Succubus
世界は、甘い声で埋められていて
私はそれにすっかり染まって熱を上げていく。
「っ、キモチいい?」
『ん、んん!は、ぁ、…キモチ、いい、りさ、』
「っ、」
言葉は全て、声はすべて、私の中を暴れ回り比例するように刺激を激しくしていく。
熱くて仕方がなくて、吐き出すように私は相手の体に、ナカに、すべてに。触れる。
舌は、歯列をなぞって、粘着質な音を立てる。
仰け反る体に、口角が上がって。
欲のまま、思いのまま
絶頂へ押し上げて………
『………理佐』
「ーーー!」
呼ばれたそれに、心臓が冷える。
甘い声は消え、冷徹な世界が埋めつくしていた。
「………ね、る」
『、その子と付き合ってたと?ねるんこと、好きって言ったのに』
「…ちが、!」
ねるの元に行こうとするのに、身体が重くて動かない。下を見れば相手の体がまとわりついていて、体も、もはや手すらねるに伸ばせない。
「っ離して!」
『最後にするから、』
「……っ!」
ぬる、と舌が侵入してきて
怖気が走る。
ずぶずぶと、身体が落ちていく。
視界には、ねるの背中。
大声は、どこにも響かなくて
自分の鼓膜すら揺らさない。
「ーーーー!!」
ニヤついた、上がった口角だけが、
私に向けられていた。
「ーーーっ!!!」
「っ!理佐!」
バクっと身体が跳ねて、顎が上がる。
切れる息に、世界は一気に現実味を取り戻して
馴染みのない天井が視界を埋めていた。
ーーー夢、? どこから??
思考がまだ混乱していて理解ができない。
「理佐っ、大丈夫?」
「!!」
近い声に身体が強ばった。
その声が愛しいその人だと、分かっていたのに。
「ねる、」
「……、」
ねるの傷ついた表情に、言わなきゃいけない事があるって分かるのに
誰かに蓋をされているように言葉が出ていかなかった。
視線を外したのは理佐。
言葉を漏らしたのは、ねるだった。
冷たくなかったけれど、その分無理をしていることが滲み出ていて
途端に苦しくなる。
夢と現実のどれもが、罪悪感でしかなくて
理佐は、ねるに何も言えなくなった。
言いたいのに、言えない。何を言っていいのかも分からない。
こんな自分に言えることなんてない、とすら思ってしまう。
「目、覚めてよかった。…待っとって。愛佳、呼んでくるけん」
「………ぁ、」
悩んでいるうちに、ねるは顔を背けてカーテンで仕切られた世界から消える。
情けなくて、不甲斐ない。
今だけじゃない。今抱えている出来事だって、ちゃんと拒絶出来れば、突き飛ばしてでも、傷つけてでも、拒絶出来てれば。
ねるにあんな顔をさせずに済んだのに。
そんなことを考えているうちに、カーテンの動く音がして、顔を上げる。
複雑な顔をした愛佳が、ベッドの空いたスペースに腰掛けた。
ねるのいた椅子に座らないことに何となく意味があるような気がしてしまう。
「、大丈夫なの、体」
「からだ、…?」
「………襲われたんだろ?」
「…………」
そうか。
あれは、襲われたんだ。
分かってたはずなのに、ハッキリと言葉にされてその事実がズシリと重くなる。
「……だいじょうぶ、」
「………。」
でも、それは理佐にとって、自分にのしかかったものではなくて
共に歩くねるに、嫌なものを意識させてしまうこと。それが重くてたまらなかった。
知られなければ、隠して背負っていけたのに。
「……ねるは?」
「近くにいるよ。…ほんと悪いんだけど、目が覚めたら帰るように言われてるんだ。立てる?」
どのくらい目を覚まさなかったのか分からなかったけれど、日は暮れて、遅い時間なのはわかった。
大学で残っている学生がいるかもしれないけれど、医務室を開けてくれることはほとんどない。
きっと、ねると愛佳が頼み込んで今まで寝かせてくれていたんだと分かる。
「ごめん、」
「気にすんな。理佐は、自分とねるのこと考えてやれ」
「………」
ねるには、なにを、どこまでを見られてしまったんだろう。
記憶の中の自分は、直視できる状態では無かったと思う。
「愛佳、」
「ん?」
「ねるは、…大丈夫、?」
「……それは、あたしじゃなくて本人に聞きなよ」
自分の体より。気持ちより。
いつだって、気に止めるのはねるのことで。
なのに、言葉は形にならなかった。
それが不安にさせるって知っているのに。
「理佐」
愛佳にしては少し低めの声がして、怒ってるんじゃないかと怖くなる。
でも、顔を見てそんなことは無いってすぐに伝わってきた。
「…あたしは正直理佐の方が心配だよ。ねるのことを心配するのはりっちゃんらしいけどさ、まだーー」
「……まだ?」
「ーー…いや、なんでもない、」
愛佳は、『まだ、ねるとシてないんだろ』と言葉をなんとか喉元で止める。あまりにデリカシーがないと気づけて良かった。 その言葉に『トラウマ』という心配事が隠れていたとしても伝わるかは分からない。
愛佳は、口元を手で覆って視線を泳がせるけれど、理佐はそんなこと気づいていないようだった。
眼は陰を作って、何かを誤魔化すように体を擦る。
「私は、大丈夫だよ。自業自得だし、…あの子も、……」
言葉を詰まらせたのは今度は理佐の方だった。
………あの子も、なんだろう。
悪気はなかった? 寂しかっただけ?
悪かったと思ってる?
もうしないと思う?
そんなの、有り得ない。
「………ごめん。帰ろう、愛佳」
「………、」
ハッキリと会話したのはそれが最後で。
まとめられていた荷物を持って、帰路につく。
普段、何をすることがなくともあっという間に過ぎるその道のりは、長かったとも短かったようにも感じられた。
自宅に着いて、荷物を下ろす。
振り返れば、荷物を持ったままのねるがいて、理佐は荷物を持とうと手を伸ばした。
「ねる、荷物」
「………ううん、今日は帰るけん」
「っ、やだ、ここにいてよ」
「……理佐」
ねるに伸ばしかけた手を、ねるが掴む。
たったそれだけの事に身体が大きく跳ねた。
「っ!!!」
「……りっちゃん。ねるが怖い?」
「ちがう!」
「…理佐はあれから、ねるに触れてこんね」
熱の出たあの日から。
キスすら、してない。
「………!」
「夢ん中では、いっぱい触ってくれようけど、現実は出来んと」
夢の中では、お互いに求め合う。
けど、それは、サキュバスだから?
淫夢だと、分かってるから?
だとしたらーーー
「ねるっ、」
「夢は、現実にはなれん…。適いっこなか」
分かってた。
それを理佐のせいみたいに言う、こんなこと言うのは最低だって。
でも、
理佐のあの姿を見て、目覚めた時に見た理佐の顔を見て、
夢の中にしかいられないことが、酷く虚しかった。
「………」
「………ごめん。少し考えさせて」
理佐に触れていた手が、ゆっくりと離れていく。
それに、理佐の手はピクっと追う仕草を見せたけれど
力なく項垂れて、追うことも捕まえることもしなかった。
世界を閉ざすように、ねるが姿を消した後玄関が音を立てて閉まる。
しん、とする中で愛佳が小さく問い掛ける。
「理佐、追いかけないの?」
「………追いかけて、どうしたらいい、?何も言えない、のに。もう、なにをどうしたらいいのかわかんない、」
俯いた理佐は、困惑と混乱が渦巻く。
後悔と嫌悪が襲ってくる。
すべてが、悪いようにしか考えられなかった。
ひとりで立つ理佐に、愛佳はただ隣にいることしかできなくて歯痒くなる。
本来なら、ねるが理佐を支えるべきで、そうあってほしかった。けれど、『元カノ』と名乗るその人に呼び出されてからのねるは少しおかしかった。
どこか切羽詰まったような、焦っているような印象すらある。
「………」
「…なんでだろう、、。好きで……好きだから、ねるとちゃんとしたくてさ。そういうことするの、夢に負けたくないって思ってて、…考え過ぎちゃったのかな……」
もっと素直に、考えられればいいのに。
愛佳はそう思うけれど、そうなれていたら以前だって拗れたりしなかったと思い返す。
考えすぎる。お互いが。
でもなぜか、2人が別れるなんてないと信じてもいた。
「それ、ねると話したの?」
「……ううん、」
「そっか。また冬優花に怒られそうだね」
とりあえず飯食って寝ろ。
理佐はその言葉に頷いたけれど、身体の違和感と、ねるの表情がグルグルと渦巻いて
食べることも寝ることもままならずにいた。