Succubus

ーーーピンポーン……


来客を知らせる電子音が耳に届いて、うっすらと意識が浮かび上がる。

誰かが来たということは分かったけれど、起き上がる体力も気力もなかった。

ーーだれか、なら、愛佳から鍵もらってるよね……



その予想通り、金属音が聞こえて、玄関が開けられたことが分かる。
ガサガサというビニール袋の音が聞こえたと思えば、足音だけになる。
近づいてくる足音に視線だけを反応させた。


ーーえ、なんか知らない人だったらどうしよ、


一抹の不安を他所に、ドアが開く。






「、理佐?起きとるの?」


「………ねる?」



顔を覗かせたのは、期待していたねるだった。
少し驚いた様子の理佐に、ねるは困り顔をする。


「起こしちゃった?ごめん、」

「ううん、ぼーっとしてただけ。…こっちこそごめんね、来てもらって…」

「気にせんで。体調どう?」



そう言いながら、ねるは理佐の横に膝を落とす。膝立ちのねるからは、なんだかいい匂いがした気がした。


「頭痛いし、まだ寒い。」

「ありゃ。じゃあまだ熱あがるとね」

「んー、」

「寒気落ち着いたらご飯食べよ?今は暖かくして体休めんと」

「………うん」




ねるがズレた布団を直してくれる。
誰かがいてくれるだけで、安心する。

でもきっと、これは誰でもないねるだからなのだと理佐は思った。




「薬は?」

「のんだ。……、ねるは大学大丈夫なの?」

「うん。まだ余裕あるけん平気。気にせんで、休んで。ねる、おるけん」



さすがねるだな。
大学もだけど、自分が気にしていることも不安に思っていることもねるにはわかっているんだ。

ねるに頭を撫でられて、ふっと気が緩む。
体は寒さで震えているのに強ばったものが解れていく気がした。











理佐の規則的な呼吸が聞こえ始めて、少し安心する。
寒さで辛そうな表情ではあるけれど、自分が来たことで休めなくなったらどうしようかと思っていた。



ーーねるが来て少しも安心してくれたんかな…


そう自惚れてしまってもいいだろうか。
散々淫夢で惑わせて困らせてしまっている自分が思えることではないかもしれないけれど、
寝るなんて、無防備な姿を許してくれたことはねる自身もほっとした。




「お粥かなんか作ろうかな、」


勝手に台所を使うのも気が引けるけれど、愛佳にも言いつけられたことだし構わないだろう。

ただいるだけというのも、良い印象はない。


そうして、理佐の部屋から出ようとドアに手をかける。
人の気配が遠のいたことに気づいたのか理佐がモゾモゾと動き出す音が聞こえて振り返るけれど、理佐の目は未だ閉じられていた。



「……かわいい」


子どもみたいな寝顔。無防備な姿。

夢の中のような、ギラギラした姿とはかけ離れていて
少しだけにやけてしまう。

どっちも理佐なのに、本当の理佐はどっちなのだろうと考えてしまって
ねるはお粥作りへ思考を傾けた。












ーーー

夢は、見なかった。

正しくは、あの灼けるような熱の篭った夢を見なかった。


理佐は安心する。
自分でも制御出来ない程の欲は、怖い。
夢の中だとしても、本能に突き動かされるあの感覚は自分ではないようで、
いつか相手を。ねるを、壊してしまうんじゃないかって。

夢の中だからいい。そんな風に割り切れたら良かった。

現実にはならない。そう思えたら楽だった。




恋人でもない君をそんな風に手を出すことなんてないと信じたいけれど、
夢は潜在意識の表れだと聞いたことがあるから。


どこかで恐ろしく思うんだ。

いつか、ねるを。泣いて嫌がる君を、
自分の欲望で呑み込んでしまう


そんな現実が来るのが、恐ろしくてたまらない。







一瞬でそんなことを考えて、引き上げられる意識とともに思考が止まる。

ここはどこだと、ぼやけた脳が記憶を探した。



「理佐?」

「ーーーねる、?」

「うん。寝ぼけとぉ?愛佳に頼まれて来たんよ」


熱の篭った体を起こす。怠さは変わらないけれど、寒気は引いて代わりに熱が体を巡っていた。



「………あぁ、そ、か。……」

「?、大丈夫?」

「うん。、ちょっと熱くて、」

「寒気引いたんやね。少し体冷やそうか」



パタパタとねるが部屋を出ていく。
寒気があった時にはなかった、熱に伴う頭にモヤがかかったような違和感。


「………あつ、」


熱は上がりきっているようだった。
あとは下げるだけ、そう考えていた。




「氷枕なんてもうないよねぇ。氷、袋に入れてきたけん、タオルで包んで枕にしよ」


困ったように笑うねるが、手づくりの氷枕を持ってくる。その片手には冷えピタの箱が握られていた。


「どっちかでよくない?」

「そう?理佐がいいなら、どっちかでよかけど」

「……、どっちもやる」

「大丈夫なん?」

「せっかく作ってくれたんじゃん。熱いしいいよ。」

「ありがと。無理せんでね」

「うん。ありがと、ねる」


枕を退かして、タオルに包まれた氷を置く。
額には冷えピタを貼ったところで、ねるから声がかかる。


「お粥つくったんけど、食べれる?」

「………んー、」

「少しでいいけん、」

「……うん」



理佐の返事に、ねるは笑顔を見せる。
また部屋から出ていくと、器に盛られた卵がゆが湯気を立てて運ばれてきた。


「あ、卵、」

「少しは違うかなって。食べれる分だけでいいけん。味は保証できませんが」

「ありがと。……いただきます、」




息をふきかけて、熱を伺う理佐をゆっくりと眺めるねる。

背中を丸めて弱そうな理佐を見ることはほとんどない。ある意味、貴重なものを見ている気がした。


「、おいしいよ」

「ほんと?えへへ、ありがと」

「ほんと。食べれそう」



少しずつ小さい口に、お粥を運ぶ理佐。
気を使わせてしまっているかと不安になったけれど、ゆっくりとだけれどしっかり飲み込まれていく様子を見て杞憂かと安心した。





ーーかわいい、りっちゃん。


ねえ、好きなんだよ。
理佐の醸し出す空気も、
その少し低くて、優しい声も、

大きめな手も

その真っ直ぐな瞳も。

クールな見た目に反して、子供みたいに笑う顔も。


仕草も、形も、
好きだなって、思ってしまう。



それが恋だと気づいたのは、随分と前だった。

ねるがアプローチしても、顔を真っ赤にするだけでなーんにもしてこない。
それさえも好きだと思ってしまった時には自分でも重症だなって思った。


夢で、理佐に会って、

触れて

触れられて、



幸せだった。






それが現実とはかけ離れていると分かっていたけれど

そんな理佐に会いたいと、思ってしまうんだ。




強くて、優しい。
欲に満ちて、溢れかえる程の性。






理佐が、好きーーー













「……ねる、」




「ッ!」






ーーーしまった。



『おい、ねる。そういうのは理佐とふたりきりの時にやれ』






愛佳の言葉が脳裏に過ぎる。


だめだよ、愛佳。そんなこと、しちゃいけなかった。




嘘。ちゃんと、わかってる。
愛佳の言葉は、『いつもの理佐』とってこと。








こんな、


熱の篭った体を抱えた理佐と


ふたりきりで。



なんの抑制も効かない欲を、呼び起こしちゃいけなかった。




ーー理佐はきっと、傷ついちゃう。










がしゃん!



お粥が未だ入っている器が落ちて、低い音が部屋に響く。

床にお粥が散ったけれど、2人はそんなものに意識は向かなかった。





「ーーねる、」


「り、さ……、だめ。離して…っ」






熱の篭もりきった理佐の声が、ねるの鼓膜を刺激する。

ねるの腰がビリビリと痺れて、力が入らなくなる。


熱過ぎる理佐の熱が、ねるの全身に伝わってくる。
痛いくらいの抱擁は、一気に不安と後悔を呼び覚ましていく。






ねるはやっと気づく。

後戻りも逃げ道もない。




それこそが、


現実ーーー。

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