Succubus
夢って不思議だと思う。
現実には絶対なりえないのに、いつもどこかでちらちらと現実に映り込んでくる。
何度も見る夢には、現実との境目が分からなくなる。
頭では分かってるのに、きっと夢に侵食されてしまうんだ。
『ーーーーーーー』
「………、だれ」
『ーーーー、ーーーーーー』
「……あぁ、そうやった……」
聞いたことも無い低い声の人。
大きい手が、ねるの腕を引く。
低い声。大きい手。
言葉にすれば同じなのにあの子とは全然違う。
……。
ねぇ、理佐。
貴女を受け入れることなんて出来ないと分かっているけど、あの夢で触れた貴女を、現実で抱きしめて触れた貴女を忘れることなんて出来なくて。
でも、悲しいくらいに薄れていってしまう。
他の全てに埋もれていってしまう。
それだけで。その度に。
自分のキレイな部分がどんどん消えていく気がする。
いっその事、ぜんぶ消えてしまったなら
ねるはサキュバスとして、貴女に会いに行けるのかな。
だとしたら、それもいいかもしれない。
この貴女に似つかないこの大きな手に、
この先、そんな未来があるのならーーー
ーーーーー!!
◇◇◇◇◇◇◇◇
「理佐」
呼ばれて振り向けば、さっきまで寝ていた愛佳がスマホ片手に近づいてきていた。
「………、」
「そんな顔するなよ、私だって全部分かってるわけじゃないんだから」
「…なら、どこまで分かってるの?」
「……」
「教えてよっ、ねるに何があったの!?」
「落ち着けよ、理佐。らしくない」
「関係ない!」
「なら、連絡でもなんでもしたらいいだろ」
愛佳の少し苛立ったような口ぶりに、怒られている気がして
ビクついてしまう。
そんな理佐に、愛佳は小さくため息をついた。
「ねると向き合う覚悟も出来てないのに、話ばっか漁るんならさっき噂してた奴らと同じだよ」
それはやはり怒っているようで。
それでもその言葉で気づく。
焦りも怒りも、今の感情すべてが今までの行動と反していて自分勝手なことだった。
怒るのなら、ねるに連絡すればいい。
焦るのなら、ねるを追えばいい。
何もしていない逃げてるやつに、何も言えることは無いんだ。
ねるに繋がると分かっていた。それでもそれをしなかった。
手に握ったそれは、ただ一つの役割を果たさずに未だ画面は暗く何も映さない。
「………、聞いたばかりの噂を信じるわけじゃない。そんな噂、有り得ないって思ってる。」
何もしない。しようとしない。
そんな自分が大嫌いで、
なのに、感情だけがどうにかしろと叫んでいる。
「…ねるにそんな噂がされてるなら、ねるに何かあったんじゃないかって…」
「…だから、連絡しろって。」
「……っ、」
「理佐。私は理佐の代わりに動くことなんて出来ないし、理佐の代わりにねるを守ってやることも出来ないんだよ」
「……、でも」
「ねるのこと、好きなんじゃないのかよ」
『好き』
それはきっと、なんの間違いもない言葉だと思う。
ーーーひとりで考え込んで溜め込んで、身動き取れなくなって、
もう二度と会えなくなってもいいのか。
もっと後悔することが起きてるかも知れない
愛佳の言葉の端々から感じられる可能性が、理佐の不安を掻き立てていく。
でも、だからって。
ただの友だちにできることなんてあるのか。
一方的な好意も、
現実に侵食してくるほどの夢も
そんなものは、自分自身の中のものでしかないのに。
「……、」
「馬鹿なことしてんじゃねーって止めてやれよ。それができるのはりっちゃんだけなんだから」
「……愛佳にだって、できるよ。私じゃなくたって…それに、」
やだって、言われた。
あの光景が、ボヤけた記憶の中で強く、明確に残っているんだ。
ねるが、拒絶するほどのことをした。
そうだった。
悩む以前に、そんなことをした私に何かをする資格なんてあるのか?
「……………」
愛佳の言葉を最後に、無言が続く。
無意識に逃げる口実と正当化への理由を探す。
愛佳は、そんな理佐が嫌いだった。
やりたいことから、苦しいことから逃げる理由も口実も
探せばそこら中に転がっている。
そうやって、くだらない隙だらけの鎧を心に纏って気付かないふりをしていくんだ。
自分を守るために、大事なものにさえ目もくれずに
そうして、それが正解だったと納得させて生きていく。
それは、必死に懸命に舎利選択をして選んだ答えを
傷だらけになりながらこれで良かったと言い聞かせて生きるのとは全く違う。
「ばかなの?」
「う、」
「根本が間違ってんだよ。その思考回路捨てちまえ。永遠にたどり着きそうもないから言うけどさ、付き合ってなくて、しかも風邪で浮かされてるようなそんな状態の、やさしー真面目なりっちゃんに、ねるはやな思いさせたくなかったんだろ」
絶対後悔するだろ、理佐。
ーーーーこれは夢じゃなかけん、後悔すると、ーーー
愛佳の言葉に、掠れた記憶がハッキリと浮かび上がる。
……自分はそれに、なんて答えたのだろう。
でもきっと、急に浮上してきたねるの言葉は愛佳の言う通りな気がした。
「………だから?」
「………」
だから、やだって言ったの…?
私が自分を責めてしまうから?
だから、ねるはここにいないの?
「……っ、」
「理佐、」
ーーー♪。
何かを言いかけたそのとき、愛佳の手に握られていたスマホが着信を知らせる。
画面を確認して、チラっと理佐を視線を向けたけれど迷う様子はなく通話を繋げた。
「はいよー」
『ちょっと、あの二人どうなってんの』
「あのふたり?」
『理佐とねる!』
「あー、あぁ…えーと、」
愛佳のスマホから、声が漏れて電話の相手が冬優花だと分かる。
愛佳は辺りを見回して、人がいないことを確認してから通話をスピーカーに切り替えた。
『理佐まだなよってんの?あのへたれ!』
愛佳「あはは、」
理佐「……ふーちゃん、」
冬優花『高校んときはそんな印象なかったのに』
愛佳「……まぁ、好きなやつには…ってやつじゃね?」
冬優花『………はぁあ。……ねるうちに来てるから、理佐の根性入ったら連絡して。この間理佐の連絡先聞き忘れちゃったからさーー』
理佐「ねるそこにいるの!?」
冬優花『えっ、だれ?』
理佐「いいから!」
冬優花『理佐?』
理佐「ふーちゃん!ねるは?」
冬優花『………今はいないよ、私も外だし』
スマホごと愛佳の手を掴んでいた理佐の手が緩む。握りしめてきたその行動が、理佐の本音だと思うのに、理佐はそれに気付かない。
愛佳は理佐に気づかれないようにため息をついた。
理佐「………、ねる大丈夫、なの?」
冬優花『………大丈夫じゃないよ、どう見たって。ご飯は食べさせてるけど、』
理佐「………っ、」
冬優花『理佐、なにしてんの。しっかりしなよ』
理佐「ふーちゃん、」
冬優花『逃げんじゃないよ。ちゃんと話しなって言ったじゃん』
理佐「……ごめん、」
冬優花は人を傷つけるようなことはしない。
人を想って、気持ちを察して行動する。それを自然にできる人。だからきっと、ねるはそこにいられる。助けを求められる。
理佐もそれを知っているから冬優花の言葉が刺さる。ねるは、それだけ傷ついているんだ。
黙ってしまう理佐の代わりに、愛佳が口を開く。
愛佳「冬優花、ねる何時頃帰ってくんの」
冬優花『…いつも夜中だよ、大学行ってないの?』
愛佳「見てはないな。来れるような状況でもないだろ、今は」
冬優花『……そんなことになってんの、』
愛佳「……どうする、理佐。」
理佐「………、」
愛佳の問いていることが、方法ではないことが分かる。
ねると、どうするんだ。
これから先。
今までのように、逃げるのか。
それとも………。
君に届いて欲しい言葉が、
いつも君にだけ届かない。
「ーーーーー!!」
息を切らせて、必死に走って
声が裏返ることなど構わずに声を張り上げても
君は背を向けたまま。
もう二度と、君に会えなくなる。