君は、理性を消し去る。

登校して廊下の途中、小池に聞き覚えのある声がかかる。



「おはよう、みいちゃん」

「土生、さん」

「………」



土生から向けられる笑顔。
眩しいくらいの優しい笑顔。


けれど、自分の後ろからはあまりいい空気は流れていないのを感じていた。

通学路が途中から一緒のため、今朝は織田が一緒だった。だから余計に昨日言われた言葉を思い出して、どうすべきなのか分からなかった。



織田「おはよ、土生ちゃん」

土生「おはよう、オダナナ」


代わりと言わんばかりに織田が挨拶を投げて、2人の言葉が交わされる。
なのに、どこか牽制し合っているような感覚。

廊下に立ち止まったまま、土生と織田の視線が重ねた状態で固まった空気。それでも、小さくなる小池に救いが来てくれた。



鈴本「オダナナ、」

織田「、美愉」

鈴本「先生が呼んでるよ、茜だから早く行った方がいいかも」

織田「え、マジか!」



織田はちょっと行ってくる!とカバンを鈴本に預けて職員室に走っていく。

その後ろ姿を3人で眺めて、
土生は声色を変えずに鈴本へ何人目かの挨拶をする。



土生「もんちゃん、おはよ」

鈴本「………」


それに反応して鈴本は顔を向ける。口を閉ざしたまま、少しだけキツい目をしていた。だけどそれも一瞬で、表情を和らげてくれる。


鈴本「おはよ。土生ちゃん、小池さん。」

小池は「!あ、おはよ!」


そんな鈴本に名前を呼ばれるとは思ってなくて、小池は反応が遅れる。
そんな小池を見て、土生は笑い声をこぼした。


土生「みいちゃん、そんな怖がらなくても大丈夫だよ。もんちゃん可愛いんだから」

鈴本「ちょっと土生ちゃん、やめてよ」

小池「ふふ、ほんまや。かわええね」


鈴本は照れたようにはにかんでいて、
その姿は同性から見ても可愛かった。

鈴本は、よく織田の傍にいる。控えめに立っていたりする姿を見て、どこか2人に上下関係のような、なにか別の関係性があるような印象を受けていたけれど
それは織田といる鈴本の印象であって、鈴本自身についてはあまり知らない。

当たり前のことなのに、土生の言葉に照れる鈴本を見て、改めて感じてしまう。
自分はまだ、この人達の輪の中に入れてないのだ。


少しの会話をして、じゃあまた、と言って鈴本は織田のカバンを抱えて教室に入っていった。



「みいちゃん?」

「ん?」

「なんか香水とかつけてる?柔軟剤とか」

「柔軟剤はつこうとるけど…」

「すごくいい匂いするよね、好きだよ」




『好きだよ』

柔軟剤の香りだろうか。


恋愛感情の好意ではない。香りが好きだと趣向の話だと分かっているのに、その一言に、胸が跳ねてしまう。
まだ、ここに来て1ヶ月も経っていない。土生とは会ってまだ2日だ。

さっきこの人達の輪に入れないと感じたばかりだ。
こんなに、心揺さぶられるなんて。そこまでの関係性はないと分かってるのに。



「………」

「みいちゃん?」



………素、なんだろうか。
天然タラシ……というやつだろうか。

優しい表情と声が反芻される。
小池の中で、土生の言葉が張り付いてしばらく離れそうになかった。














愛佳「お、土生。襲ってないだろーな?」



午前中の授業が終わって昼休み。
逃げるように出てくるのをわかっていたように、出たところで愛佳が声をかけてくる。


土生「うん、大丈夫」

愛佳「じゃ、保健室行くぞ」

土生「え?」


バレてんだよ、と背を向けながら言われる。
きょとん、とした土生はゆっくりと笑顔を咲かす。

きっと、愛佳は面白くない顔をしてるんだろう。それでも、こうして来てくれる。自分を想ってくれている。それが、隠せないくらい嬉しかった。






菅井「……土生さん、これ」


保健室。
愛佳と共に着くと、そこには菅井だけでなく理佐もいた。心配そうに土生を見つめていて、みんなにバレているんだと思って少し罪悪感が生まれる。

菅井の声に、思わず謝罪の声が漏れる。


「すみません、」


しゅんとする土生に菅井の手が触れていく。
手のひらや腕に、爪を立てたような傷が菅井の声を生んだ原因だった。菅井の持つガーゼが血で染まっていく。
数枚のガーゼを使用して、やっと消毒へ行きついた。


「我慢できそうになくて…」


欲に溺れないように、飲み込まれないように、
痛みで意識を繋ぎ止めるしかなかった。

そんなことをしたとしても、そばにいたい。そばにいられる時間が、欲しかった。



愛佳「……やっぱ無理なんじゃないの?」



土生に冷たい現実が突き立てられる。
愛佳は壁にもたれかかって、ため息をつくように呆れたような声を投げてくる。

ズキン、と胸が痛くなる。
そんな土生を心配するように、理佐が愛佳を止めるように声をあげてくれる。

でもどこかで、その言葉に傷ついているのは愛佳自身で
理佐はそれを心配してるんだろうとも感じられた。


理佐「愛佳、」

愛佳「…ウチらにとってほんとの番と出会えることはすごい事だと思うよ。だけどさ、こんな自分のこと傷つけなきゃいられないなんてどうなんだよ、…」

理佐「………」


土生「それでも…私はみいちゃんといたい」


そんな悲しいくらいのたった一つの願い。


菅井「でも土生さん、今は傷が大したことないからまだ目をつむれるけどこれが続くんであれば私も黙っていられないよ」

土生「……っ、でも、」



それでも、
菅井の言葉が土生に現実を突きつける。

感情と現実が繋がらない。
繋げる方法は誰もが分かっていた。



愛佳「ずっとこのままじゃいらんないのはわかってるだろ?」

土生「……うん」

愛佳「………」

菅井「……ぜんぶ、土生さん次第だよ」



やわらかくて、真面目で真剣な声が届いて、土生は顔を上げた。



菅井「小池さんとどうするのか」



菅井の目が真っ直ぐに土生を映す。
菅井が過去にどういう選択をしてきたのか、以前に聞いたことがあった。
だからこそ、土生には深くまでその言葉が浸透していく。



菅井「………愛佳の言う通り、このままじゃいられないのは事実だから。決めなきゃならないよ」





土生は菅井に処置されたガーゼを見つめる。たった1日、しかも午前中だけで、ガーゼは2箇所にも当てられている。

でもそうしなければ、今頃血まみれだったのは小池だ。





けれど。

だけど。


想像してしまう。



そうすることが出来たなら、

きっと、
この身もこの心も、満たされて
私は、これまでにない本能と幸福に満たされるだろう。

きっと、血に汚れた小池をこの腕に抱き、笑みをこぼすんだ。






愛佳「土生。何考えてんだ」

土生「え?」

愛佳「目ヤバいぞ」


愛佳の声に思わず顔を隠す。
少し、緊張が綻びるとこれだ。

時間は思ってるよりもないのかもしれなかった。


4/22ページ
スキ