Succubus
人肌が、体温が、視線が。
こんなにもキモチワルイなんて知らなかった。
相手からの想いも行為も同じはずなのに、
自分の体の奥底から吹き出すような不快感。
涙が流れて頬を濡らしても、そんなもの煽る材料にしかなりえなくて途中から堪えるのを止めた。
体の奥底は揺さぶられても、心はサキュバスと重なりながらそれを拒絶する。
本当に、探し求めているのは
目の前のものじゃない。
でも、それが手に入らないことも、触れるべきじゃないことも
分かってる。
ねるの、あの時願った温かさはどこにもない。
細さも、肌感も、熱さも…
すべてで否定される。
当たり前なのに、気づく度に苦しくなる。
だから。
逃げるようサキュバスを解放してく。
向けられる感情は、ゆっくりと時間をかけて
ねるのこころを踏み潰していた。
「理佐、大学どうすんの」
風邪が落ち着いてから数日。あれ以来大学に行っていない理佐に、愛佳が問いかける。
ふたりのアパート。夕食を済ませてお風呂が沸くまでの少しの自由時間。
理佐は何となく、愛佳が逃げられない状況で話を振ってきたような気がした。
「……行く、けど」
「風邪、もう治ったろ」
「………」
「行きたくないの?」
数日前、冬優花が座った位置に愛佳が座る。二人分のコーヒーを持って、ひとつを理佐の前に置いた。
上がる湯気を見て、冬優花とお粥を思い出す。そうして行き着くのは、やっぱりねるだった。
…行くことが怖いんじゃない。
決して、ねるに会いたくないわけじゃないんだ。
口を閉ざしてしまった理佐に、愛佳は椅子の背もたれに体重を預ける。
視線をどこかに泳がせながら、愛佳は言葉を選ぶ。
「…何があったの」
「……っ、」
「冬優花からも連絡来たよ。心配してた」
「………うん」
あの夜。
頬に伝った涙は、誰のものだったんだろう。
触れた瞬間、肌は酷く熱かったけれど
どっちのものだったんだろうか…。
「理佐」
強めの愛佳の声が、自身の名前を呼ぶ。
愛佳が無意味に詰め寄ることなんて、きっとない。
言うべきことではない。
けれど、このままではいられないのかもしれない。
理佐は、こぼれるように小さく、
心の内を伝えていく。
「……やだって言ってた、」
「………」
「やめてって言ってたのに、止められなかった…」
「……、」
「最近まで、夢に、ねるが出てきて……、……そういうことをし、…しちゃったり、とか……して」
「うん、」
「あの夜も、なんか、………」
言葉が続かない。
喉が、引き攣るように痛む。
泣いて逃げてしまいたい。でも、それは許されない。
そんな理佐を見て、愛佳は敢えて挑発するように言葉を投げた。
「なに?夢で見たから、襲ったとかいうわけ?」
「っちが!」
愛佳の言葉に、否定が先立つ。
それでも、真っ直ぐな愛佳の眼に言葉が詰まってしまう。
ーーー夢で見たから?
だから、それに惑わされて襲った?
そんなの、最低だろ。
でも、きっとそういうことなんだ。
ねるは、そう思うだろう。
夢のことなんて知らないから、熱にうなされて襲ったとかそんな風に思われているんだろう。
どちらにしても、最低なことに変わりはないんだ。
大学に行きたくないわけじゃない。
ねるに会いたくないわけじゃない。
ねるに会うことが怖いわけじゃない。
ねるに、会えない現実に向き合うことが、
もう二度と会えないことが
怖くてたまらないんだ。
「りっちゃん、」
「……、」
なんて、責め立てられるだろう。
それでも堂々と否定することができない。それぐらい最低なことをしたと思う。
「何考えてるのか、ちゃんと言って」
「!」
「そうやって溜め込んで考え込んで身動き取れなくなって、もう二度と会えなくなっていいの?」
そんな現実があるだろうと分かっていたはずなのに、いざ人に突きつけられると感情が揺さぶられる。
分かってなんてないのだと、痛感する。
逃げたくて、逃げたくて仕方がないんだ。
「取り返しのつかないことが、もっと後悔することが起きてるかもしれないんだよ」
「……愛佳?」
含みを持たせる言葉に、理佐はどこか不安に襲われる。
「……襲ったって、どこまでしたの、」
「え、」
「夢でしてたとして、実際はどこまでしたの」
「………抱きしめて、押し倒した、」
そして、その肌に触れたーー……。
「………、やだって言われたのに」
「……それ以外になんか言ってなかったの」
それ、以外……?
「ねるが理佐になんて言ってたかよく思い出して。たぶんだけど、ねるは理佐のことを想ってたよ」
愛佳は優しいような、悲しいようなそんな顔をしている。
愛佳の言葉はさっきから、理佐に謎解きのヒントを出しているような言い回しをする。
理佐は、自分の見つけた答えを手にしたまま
もうひとつの答えを探さなければいけなかった。
それでも、自分の持つ答えが正解で。
もうひとつ、別の答えを探すのも見つけるのも簡単なことじゃない。
「………、わかんないよ。それしか、覚えてない」
「ほんとに?」
「…うん、」
ーー………じゃなーけん、……するーー
少しだけ、ぼやけた記憶に触れる。
でも、掴むことは出来なかった。
「………、」
「理佐?」
「ううん、わかんない、……」
なにかは言われていたけれど、きっと愛佳いう言葉ではないのだろう。
「私はさ、」
「……」
「理佐が触れちゃいけないなんてないと思う」
落ち着いた声が響く。
愛佳は、友達だから、好きだから、そんな理由で意見を変えたりしない。
その姿が、理佐は好きだった。
「むしろ、理佐しか触れちゃいけないんだよ。ねるには」
愛佳は知っている。
それはねるの正体なんかじゃなくて。
ねるが理佐を想ってどんな顔をしているのか
理佐が、ねるにどうしてこんなにも振り回されているのかを。
そして、
呆れるほどの、両片想いであることも。
「ねぇ、理佐」
「……」
「大学行こう。理佐は知らなきゃいけないことがある」
そこに一体何があるって言うのだろう。
もう二度と、ねるに会えない。
そんな現実を知れとでも、言うんだろうか。
そんな理佐の自虐的な思考とは反対に、
愛佳が伝え続けてくれるヒントは別物の答えを導いてくれている気がしてどこか浮かれてしまいそうになる。
でも。
そんなの、
それこそ浮かれていたんだと思い知らされたんだ。
こんなにもキモチワルイなんて知らなかった。
相手からの想いも行為も同じはずなのに、
自分の体の奥底から吹き出すような不快感。
涙が流れて頬を濡らしても、そんなもの煽る材料にしかなりえなくて途中から堪えるのを止めた。
体の奥底は揺さぶられても、心はサキュバスと重なりながらそれを拒絶する。
本当に、探し求めているのは
目の前のものじゃない。
でも、それが手に入らないことも、触れるべきじゃないことも
分かってる。
ねるの、あの時願った温かさはどこにもない。
細さも、肌感も、熱さも…
すべてで否定される。
当たり前なのに、気づく度に苦しくなる。
だから。
逃げるようサキュバスを解放してく。
向けられる感情は、ゆっくりと時間をかけて
ねるのこころを踏み潰していた。
「理佐、大学どうすんの」
風邪が落ち着いてから数日。あれ以来大学に行っていない理佐に、愛佳が問いかける。
ふたりのアパート。夕食を済ませてお風呂が沸くまでの少しの自由時間。
理佐は何となく、愛佳が逃げられない状況で話を振ってきたような気がした。
「……行く、けど」
「風邪、もう治ったろ」
「………」
「行きたくないの?」
数日前、冬優花が座った位置に愛佳が座る。二人分のコーヒーを持って、ひとつを理佐の前に置いた。
上がる湯気を見て、冬優花とお粥を思い出す。そうして行き着くのは、やっぱりねるだった。
…行くことが怖いんじゃない。
決して、ねるに会いたくないわけじゃないんだ。
口を閉ざしてしまった理佐に、愛佳は椅子の背もたれに体重を預ける。
視線をどこかに泳がせながら、愛佳は言葉を選ぶ。
「…何があったの」
「……っ、」
「冬優花からも連絡来たよ。心配してた」
「………うん」
あの夜。
頬に伝った涙は、誰のものだったんだろう。
触れた瞬間、肌は酷く熱かったけれど
どっちのものだったんだろうか…。
「理佐」
強めの愛佳の声が、自身の名前を呼ぶ。
愛佳が無意味に詰め寄ることなんて、きっとない。
言うべきことではない。
けれど、このままではいられないのかもしれない。
理佐は、こぼれるように小さく、
心の内を伝えていく。
「……やだって言ってた、」
「………」
「やめてって言ってたのに、止められなかった…」
「……、」
「最近まで、夢に、ねるが出てきて……、……そういうことをし、…しちゃったり、とか……して」
「うん、」
「あの夜も、なんか、………」
言葉が続かない。
喉が、引き攣るように痛む。
泣いて逃げてしまいたい。でも、それは許されない。
そんな理佐を見て、愛佳は敢えて挑発するように言葉を投げた。
「なに?夢で見たから、襲ったとかいうわけ?」
「っちが!」
愛佳の言葉に、否定が先立つ。
それでも、真っ直ぐな愛佳の眼に言葉が詰まってしまう。
ーーー夢で見たから?
だから、それに惑わされて襲った?
そんなの、最低だろ。
でも、きっとそういうことなんだ。
ねるは、そう思うだろう。
夢のことなんて知らないから、熱にうなされて襲ったとかそんな風に思われているんだろう。
どちらにしても、最低なことに変わりはないんだ。
大学に行きたくないわけじゃない。
ねるに会いたくないわけじゃない。
ねるに会うことが怖いわけじゃない。
ねるに、会えない現実に向き合うことが、
もう二度と会えないことが
怖くてたまらないんだ。
「りっちゃん、」
「……、」
なんて、責め立てられるだろう。
それでも堂々と否定することができない。それぐらい最低なことをしたと思う。
「何考えてるのか、ちゃんと言って」
「!」
「そうやって溜め込んで考え込んで身動き取れなくなって、もう二度と会えなくなっていいの?」
そんな現実があるだろうと分かっていたはずなのに、いざ人に突きつけられると感情が揺さぶられる。
分かってなんてないのだと、痛感する。
逃げたくて、逃げたくて仕方がないんだ。
「取り返しのつかないことが、もっと後悔することが起きてるかもしれないんだよ」
「……愛佳?」
含みを持たせる言葉に、理佐はどこか不安に襲われる。
「……襲ったって、どこまでしたの、」
「え、」
「夢でしてたとして、実際はどこまでしたの」
「………抱きしめて、押し倒した、」
そして、その肌に触れたーー……。
「………、やだって言われたのに」
「……それ以外になんか言ってなかったの」
それ、以外……?
「ねるが理佐になんて言ってたかよく思い出して。たぶんだけど、ねるは理佐のことを想ってたよ」
愛佳は優しいような、悲しいようなそんな顔をしている。
愛佳の言葉はさっきから、理佐に謎解きのヒントを出しているような言い回しをする。
理佐は、自分の見つけた答えを手にしたまま
もうひとつの答えを探さなければいけなかった。
それでも、自分の持つ答えが正解で。
もうひとつ、別の答えを探すのも見つけるのも簡単なことじゃない。
「………、わかんないよ。それしか、覚えてない」
「ほんとに?」
「…うん、」
ーー………じゃなーけん、……するーー
少しだけ、ぼやけた記憶に触れる。
でも、掴むことは出来なかった。
「………、」
「理佐?」
「ううん、わかんない、……」
なにかは言われていたけれど、きっと愛佳いう言葉ではないのだろう。
「私はさ、」
「……」
「理佐が触れちゃいけないなんてないと思う」
落ち着いた声が響く。
愛佳は、友達だから、好きだから、そんな理由で意見を変えたりしない。
その姿が、理佐は好きだった。
「むしろ、理佐しか触れちゃいけないんだよ。ねるには」
愛佳は知っている。
それはねるの正体なんかじゃなくて。
ねるが理佐を想ってどんな顔をしているのか
理佐が、ねるにどうしてこんなにも振り回されているのかを。
そして、
呆れるほどの、両片想いであることも。
「ねぇ、理佐」
「……」
「大学行こう。理佐は知らなきゃいけないことがある」
そこに一体何があるって言うのだろう。
もう二度と、ねるに会えない。
そんな現実を知れとでも、言うんだろうか。
そんな理佐の自虐的な思考とは反対に、
愛佳が伝え続けてくれるヒントは別物の答えを導いてくれている気がしてどこか浮かれてしまいそうになる。
でも。
そんなの、
それこそ浮かれていたんだと思い知らされたんだ。