Succubus


……………、

………………………、



「…………、、……は、なして…!」


途切れそうな意識の中で
勝手に息の切れる体に嫌悪感を抱きながら、下腹部に触れるその手を掴む。
それでも、意に介さないように動きを止める様子は無かった。


「理佐、」

「…………、!」


届いた声は、愛しいその人の声じゃなくて。


不規則に、過剰に強ばりを繰り返した体は、力を入れても弱々しくて、生ぬるいだるさ包んでいた。



「……なんにも考えられない?、ふふ。綺麗、りっちゃん」

「………」


名前が見当たらないくらいに、感情は消えたように乏しくて。その言葉で言い当てられたような感覚が襲う。

身体中を這っていた手が頬に触れて、なぞるように降りていく。
首元で、止まった。


「忘れちゃったかな、私との、初めての日…、理佐はもっと、辛そうで、悲しそうだったね。でも、」


その指先を追うように、唇が落ちてくる。


「もっと強引で、でも、優しくて…。慰めてくれてるって感じられた」

「……っ、」


なにも、したくないのに。

悔しいほど、悲しいほどに、
刺激に反応してしまう。


「……かわい、」


嫌悪感を顕にするように相手を睨むけれど、涙に濡れたそれは、相手の欲を掻き立てることしかしない。
再び欲を昂らせていく相手に、背中が仰け反って
反動で、涙が頬を伝う。


「っ、うぁ、…ぁっ、」


理佐の口から、また意に反した声が漏れ出す。

『最後にするから』


これは、きっと最後じゃない。
最後には、なりえない。

私はきっと、この行為に囚われ続ける…。


勝ち誇ったようなその表情から逃げるように、理佐は意識を手放した。













「りっちゃん遅くない?」

「昼休みだもんねぇ。ねるがあんな態度とったから泣いてんのかもよ」


朝のあのやり取りから続くそれに、いい加減ため息が出る。
確かに『元カノ』というその人と置いてきたのも、理佐に取り合わずに背を向けたのも罪悪感はある。
それでもヤキモチは妬いてしまう。きっとこういうのが積み重なって重くなっていくのだろうなと反省した。


「あ、彼女さーん」

「……あ、『元カノ』じゃん。『今カノ』さん、呼んでますよ」

「愛佳、遊んどぉやろ」

「バレた?」


笑う愛佳を置いて、
人の間を抜けて、相手の元につく。
好める相手ではないことは確かだけれど、それを表に出してやり取りをしないほど非常識でもない。
社会は、上っ面だ。


「なんですか?」

「理佐、F棟の三階にいますんで迎えに行ってあげてください」

「は?」


相手の言葉に、自分が嫌な顔をしたのがはっきり分かる。
表向きだけでも大人しくしてようと、取り繕おうと思っていたのに。

なのに。相手はそんな事気にしていないようで。むしろ、挑発して楽しんでいるようにも見えた。


「………ふふ。たぶんあなたのこと、待ってますから」

「………何したと、」

「りっちゃんに聞いてください。彼女さん、でしょ?」

「………、」


笑顔が、楽しんでいるような声が腹立たしくなる。
理性というものがなければ、胸ぐらを掴んでいたかもしれない。


「……『彼女』さん、リリイデーモンて、知ってます?」

「!?」


突然降ってきた言葉に、一気に緊張して心臓が激しく打ち出し始める。
鼓動が相手に聞こえるんじゃないかと思った。


「私、学部がそういうのに関係してて。長濱さん、みたいですよね?」

「なに、を…」


知っていれば恐怖だし、
知らないのであれば失礼極まりない。


「でも、私のそれは、理佐でした」

「ーーー、、、」



その子は、その言葉と似つかわしくない笑顔を見せつけて、背を向ける。
頭の処理が追いつかなくて、その背中を見送るしかなかった。


頭の中はすごい勢いで回り、色んなことを同時に考えていく。
でも、どれもが中途半端で
いわゆるパニックだったと、後から気づいた。



「、どうした?ねる」

「………」

「ねる?」


愛佳の表情が曇るのが分かる。
きっと、困惑したような焦ったような顔をしているんだろうと思った。

回転し続ける思考を無理やりに止めて、
1番考えなきゃいけないことを絞り出す。



「……理佐がF棟の三階におるけん迎え行ってって」

「………」

「愛佳、一緒に来て」

「いや、あたしが行ってくる。ねるは待ってろ」

「やだ。それは出来ん。ねるも行く、ううん、ねるが行く」

「……」



互いの予想が重なっていることは、分かっていた。
だから、愛佳はねるを置いていこうとした。


でも、だからこそ。
行かなきゃいけない。


なんとなく、嫌な予感がする。

まさか、と笑い飛ばしたはずの出来事が笑い話じゃなくなる。
それはもう、予感なんてものじゃなくて。

示し出されたそれを否定する材料を探すのに必死だった。



「………りさ、」



でも。そんなもの。
『渡邉理佐』という人を信じる、ことだけしか見つからなかった。












F棟は、大きな催し物で開放され使われることが多い。しかし、出入りができない訳では無い。実際、講義に使用される大きな資料なども、一部管理されている。
三階は、学生が最も行き来する本棟と連絡通路が繋がっていた。



「三階のどこ?」

「そこまでは言っとらんかった。探せってことやんね」

「はー。根性悪、」



ドアを開けて見渡して、閉める。
それを何度か繰り返して、次のドアに手をかける。

なんとなく、でも確実に人の気配がして心臓が跳ねた。



「……っ、」

「ねる、あたしが」

「いい。、理佐、待っとるけん」



息を吸い込んで、ぐっと力を込める。
吐く息を忘れて、ドアを開けた。


視線をさまよわせた先、物が並ぶその中で

冷たい床に眠る、理佐がいた。



「っ!!」

「、ねる!落ち着け!」

「離して!」


走り出す体を引かれるけれど、そんなもの邪魔でしかなくて

力任せに振り払う。もしかしたら、愛佳を傷つけてしまったかもしれなかった。



「理佐!、理佐!!」

「ーーー………」

「ねる、落ち着けって。寝てるだけだ」

「やって!そんなの……っ」


関係ない。
そんな事じゃない。


気味が悪いくらいに整えられた服、
綺麗に拭かれた、それでも残る涙の跡、

肌の、紅い印、

眠るその表情はあまりに無機質で


何が起きたかなんて、考える必要もないくらい。


「りさぁ、…!」


泣きたくなる。


ねぇ、起きて。

説明して。

ねるが好きって言ってよ。

その腕で抱きしめて、抱きしめさせて。


ねるが、理佐を染めたそんなもの消してあげるから。



でも。

いつかのあの日のように


嗚咽するねるに、

理佐は目を覚まさなかった。













リリイデーモンは、

女性の悪魔。

サキュバスと通ずる名称でもある。


相手の意図は分からなかったけれど、
あまりに自分に重なるそれは
ねるの心を揺さぶるには十分だった。



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