく、志田の手によって。
土生はベッドに横たわっていた。

遠目で見ても、顔色が悪い。
息をしているのか不安になるくらい生気が感じられなくて
不安が恐怖になる。


小池「土生ちゃん、大丈夫なんですか!?」

愛佳「………」

理佐「……愛佳」

愛佳「……うん、限界、だよね…」


愛佳が深めにため息をつきながら零した言葉に、小池の心臓が締め付けられる。

『限界』ってなに。死ぬってこと??


表情を曇らせた2人が小池へと視線を移す。
その視線に、息が詰まった。


小池「なん、…なん、ですか」

志田「助けたい?」

小池「え?」

志田「……土生のこと、好き?」

小池「なっ!今そんなん話しとる場合とちゃうやろ!!」


急な言葉に驚いて、慌てて話題を否定する。小池には、今は土生が無事なのかが最優先で、そんな色恋話をする気はなかった。


理佐「まなかっ」

愛佳「え、ごめん」

理佐「ごめん、愛佳も悪気はなくて、」

小池「っ」

理佐「……土生ちゃん、、私たちにも、まだ小池さんには言えないことがあるの。だから、詳しくは言えないけど、小池さんが土生ちゃんのことどう思ってるかはすごく重要なんだ、」

小池「っ、」

理佐「同情とか、そういうのいらないから」

小池「………」

理佐「小池さんの、今後にも関係する。だから、」


そんな恋愛感情を抱くほど、関わってない。
好きとか嫌いとか、そんなに思えるほど彼女のことを知らない。



小池「好きとか、知らんよ」

理佐「………」


奥で横たわる土生が視界に入る。


「……やって、土生ちゃんのこと、なんも知らへん。会ったばっかりやし、」


でも、向けられている好意が自分に向かなくなったら
悲しい。


「教室で起きたことは、訳分からんし」


いうなれば、それは

執着心にも似ている気がする。


「………でも、」


綺麗で、かっこよくて、

少しだけ怖い。


警戒心を強める一方で、
とても惹かれている。


貴女ともっと、話がしたい。


「ここでお別れなんて嫌や……」


何故か、泣きそうになる。
土生との別れを考えただけで心は悲鳴をあげようとしていた。

自分の答えは、勝手だと思う。
でも、『好きだ』とはっきりしない心を偽って土生に向き合えるとは思えなかった。



理佐「愛佳、大丈夫だよ、きっと」

愛佳「……まぁ、ね。だとは思うけどさ」

小池「………」


何を思ってるのかはっきり表さないまま、物言いたげな雰囲気を纏って愛佳は小池に向く。
視線は重なるけれど、あまりいい表情ではなくて小池は悪いことをしている気分になった。


愛佳「…小池さん。土生は枯渇してる」

小池「こかつ…?」


でも、伝えられる言葉は真実のようで。
否定も邪険もされていなかった。


愛佳「そう。ちょっと特殊な身体でね。……人の血が必要なんだ」

理佐「………」


小池に、手のひらの傷を触れられた記憶が蘇る。
あの時も、血が必要だったのだろうか。


小池「ウチの、血?」

愛佳「…うん」


教室での出来事、紅い眼、狼、……血。
どこかで、聞いたような、物語の中のような、感覚。

有り得ない、
気持ち悪い、
怖い。

そういう思いを抱えてもおかしくない。

だから、土生をどう思ってるのか聞かれたのだ。

けれど、小池の中に戸惑いはあっても不思議と嫌悪はない。
きっと、他の誰かだったら嫌だと思った。
土生だから、覚悟ができる。


「………ええよ、」


それは、人に言わせれば『好き』以外の何物でもないのかもしれない。
でも、今はそんなことどうでもよかった。



「どないしたらええ?傷、作るん?」


真っ直ぐな眼が2人に向けられて、それが偽りや同情でないことが伝わる。


「………理佐」

「うん。」



ごめんね、

そう言って、理佐は小池の手を握る。


プツっと小さな痛みが指先に走って、じんわりと熱くなる。
赤い雫がじわじわと滲み出た。

それは、手を下にすれば滴るほどで


小池を土生の元に誘導し
口元へと指先が持っていかれる。


「……っ、」


青白いその顔に、背筋が冷たくなる。
生きている、のだろうか


滴った雫は、土生の口腔に流れ
土生の喉元が動く。

もっと、と強請るように口が薄く開いて

不安げに視線を上げれば、理佐の安心させるような顔にぶつかった。


理佐「大丈夫。あと少しでいいから」


少しだけ微笑んで、優しい声がかけられる。


理佐にそっと手を握られて、自分の指先は土生の唇に触れた。


「っ!」

「……、ん…」


土生から声が漏れる。
自分の顔に熱が籠るのを感じながら、不安と焦りで硬くなっていた気持ちがゆっくりと解れていく。




顔色が戻って、小池は指を戻す。
と、同時
ティッシュで血を拭いてくれたかと思えば、理佐の手に包まれた。



「……渡邉さん?」

「…うん、いいよ。手洗ってきて」


言われて洗面所につく。
手を洗って、傷を見ようとして気づく。傷は綺麗に無くなっていた。


「え、なん、で、?」



よく分からない出来事。
常識や普通という言葉では繰繰れない現実。
それは確実に、目の前の日常を侵していく。




理佐「おかえり。」

小池「渡邉さん、これ……」

理佐「私も、ちょっと特殊なんだ。それはお詫び。」

小池「………」

愛佳「……、土生、明日には目覚ますよたぶん。小池さんどうする?」

小池「えっ?」

愛佳「学校は明後日からだし、ここで起きんの待っててもいいし、学校まで待っててもいい。どのみち土生も学校には行くだろうから」

「…………」


チラ、と視線を移せば
色の戻った土生がいる。

その目が開いた時、出来ればそこに居たい。


小池「待っとってええかな、心配やし」

愛佳「うん。じゃあーー」


頼んだよ、そう会話が終わるタイミングでそれを阻止するように小池のスマホが鳴動する。


小池「うわ、」


液晶画面を見て顔を歪める小池に、愛佳と理佐もこの先の展開に予想付く。


理佐「土生ちゃん1人には出来ないよね、」

愛佳「そうだなぁ、小池がいてくれりゃ色々都合よかったのに、」

理佐「そうなの?」

愛佳「え?あ、………だってほら、番として早めに繋がれた方が土生だって苦しまないでしょ」

理佐「……そっか。まぁ、確かに…」


イマイチぴんと来ていない理佐の心理は『私には分からないけど』という劣等感で、
それに気づいた愛佳は罪悪感に埋められる。


ーー理佐に相手が現れるよ
ーーぴっぴは受け入れられる?

ーーそれが理佐のためになるのなら……



それは。本心だった。

そういう存在がいるのなら、早く現れて欲しいとすら思う。
理佐には、笑顔でいてほしい。

それが、叶わないのなら
私は、理佐とーーー



小池「ごめんなさい、帰らなくちゃ行けなくなって」

理佐「親御さん?」

小池「うん。友達んち泊まるって言うたんやけど、急で許してくれんで…」

理佐「いい親じゃん、心配してくれてるんでしょ?」

小池「そう、やけど…」

理佐「小池さんのおかげで、土生ちゃんは大丈夫だよ。私達も一応どっちかは残るからさ、心配しないで」

小池「………すみません、」





小池は荷物を持って土生の家を出る。
愛佳を残して、理佐が送ってくれることになった。

待ち合わせたコンビニにまでと小池は提案したけれど理佐は家まで送ると譲ってくれず
結局コンビニを通り過ぎ、さっき小池が1人走り抜けた道を2人で歩く。

あれこれと頭の中に話題は浮かんだけれど、どれもしっくりこなくて口から出ることは無く
大した会話もないまま自宅へとたどり着いてしまった。


「あの、渡邉さん、ありがとうございました」

「…いや、気にしないで。…土生ちゃんも愛佳がついてるし大丈夫だろうから、あ。」

「え?」


スマホを取り出した理佐が『連絡先交換しよ』と言う。


「なんかあったら、連絡して。」

「あ、うん」

「………ほら、あの、土生ちゃんとかさ。今日はたまたまだにと居たから良かったけどさ、」

「、うん。ありがとう」


土生ちゃんからなにかあったら、
ではなく
土生ちゃんに何かあったら、

のニュアンスに安心する。

織田に連絡したとき、関係性に不安はあった。
事実、織田は来なかった。怪我のせいもあるとは思うけれど、土生が『特殊』と言われるのと織田の『狼』であることが関係しているのだろうか。



「…じゃあ、気をつけて」

「うん、」




気をつけて、の何気ない一言。

それが、織田に告げられた『気をつけて』に重なってどこか不安になる。

分からないことが怖くて、
先が予想できないことにまた不安になる。

何となく、当たり前だった日常がちょっとずつ変化して。

ありもしない出来事に怖くなる。


『気をつけて』

土生は、自分に危害を及ぼすのだろうか。


土生を目の前にして迷いのなかった自分が嘘のように
小池の世界は、迷いと疑心、不安と恐怖を纏っていた。

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