Succubus



ねるが、理佐ともに帰ってきた。

心配して早めに帰宅していた冬優花と、それを迎えて
少しも安心できた。はずだった。


愛佳「………理佐?」


零れるように出た私のその言葉を、拾ったやつはいなくて。当の本人でさえ、笑おうとしているだけの変な顔をして。

明らかだったのは、玄関のドアに手をかけたまま1歩も中に入ろうとしなかったこと。

口頭で数回のやり取りをして、取り繕う姿が辛そうだった。

そして。

冬優花がねるになんだかんだと話しかけている最中に、ゆっくりと存在を遠ざけてドアを音もなく閉めていった。


愛佳「……おい」

ねる「………」

冬優花「愛佳?、あれ理佐は?」



腹の中が渦を巻いているみたいに気持ち悪い。
それのはけ口にするように、反応しないねるの腕を掴んで自分に向かせる。


冬優花「ちょっ、愛佳!」

愛佳「理佐に何したんだよ!ねる!!」

ねる「………、」


腹が立っているんだ。イラついて仕方がない。
理佐になにしたんだ。何を言ったんだ。

ねる。
好きな相手を、なんで傷つけるようなことしたんだよ。


俯いて視線を下に向けたまま、ねるは何も言わない。腕を握る手が、ねるを痛めつけてないか心配になったけれどそれを言葉にする余裕はなかった。



愛佳「くそっ、」

冬優花「愛佳、落ち着いて」

愛佳「……私、理佐追いかけるわ。冬優花、もう馬鹿なことしねーように見張っとけよ!」

ねる「……」



カバンを乱暴に掴んで、愛佳が出ていく。

冬優花は、ふたりが揃って帰ってきたなら笑顔になれるだろうと思っていたのに、想像が大きく裏切られてわけが分からなかった。


冬優花「…ねる、あんた何したの」



静かな空間に、冬優花の声が響く。
帰ってきてから立ったまま、口を噤んだままだったねるは

長い沈黙のあと、震える声で言葉を繋いだ。



「………理佐のこと、また…傷つけちゃった……。……っ、りっちゃ、……ごめん、なさい…っ」













頭が痛い…。

酷い頭痛に、喉の痛み。



冬優花の家を出て、しばらく歩いた先で
理佐は川に沿った遊歩道にぶつかる。

どこかで防衛反応のように、思考は停止していて
そのせいかどこをどう歩いたのかも覚えていない。

川に反射した陽の光で頭痛が強くなり、近くにあったベンチに腰を下ろした。


目を閉じて、こめかみを抑える。
座ったことで、疲労感が一気に押し寄せた気もした。

風邪でもぶり返しただろうか、と思って笑えてしまう。
この痛みは、大声を出したせいだ。



普段出さない声量に、体が泣いているんだ。

喉がちりちりして、何となくケホケホと咳がこぼれる。
でもそんなことで紛れるわけもなくて、ズキズキと走る頭痛は気を滅入らせた。


思考は、頭痛のせいかまとまらない。
でもなぜか漠然と涙が出そうになって、喉がひきつり鼻がツンとする。


「………っ、」


なにを、勘違いしていたんだろう。
なんで、違うって思えていたんだろう。


したことも何も。同じじゃないか。


ーー『ねるのことそういう風にするけん』


『そういう風に』って、なんだよ。

触れさせたの?
触れさせてきたの?

どこまでを

なにを。


嫉妬に狂いそうになる。

そしてまた、戒める。


何を、勘違いしているんだって。




ねるを想う権利などない。
自分は、そうやって触れてきた人達と同じなんだ。
嫉妬する意味も、想って泣く意味も

そんなこと、あっていいはずがない。






分かってるよ。

そんなこと。


何度も何度も、言い聞かせて。
感情を押さえつけようと必死に言い聞かせてる。

でも、

分かってるけど……






もう、むりだよ……










「ーーーっ、いやだ……。ねる、っ」



君が好きなんだ。



吐き捨てるように、言葉が溢れ出す。
もう耐えられなかった。苦しくて潰れそうだった。

眩しいくらいの夕日が目に刺さる。

視界が、涙と、それに反射する夕日でぐちゃぐちゃで。
早く沈んでしまえと心の片隅で悪態づく。



そんな眩しいもので、照らさないで。
この涙は、君に見せるためのものじゃない。そんな、綺麗なものじゃない。



「好きだよ、っ……そんなやつらと一緒にしないでよ…!」



私は違う。

この想いは……、『淫魔』なんてふざけた呼称に惑わされたものなんかじゃない。



「ねるっ、」




握りしめた手に顔を埋める。
爪が手のひらに刺さるけど、力の加減も出来なかった。



触れたことが許せない。
怒りが攻め立ててくる。

その手でねるに触れたのか。涙を流させたのか。

その手でナかせたのか……




「……やだよぉ、なに、してんだよ、…ねるっ」




信じて欲しい。

そんなやつらと一緒にしないでほしい。

好きなんだよ。
こんなにも、感情を揺さぶられて、
こんなにも涙が溢れるくらい、

今、思考の全てが
君で染まっている。







ーーーだけど、



「でも、、むり…なん、だよ、……」



思考が声に漏れる。

自分の中に、留めておくことが出来ないくらいに感情が溢れていく。



「もう、いっしょなんだ、から。…触っちゃったんだ、から。……、っ、く、」



なんで、
あの時。


ねるに、触れてしまったんだろう。

言い訳なんてできない。
違うなんて言いきれない。


触れた、その事実だけは
自分とその人たちを隔てることを許さない。











「ーー理佐!」


聞きなれた声が届いて、乱れた思考が止まる。
それがなければ、私は壊れていたかもしれなかった。


「……、まなか、」

「……大丈夫か?」

「…っ、うん、ごめ、ん」

「………、」


涙でぐしゃぐしゃになった顔で。大丈夫なわけが無い。

けど、それ以上に崩れた思考では
なにを言っていいかも分からなかった。


近づく気配がして、愛佳が隣に座ったと分かる。

でも、深く追求する訳でもなくて
ただ座って隣にいてくれる。
それが、愛佳の優しさだった。

少しして、呼吸が落ち着き出す。
ようやく理佐は愛佳に声をかけることができた。


「………ごめん、愛佳。迷惑、かけて…」

「…迷惑なんてかかってない」

「…、」

「帰ろう、」

「……」

「帰って、飯食って、風呂入って。……休もう」




愛佳の声が、あまりにも優しくて。
また涙が溢れる出す。


なにに対しての涙なのか、もう分からなかった。


愛佳に手を引かれて歩く。
気づけばもう日は沈んでいて、辺りは人工的な明かりが灯されていた。


沈んでしまえと願ったあの瞬間から、そんなに時間は経っていないのに

心と思考と体は、どこか線を引いて
『私』というモノは空っぽになってしまった気がした。





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