君は、理性を消し去る。
体育祭が閉会を告げるのを、小池は菅井の隣で眺めていた。
菅井「大丈夫?」
小池「あんまり…なんか、ようわからんくて」
菅井「そうだね。」
学生の声が飛び交うグラウンド。そこに、小池も織田も、土生だっていたはずで。
なんの変哲もなく、なんの疑いもなく、笑い合ってると思っていた。
小池「だに…織田さんは、どうなったんですか?」
菅井「……」
小池「土生さんも…みんな、おらへん。ウチだけが…」
菅井「…小池さん。たぶん、これから、信じられないことが起きると思う。驚いたり困惑することの方が大きくなる」
菅井が言える範囲で小池に応えようとしているのが、なんとなく感じられて
それ以上多くを求めることができなかった。
菅井「それでも」
小池「……」
菅井「あの子たちに、嘘はないから。出来れば、逃げないで向き合って欲しい」
小池「……」
それは。
今まで起きた出来事は、すべて真実で
なぎ倒された衝撃も
崩れた机たちの前に立つ人間離れした土生の姿も、
土生の怖すぎるほどの眼も、
それに、向かい合わなければいけないのだと突きつけられた気さえした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夜。
小池は家族とご飯を食べて自室に戻る。
明日は学校は休みだし、特別やることも無い。
「なんや、疲れてもうた…」
布団に転がって、独り言を呟く。
訳の分からないことばかりだった。
途中から、理佐に連れていかれて、外に着いたけれどすぐにまた鈴本が2人を呼びに来た。自分を守るようにしていた織田に何かあったのだとわかったけれど
待つように言われて、それ以上動くことが出来なかった。
きっと、廊下であったあのふたりも人間じゃないのだろう、
「ついて行かれへん、どないせぇいうの…」
怖い、とも思う。
でも、なぜが。
怖くて、近づきたくもないはずなのに
欲にまみれたあの紅い眼の先に、何があるのか知りたかった。
天井を向いていた体を動かして、枕を抱え込む。
「うあーー。なんなん、」
思考と感情が、繋がらない。
そんな小池に、スマホが呼びかけてきて
ガバっと起き上がって液晶を確認する。
「………!」
急いで通話を繋いで耳に当てた
『もしもしー?』
「だに!?大丈夫なん?」
『大丈夫だよー。ごめんね、あのままにしちゃって』
小池の心情を知ってか知らずか、間延びした織田の声が届く。あまりにいつも通りすぎて、無意識に強ばっていた肩からゆっくりと力が抜けた。
「怪我とか、ない?」
『ん?あるある。』
「え!?」
『あはは。大丈夫だよー。そのうち治るし。体は丈夫なんだから』
「ほんまに?来週学校来れる?」
『来れる来れる。わかんないけど笑』
「ちょっと、真面目に話して!」
姿の見えない織田を心配しているのに。
安心させるためとわかっているけれど、呑気な声に本当なのか冗談なのか分からなくて焦ってしまう。
『………んー、』
「………、」
『あたしさー』
「………」
『狼なんだよね。あ、鈴本もなんだけど』
「…………、」
『だから傷の治りは早いと思うんだけど、学校、週明けはどうかなー。頑張れば行けるけど、できればサボりたいし。ほら真面目に学校行ってたから少しぐらい休んでも平気だと思うんだよねぇ。…どう思う?………美波?、おーい……』
おおかみ、とは?
「え、は?……おおかみ??」
『そー。だからさぁ学校行けるかは約束できないっていうか』
「待って!待って!!学校なんてどーでもええわ!」
『美波が聞いてきたくせにー』
「そういう話やないやん!なに軽く爆弾落としてんの?てかそんなん言ってええの!?」
『ええのええの』
「ちょっと!」
『驚くだろうけどさ、美波は知ることになるよ』
「え、……」
『だから、私のことはちゃんと私から言おうと思ってさ。電話になっちゃったけど』
少しだけトーンの落ちた織田の声。
そこから、なんとなく話が途切れてしまって
小池は終わりを切り出した。
「……怪我、大事にするんやで」
『ありがと。学校行ったらまたよろしくー』
「うん。頼むわ」
なんだかよく分からないままに、通話が終了する。
『おおかみ』という単語が、飲み込めなかった。
小池の知るおおかみは、動物で。人間の形なんてしていない。
満月を見て狼になってしまう『狼人間』は、テレビや本の中だけだと思っていたし。『狼だ』と表現したのは、狼人間とは別だと言いたかったのかとも思う。
「なんや、わけわからん。うちが知らんだけ??」
ぼすん、とうつ伏せに寝転ぶ。
そしてまた、スマホが呼び出してくる。
「今度はだれぇ?」
もぞもぞと動いて四つ這いでスマホを取る。液晶に示された名前に、さっきとは打って変わって身体緊張した。
「はぶ、ちゃん……」
土生から連絡がくるのは初めてだった。
音のなり続けるスマホを握ったまま、通話を繋げることができない。
頭は通話を悩んでいたのに、着信への条件反射か指はフリックしていた
「………もしもし」
『……みいちゃん?』
「うん、」
『よかった。電話出てくれて』
「………」
『昼間、ごめんね。怖がらせちゃった、よね』
「………」
何か言いたい、言おうと思うのに
土生の声に、声が出ない。
喋らない小池を分かってたかのように土生の独り言が続いて違和感があった。
『………あのさ、』
「……」
『明日、会えるかな』
「……明日?」
『あ、無理にじゃないんだけど、……会えたらいいなって』
「……明日は、ちょっと……」
『そう、だよね。急にごめん。』
「………ごめん、」
『みいちゃんは悪くないよ』
「…………」
『………………』
「土生ちゃん、はさ、」
『……うん?』
「……、明日暇してんの?」
『…うん』
「じゃあ、時間あったら連絡してもええ?」
『!、うん!いいよ!待ってる!』
じゃあ、また明日。
そんな在り来りな言葉で、話が終わる。
「なんで、電話するなんて言ったんやろ…」
小池は自分で自分が分からなかった。
怖くて、現実離れしていたそれに。
惹かれている、のだろうか。
それは、ホラー映画を観たいような心境と同じかもしれない。生憎、小池はホラーを好んではいないけれど。
スマホを握る手に力が入って、手のひらがチクリと傷む。
昼間擦りむいたそれには、菅井が手当をしてくれていた。
ペリ、とガーゼを固定していたテープを剥がす。
あの時、一瞬だけ。
土生の舌が触れた。
「……っ!」
その瞬間がぶわっと蘇ってきて、体に熱が篭った気がして慌ててお風呂に向かう。
熱を誤魔化すようにシャワーを浴びて、風呂上がりには冷えた水を飲んだ。
大した事ない擦り傷に、またガーゼを貼る。
傷を見れば、思い出してしまいそうだった。
ベッドに入り、布団を巻き込んで目を閉じる。
織田からの電話が後だったら、こうはならなかっただろうか。
『狼』の話は、頭の片隅に追いやられて
眠りにつくその瞬間まで、舌を覗かせる土生の綺麗すぎる表情と、自分を射抜く紅い眼が
小池の脳裏から離れなかった。