君は、理性を消し去る。


隣の席は、しばらく空いていて。
それが酷く気がかりで、初めて会った時あなたに怖いくらい惹かれたのを
しばらく忘れていた。

自分の傷口に、血に、欲を顕にした時も、
戸惑ったのは、心臓を叩く感情が恐怖だけじゃなくて、
その眼に、存在に、欲に、

興奮していたから。






「ーーー………」


目が覚めて、布団から顔を出す。
自分を見つめ直すような回想の夢。

夢は、脳が記憶を整理するために起こるものとも言われていることを唐突に思い出した。


「………はぶちゃん、」


あの、紅くて綺麗な眼は
自分以外にも向けられているんだろうか。

欲を隠しきれない、そんなこともよくあるのだろうか。


「…………」


もや、とした蟠りを感じて、
でも、と思い返す。

土生と小池の間には、そう大して思い出はない。
ヤキモチを妬くほどの、他の誰かに嫉妬するほどの関係性などないはずだった。


あるのは、

会う前からその存在に惹かれていたこと、

会ってから、恐怖と入り交じりながらその存在に魅了されたこと。

そして何故か。土生に、友情ではない好意を向けられていること。


ただの、本能と感情の話でしかない。
そこに、なんの思い入れもない。



「……それで、惹かれるとか運命やん」



ため息混じりに笑いをこぼす。
そんなのは夢物語だ。きっとまだ、夢見心地だからそんなことを思うんだ。そう考えて、朝のルーチンをこなすべく、小池は布団から這い出た。



◇◇◇◇◇




ーーー電話がくる。
たったそれだけの事に、ずっとそわそわして
スマホをずっと気にしてた。

夜になっても電話は来なくて、1日がとてつもなく長かった。

まだ、早いから電話来ないかな。が、もう来るかも。になって。
それが通り過ぎて、電話はもう来ないんじゃないかって悲しくなってくる。


ーー時間あったらって言ってたし、忙しいのかも。

ベッドに寄りかかりながらぬいぐるみを抱えて
両手で持ったスマホを眺める。

着信履歴も、メッセージも何度も確認したけれど、自分のスマホは何も受信していない。


「……はぁ。みいちゃん、忘れちゃったのかなぁ」


ぽそ、と弱音が出る。

小池に限ってきっとそんなことはない。
時間がなかったと、思いたい。

ただただ。
あの一件で、関わりを避けられているとは思いたくなかった。


「吸血鬼、なんて。信じてもらえるのかな、」


吸血鬼だと明かさずに済むのなら、もっと時間をかけて、ゆっくり関係を築いていきたい。

自分が何者かなんて関係ない、そんな絆が持てたらいい。

でもきっと、そんな時間はない。


日に日に、小池を求める衝動は強くなっていることは自覚している。

理性だとか、自制だとか
そんなの、関係がない。

きっと、君に触れたら、
止まれない。




ーーー♪


「っうわ!」

手に持っていたスマホが着信を知らせてくる。
半ば諦めていたそれが鳴り響いて、体は跳ね、スマホは床に落ちてしまう。

画面に表示された名前を見て、
たった、それだけで
土生の体は震えた。


「………もしもし、」

『あっ、土生ちゃん…?』

「うん、」

『ごめんな、遅くに。……電話へいき?』

「…だいじょうぶだよ、」


甘く、幼い声が、鼓膜を刺激して
脳が揺さぶられるようだった。


『電話遅なってごめんな、』

「ううん。電話くれてありがと。」



君に、触れたい。

こんな、電話越しじゃなくて。
直接会って話がしたい。

熱を感じて、笑って細める目を、恥ずかしそうに顔を背ける仕草を
赤くなる白い肌を

すぐそばで、見ていたいーーー








「ねぇ、みいちゃん」




『んー?』










「……好きだよ、」









『えっ?』


「みいちゃんのこと、好き」


『っぁ………ぇと、』





電話口で、困惑する空気が感じられる。

織田の前で、小池の前であんなにも暴れていた欲情は、
驚くくらい静かで。

どこか、回線が途切れてしまったかのようだった。



「ごめんね。もっと、みいちゃんとの時間ゆっくりしたかったんだけど、あんまり余裕なくてさ」

『……………』


ずる、と体を滑らせて、ベッドに預けるのは背中ではなく頭になる。
投げ出した足の上には、さっきまで抱えていたぬいぐるみがいる。



『…土生ちゃん?』


「みいちゃんの声、好き」


『……!』



「可愛い目も、好き」


いつもと違うことくらい、自分でも分かる。



「白い肌も」



なのに、歯止めが効かなかった。




「笑った顔とかさ、おだななに方言真似されて、怒るとこも」


『………はぶちゃん、?』




今言わなきゃ、もう、伝えられない気がした。




「ねぇみいちゃん。長く生きてて、こんなの初めてなんだよ?」



だらけていく体を立て直すことが出来ないと気づいたのは、
スマホを落とした後で。

視界に転がったスマホから、愛しい声が聞こえてきた。


長い長い存在のオワリが、たとえ電話越しにでも愛しいその人を感じられているなら、
それは、幸せだと思える。

土生は体を横たえながら、声に集中できるように目を閉じた。


真っ暗な視界が、怖くないのは
すぐ近くに小池を感じられたからだ。








ねえ、みいちゃん。

君に出会って、

他の人の血なんて飲もうとすら思えなかった。

君を求めるばかりで、枯渇の時期なんて忘れていた。


触れたら、君を壊してしまいそうで
触れなきゃ自分が壊れてしまうことは頭になかった。



でももう、君が得られないのなら、
なにもいらないんだ。






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