君は、理性を消し去る。

頭は怖いくらいにすっきりしていて。

純粋に、

貪欲に。


あの子のだけが欲しかった。




どこかで、理佐が羨ましかった。
あれほどに欲のない体質ならば、きっとあの子のことを傷つけたり、怖がらせたりしなかったんだろう。







ーーーー。


ぐじゅ。と、生々しい音が木霊する。

静寂の中に、ぽたぽたと雫が落ちる僅かな音が一際大きく響いていた。



織田「ーーー、ぁ。はぁ……っ」

鈴本「………おだ、なな……」


目の前の光景に目を見開く鈴本の手に、織田が血に濡れた手を重ねる。
ぐっと握りこまれて、事の重みと制止への意志を伝えられた。
そしてその、深みにも。


織田「美愉、、やめな。……っ、は、ぁ…」


「無茶したね、おだなな。」


ふらついた織田の体を、愛佳が支える。
愛佳に思った以上の体重がかかり、そのしんどさを伝えていた。


愛佳「でも、助かったよ」


視線を移した先には、腕を付いて上体を起こす土生がいた。
土生の目には、今まであった温かさは微塵も感じられなかった。



土生「ーー愛佳、」

愛佳「分かってるね、土生。」

土生「………、うん」




織田が土生の突いに貫かれる一瞬、間一髪で駆け込んだ愛佳が軌道をずらした。
それにより致命傷は避けられたものの、その腹を抉りその裂け目から血が零れていて
織田の息が切れる。
体は必死に足りない血液を全身に回そうと動き出すけれど、それは空回りするように血液は充足することはなかった。


織田「……っ、う」

愛佳「鈴本、理佐と友香連れてきて」

鈴本「っでも!」

愛佳「織田の傷、治さなきゃならないでしょ」

鈴本「………分かった」


離れたくないと全身で訴える鈴本は、苦しげに教室から出ていく。愛佳は、そんな後ろ姿を視線で追いながら、もし自分の特別大切な人が織田のようだったら…あんな理性的に行動することはできないと思った。

荒い呼吸をする織田を抱えるようにして、愛佳は床に腰を下ろす。
羽織っていた上着を傷口の上から被せて押さえた。


織田「、いっ!、もっと優しくしてよ、っは、」

愛佳「はいはい。……」

織田「はぁ、…、ー?は、なに……?」


じっと見つめる愛佳の視線に、織田が気づく。見定められているようで、何か言いたそうな視線だった。



「お前、……全然そそらないな」


「うるさいわ!!ったぁ……!」


ごはっと音を立てて咳き込むと、
吐瀉物が散った。


「え、血ぃ吐くなよ。汚れる!」

「おま、……、!」


ゼハゼハと瀕死の息遣いをする織田を、愛佳はどこか遊んでいるようで。
狼の頑丈さを知っているからこそ、織田の性格を分かっているからこそ
やり取りは成立しているように見えた。


そんな2人に、土生は暗い目をそのままに
言葉を投げる。


「……ごめん、」

「………」


織田の血で汚れた土生の手は、血が乾いて僅かに思い通りにならない。
自分の未来を示されている気がした。

これから先、生きていてもどこか制限されていく。
番に代わりはいない。

ギシギシと、心を軋ませながら
相手を欲のままに傷つけた、汚れたその身を抱えて、
君と生きていくことが出来ないと、叫んでいる。



「……みいちゃんにも、伝えて」

「……やだね、」


織田の返事に、土生は自らの手から顔を上げた。
織田の目は、しっかりと土生を見つめていて
怒りなど到底感じさせなかった。


「自分で、言ってよ。そんな、責任取りたくないし、……美波だって、可哀想でしょ」


織田の言葉は、土生と小池を想っての言葉だった。
それは、土生も分かっている。

けれど、『美波』と呼んだそれだけで
嫉妬に飲み込まれそうになる。

きっと、自分は。
番だとか、吸血鬼だとか
そんなものの前に、小池美波が好きになってしまったんだ。



愛佳「ただねぇ、番相手だから。これからわかんないもんだよ、お互い」

織田「……つがい?」

愛佳「そう。番」

織田「っ、え、待ってよ。聞いてない、そんなの」


愛佳の言葉に、織田が慌て出す。
土生と小池が接触済だったことは知っていた。分かっていた。
土生が小池に執着していることも分かっていた。

しかし、『番』の相手だなんて、知らない。


傷口とは関係なく、織田の血の気が引いていく。
そんな織田の反応を愛佳は分かっていたかのように見つめていた。





そこに、鈴本がふたりを連れて戻ってくる。

最初に声を上げたのは理佐だった。



理佐「だに!大丈夫?」

菅井「こんな血まで吐いて」

鈴本「えっ!そんなのなかったのに!」


鈴本の眼光鋭い視線が愛佳に向けられる。
想いを知る愛佳は、慌てて言葉を口にした。


愛佳「いやいや、今こいつが自滅したんだよ?」



菅井が、恐らく救護室にあった救急箱を開く。傷を刺激しないようにして、衣類を外すと理佐はそこに、手を当てた。


織田「っ、」


ジリジリとした小さな違和感が発生する。くすぐったいような痛みのような感覚だった。

理佐は小さな傷程度なら治すことができる。平手の吸血相手には今までもその力を使ってきた。

理佐の可能な範囲のみ治癒し、あとは菅井の役割となった。



理佐「だに、…大丈夫かな」

愛佳「狼だし、ヤワじゃないだろ。理佐は今後も行くんでしょ?」

理佐「うん。何回かやればある程度までは治せると思うし」

愛佳「……じゃ、うちらはこっちだな」


愛佳が見やった先には、土生が立ちすくんでいた。
小池との距離が取れたぶん、そしてこうした事態になり
理性が戻ったのだろうか。

本能のまま動く様子はなかったけれど、どこか光の消えた目は
恐怖さえ感じられた。


理佐「………、」

愛佳「行くよ、土生」

土生「……、うん」









3人は連れ立って平手邸へ向かう。
先に連絡を入れていたこともあり、友梨奈は来訪を待っていた。
友梨奈の部屋に通され、土生に関して番や狼の件を含めて報告をする。
すべて、友梨奈には初耳のようだった。



平手「ー……そうだったんだ」

土生「……」

平手「今、小池さんは?」

愛佳「まだ学校に。恐らく狼といます」

平手「狼は番には不干渉の約束だったよね?」

愛佳「番であることを不知だったようで。私の不手際です」

平手「……そう。まぁしょうがないね。」


平手は考え込むように手を組んで、土生を見る。
番は、存在自体貴重だ。果ての未来で言えば存続にすら影響する。



平手「……今、真性の番は貴重だよ。出来れば離すこともしたくない」

土生「……」

平手「土生ちゃんは、他に相手はいないの?」

土生「……いません。私は…私には小池美波だけです」


平手の問に、少しの間をもったけれど正直な返答をする土生。
土生にとって、『他』なんて要らなかった。



平手「そう。理佐。小池さんの記憶は?」

理佐「まだなにも」

平手「じゃあ、そのままで。狼にはちゃんと報告して。これ以上問題にならないように」


愛佳「……このまま、というのは?」


平手「そのままだよ。処分も処罰もしない。記憶も弄らない。番である以上、土生と小池さんの関わりには最低限の介入とする。狼は、私から話にいってくる」


愛佳から『強制送還』の警告も受けていた土生は、もう今までの生活には戻れないと思っていた。


土生「でも、私…!」

平手「土生瑞穂。やったことの責任は取ってもらいます。けど、それは今じゃない。ちゃんと冷静になって、小池さんとも番とも向き合って。」

土生「………はい、」




報告と指示を受け、今後の報告もすることを約束し3人は部屋を出ようとする。
そこに、平手の声が響いた。



平手「ーー愛佳は残って」



『愛佳』。愛称でないそれは、絶対的だった。


愛佳「そんなふうに呼ばなくても残りますって」


心配そうに視線を向ける理佐に、先行っててりっちゃん。と愛佳は笑顔を送った。
小さく音を立てて閉まるドアを見届けて、愛佳は平手と向き合う。



「……報告しなかったの、わざとだよね」


そう切り出した友梨奈の真っ直ぐな眼を愛佳は受け止める。




狼に、番の存在を伝えなかったこと、

『え、待ってよ。聞いてない、そんなの』



土生の理性が外れ小池を襲いかけたこと、
それが異常であったこと

『 土生はね、すごく自制が強いの。今まで1度だって本能に負けて人を襲ったことなんてない。 …この間の状況は異常なんだ。本来ならあるはずがない。有り得ないことだった。』




そして、そもそも。
番と、遭遇していたこと


『運命の相手だと思うんだ』








「まさか。……真祖に話すほどの事じゃないと思った私の判断ミスです」

「……ここまで行くと理佐の過保護も、異常、だね」

「………」



真っ向からぶつかり合う眼光。

否定も肯定も、虚偽もない。

意志と使命のぶつかり合い。




全てに、嘘偽りがない。
ここに答えなどなかった。


「…………」

「……………………」



先に視線を外したのは、平手だった。

一息ついてその瞳を閉じる。


「……土生ちゃんと小池さんの件、ちゃんとサポートして。愛佳の責任で番は成立させること」

「………」


処罰とも命令ともつかない指示を出し、平手は話を終わらせる。
愛佳はそれに頭を下げて、背を向けた。



「ぴっぴ!」

「なに、」


その背中に、なんとなく不安を覚えて呼び止める。背を向けたまま、愛佳は返事をした。



「……これから、理佐は相手と出会うよ。」

「………へぇ」

「ぴっぴは、受け入れられる?」

「…理佐のためになるんなら、なんでも受け入れる。そうじゃないなら切り捨てる」



バタン。音を立ててドアが閉まる。

平手はため息をついて勢いで立ち上がった体を再び椅子に戻す。



「……小池美波、」

土生瑞穂の番ーーー。



そして、


「長濱ねる、。……ねる、か。」


理佐の、想い人ーーー。



平手は、この存在達がこの先大きく影響する。そんなことを思っていた。












「………」

「愛佳?」

「あ、りっちゃん。先行ってて良かったのに」

「心配で。大丈夫だった?」

「大丈夫。報告しなかったの怒られただけー」






知られたくない相手に、吸血行為が起きれば

記憶をいじる必要がある。


怪我をすれば、少なからず治癒する必要性も出てくる。


理佐が、必要とされる。




理佐が存在する理由が作れるんなら
どんな形であれ利用する。


理佐に、

生きていて欲しいから。




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