Succubus

ーーあれから、

ねるの噂が減った……なんてことはなくて。ただ、話題性は徐々に別のものに移っていった。

ただ、それだけ。


理佐は時間が経っても変わらない現実に、自分の無力さと、ねるの中で自分は本当に大多数の中のひとりだったと示し出されているようで苦しくなる。


それでも、喉につかえるような違和感は、心を空っぽにすればそんなに苦しくなくて。
時間のかかっていたそれも、少しずつ慣れて息をするように行えるようになっていった。


時々、愛佳が心配そうに理佐を見ていたけれどそれにすら目を逸らして、何も感じないようにした。
誰かに話しかけられても、話しかけていても、笑顔を作っても
次第に心は一定に保たれていく。


それが悲しい事だと分かってはいたけれど、それ以上どうしたらいいかなんて分からなかった。











ーーーねる、聞いてる?




「………え?」

「まぁた聞いてない!人の話は聞きなさい」


冬優花が仕事から帰り、2人で食事を済ませる。ねるは冬優花に食後の飲み物を入れ一息ついていた。


「ごめん、ふーちゃん。なんやっけ?」


困ったように笑顔を見せるねるに、冬優花はため息をつく。

理佐と帰ってきたあの日から、ねるに大きな変化はない。なんとなく心ここに在らずだし時々ぼーっと宙を眺めていたりする。
自宅に帰ると言ったねるを引き止めたのは冬優花だった。

なにが原因かも分からないけれど、何も解決していないこと、むしろ余計に拗れてしまったことは分かる。
友人として、こんな危なっかしいねるを放ることはしたくなかった。

今だって、会話していたのに途中からどこかに行ってしまっていた。
冬優花はため息を合図に話を仕切り直す。

これだけは、ねるに聞いてもらわなければならない。


「理佐」

「っ、え?」



ねるは、その名前だけで横隔膜がせり上がって、くっと息が詰まった。



「理佐がさぁ、色んな子に手ぇ出しまくってるんだって」

「……そぅ、なんや」

「やるねー理佐も。まぁ美人だからねぇ。男も女も関係ないよね」



冬優花の弾んだ声が、ねるの心を揺さぶる。悲しみ、だけじゃない。苛立ちすらあった。


「……関係なかと、」

「そうだねぇ。私も別に、理佐がいいんならいいんだけどさ」

「………」

「愛佳が心配してんだよね。ふらっとどっか行っちゃうんだって。変なやつに連れてかれないかとか、襲われるんじゃないかって」

「……そう、」

「綺麗な顔で、ものかなしー顔してたらやっぱ唆るのかね。逆に、荒れて抱き潰してるとか?」





冬優花の言葉にねるは視線を下に向けたまま、それ以上のアクションを見せない。

けれど、
落ち着きなく小さく動く指先
少しだけ早くなる呼吸が、ねるの心情を浮かび上がらせる。

理佐が、そんなことするはずがない。
理佐は、そんな馬鹿なことしない。

けど。




「…………、」



ぐっと口元に力が入る。自制するように、手を握りしめた。

思い出すのは、あの夜の強くて悲しい瞳ーー



あの瞳に、今。誰かが映っている。

あの手が、誰かの肌に触れている。

いや、もしかしたら

誰かが、あの肌に触れているのかもしれない。


ねるでも触れたことの無い、理佐の肌にーー。





「……バカやん」

「え?」

「あ、ううん。」



『ねるでも』って何。
なにを勝手に嫉妬しているんだ。

いつだったか、
理佐は、きっとねるが好きで
ねるも、理佐が好きだと、にやけていたことを思い出す。


幸せだった。

傍にいられた。
笑っていられた。


どうして、こうなってしまったんだろうか。




「…ねる、みたいだよね。今の理佐」

「え?」


冬優花の声が急に冷静になって、ねるはドキっとする。
顔をあげれば、真面目な冬優花の目がねるを真っ直ぐに捉えていた。



「あの時、何があったの?」

「………」

「理佐が今そうなってるのはさ、ねるのせいなんじゃない?」

「、……」

「ねる」



あの時。理佐を守りたかった。
理佐のせいじゃないって、言いたかった。

でも、もしかしたら。


ねるの卑しい部分が出てしまったのかもしれない。


ねるに、
そしてねるに触れて、触れられてきた他の人に
嫉妬してくれないかな、とか

あわよくば、感情に任せて告白してくれないかな、とか。


受け入れられないと自分で決めておきながら『好き』って感情をぶつけて欲しくて。
同じ大学という限られた中で動いたのも、多分無意識にそういう想いがあったようにも思う。

理佐のどこかで、存在していたい。


そんな、薄汚れた想いは

理佐のことを大きく傷つけてしまった。






「……ねるは、理佐がねるのことどう思ってるのか知ってるみたいだし、ねるの中でなんかの理由があってそうしてるのかもしれない。けどさ。」


あまりにも身勝手なわがままを
貴女は、ただただ包み込むように受け入れる。
ずっと、そうだった。


「それって、理佐はどう思ってるんだろ」


冬優花は、ねるを咎めるように言葉を送る。
ねるは理佐の想いを聞いたことがない。

予測して浸って、
勝手に拒絶した。

分かっているふりをして、理由を当てつけて逃げてきた。

『淫魔』という呼称に惑わされているのは自分だったのかもしれない。



「理佐は頑張ったよ。頑張ってねると向き合わおうって、必死に追いかけてた。なにを言ったのかは知らないけど、ねるはそれを拒否した。そんなことになったら、自分がダメなやつだったって思うでしょ?」


そんなこと、分かってる。


今でも思い出せる、傷ついた理佐の顔。
必死に取り繕う、それでも溢れ出す涙。

震えた声は、どれだけ泣いているのか突きつけられているようだった。

でも、それでも。
謝ることも弁解することも出来なかった。



「……理佐のこと、受け入れられん」

「……」

「ねる、ひどいことしたけん、理佐が好いてくれてても、受けいれちゃいけんと、思ってる」

「……うん、」


ぎゅう、と喉元が締めつけられる感じがして苦しくなる。けれど、そんな自分にどれだけわがままなんだと、どれだけ逃げれば気が済むのかと腹立たしくなった。


「でもどこかで、……っ、理佐に会いたくて……」


ーー貴女が、来てくれないかと
私を想っててくれないかと、期待している。


それくらい、貴女が好きで、なのに、身動きがとれない、
自分勝手なわがままが、今、自分を縛り付けている……。


だけど、怖くて
『淫魔』に甘えて、夢の中でしかありのままに向き合えない。

どんなに自分をさらけ出しても、貴女の中では夢だから。甘えて逃げて、向き合っては背を向けた。

それに振り回される理佐が可愛いなんて、サイテーだ。



「ねる。理佐に甘えてちゃいけないよ」

「……っ、」

「私は何があったのか知らない。なにもわかんない。けど」



冬優花は、何があったのか深く聞いてきたりしない。
けれど、誰よりも色んなことを考えて、ねるの傍で支えようとしてくれる。

意見の押しつけではない。ただひたすらに聞いて支えてきたからこそ
その言葉がねるに送られている。



「ねる。こうしなきゃいけないとかこうしちゃダメとか、そんなのさ、ねるひとりが決めることじゃないんだよ。前と今とで言ってることが変わったっていい。答えなんて変わって当然。ただ、ちゃんと向き合った方がいい。ちゃんと話した方がいい。逃げ出したっていいんだよ。傷つけあったっていいの。今、どう思ってるのか、それがすれ違うのはすごく悲しいよ、」

「……ふー、ちゃ」

「だーから、その涙は理佐に見せなよ。泣き声が聞こえたって、相手を見てなきゃ流れる涙は見えないしその涙を止められないんだぞ!」

「……っふふ。ふーちゃん、クサい」

「うるさい!」


ーーーこんなこと、もうやめて。
ちゃんと、好きな人と…そういうことしなきゃ、ダメだよ。




理佐の言葉が降ってくる。




ねえ、理佐。

間に合うのかな、


こんなに傷つけて、悲しませて。逃げて。

それでも、また、向き合って欲しいなんてわがまま、許されるかな。


貴女の笑顔を、また隣で見ていたいんだ。



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