Unforgettable.
最低限やらなければならないことを何とかこなして、ゆっくりお風呂に浸かっていつもより早めに布団に入る。
そんなことをここ数日は繰り返していた。
それにどれだけの効果があるかは分からなかったけれど、
夜桜を見に行ったあの日から続いていた夢と現実が分からないような、曖昧な感覚はなくなってきたように思う。
現に、授業中寝てしまうようなことはなくなった。
やはり疲れていただけだったのだろうか。そう思うと同時に、あのまだ咲いていない桜の木の下で起きたことは夢だったのではないかと自問自答してしまう。
誰かに聞けば良かったのだろうけれど、モヤがかかっているような頭ではなんて聞けばいいのかを考えることも億劫で、結局今に至っている。
ーーあんな現実離れしたこと、誰も信じてくれんよね…
例えば小池に同じことを相談されたら、否定はしなくとも『夢だったのでは?』と頭の片隅で思ってしまうと思う。
そんなことを考えていたら、午前中の授業は終わってしまった。
せっかく頭がハッキリしても、こんな調子では勉学どころではない。どんな形であれ結論を出さなければ。
ねるが席を立つと小池に話しかけられた。
「ねる?どこいくん?」
「みいちゃん。ごめん、ちょっと調べ物したくて」
「ご飯も食べずに行くんか?手伝うから食べてから行ったら?」
「うーん。、先に調べてから食べる。ごめんね、先食べとって」
「……そう?」
いつも一緒に食べる小池の優しさを断るのは心苦しかったけれど、『調べ物』を小池にさせるのは避けたかった。
図書室について、『伝記』や『西洋』辺りをうろつく。
ーーーあ、
これかな、手当たり次第に本を取った。
『吸血鬼と呼ばれるもの』と外国語で書かれた重苦しい本を開く。
歴史や、誕生までの経緯、それをモチーフにされた作品……多くの諸説が入り交じっていて、今ならまだまともに読めるけれど少し前なら意味も分からなかったと思う。
ーーー理佐は、吸血鬼、なんやろか…
あの日のそれが夢でないのなら、自分はきっと吸血鬼と呼べるものに襲われた。
首元に噛みつかれ、皮膚が破かれ、血を吸われた。
…ジュル、ゴクンーー。
鼓膜を響かせた独特の音は、きっと夢なんかじゃない。
本を持つ反対の手で、噛み付かれたであろう首元を撫でる。そこにはやはり、何も無かった。
ねるの推測が事実だったとしても、本に載っているような吸血欲なんてないし、人を襲うような衝動もない。
事実だと訴える記憶と、
夢だと提示する現実。
これだから、答えが出ないんだ。
「あれ?小池ひとりなの?」
「ん。あ、愛佳。理佐も。そうなんよー。一緒に食べへん?1人は淋しくて」
愛佳と理佐が、1人でお弁当をつつく小池に声掛ける。
ふたりが小池と食べることは滅多になかったけれど、普段小池は土生やねると一緒にいる。単に珍しい場面だった。
愛佳は小池の近くの席に座りながら目の前にある手付かずの弁当箱を指さす。
「土生は…まあ、しゃあないけど、ねるは?飯まだでしょ?」
「ねるなら、図書室やと思うよ。調べ物あるって。うちも手伝う言うたんやけどな。終わったら食べる言うて行ってもうた」
「………」
愛佳は自分の隣に座った理佐に目をやる。
お弁当を開こうとしていた理佐の手は、明らかに速度を落としていた。
「理佐」
「…分かってるよ」
「分かってねーだろ」
「……ねえ、ここで喧嘩すんのはやめてや?」
愛佳の目は理佐のまま。理佐は自分の手元から目を離さなかった。
膠着状態の2人に小池はため息をつく。
こんなことなら一人で食べていた方がまだ楽だったかもしれない。
愛佳ほど真っ直ぐに生きるのは、理佐には難しい。群れたくない、自分は自分。という愛佳には、今の理佐はイラついてしまうのだろう。
それでもきっと、理佐はきっと必死に戦っているんだ。
やりたいことと、やらなければならないこと。
幼い自分たちは、後者を優先してしまいがちなんだ。
ーーー「ねる?」
自分の名前が響いて、ハッとする。顔を上げると同時に重い本はバランスを崩し音を立てて床に落ちていった。
本が折れてしまっただろうか、そう心配になるのに、ねるは本を拾えない。
ねる、と名前を呼んだその人にねるの身体は本棚へと押し付けられていた。
昼休みに図書室に来る人は少ない。視界の端に映る時計は昼休み終了5分前だった。
いつの間にこんなに時間が経ってしまったのだろう、と同時に誰もいないことに危機感を覚える。
「……っいたい。離して…っ」
「…………」
抵抗にも押さえつけてくる力は緩まない。鼻先で首元を探られ髪を掻き分けられる。
それでも、長い髪が邪魔をしているようで想像していたあの痛みはまだ来なかった。
「…理佐、なの……?」
「…………………」
「っ、」
ねるの言葉に、その人は身体をぐっと押し付け密着させてくる。自分の足の間に入り込むようにしてくる足に身動きが取れなくなった。
逃れられないようにしたその手はねるの髪を退かし首元を露わにする。
首元に埋められた牙と、反対から添えられる手に、反射的にねるの頭が傾き
まるで、差し出さんばかりになった。
そしてまた、あの音と熱がやってくる。
ーーーーーー
あの夜も、今も。
その行為は理佐であって欲しい。
そんな願いが頭をよぎる。
他の誰でもない、、、
理佐なら、受け入れられるのに。
ねるの意識は、零れて流れる血と共に
再び溶けていった。