君は、理性を消し去る。
終了の鐘が鳴り、生徒は皆帰り支度や部活の準備をする。
そんな中、小池は1人席を立った。
「美波?帰んないの?」
「あ、だにぃ。菅井先生から呼ばれてん。行ってくるわ」
「菅井先生?保健の先生から呼び出しとかある?」
「んー、うちも分からんのやけど…」
「……。ちょっと話したいことあるからさ。待ってていい?」
「え?今聞くで?」
「ううん。あとででいいんだ、用事もないし先に済ませてきてよ」
「ほうか?」
クラスメイトのだに、こと織田奈那とそんな会話をする。何となくいつものふざけた顔じゃなかった気がして、気になったけれど
先生の呼び出しはやはり後回しにするといいことは無い。織田奈那の言う通り、小池は保健室に向かった。
小池が出ていった後、1人残った織田に、女生徒が1人教室に入ってくる。
「……おだなな?」
「あぁ。美愉、なに。覗き?」
冗談を言うように、織田は鈴本を邪険にする。
小池との約束のために、織田は近くの席に座った。
鈴本はそんな織田にゆっくりと距離をつめながら、近づきすぎない距離を保つ位置で止まる。
無言の世界にぽつり、と鈴本の声が響く。
「……小池さん、どうするの?」
鈴本には目を向けず、その問いかけにだけ織田は答えた。
「ー……、たぶんそろそろ土生ちゃんが動くと思うから。だから少しでも抵抗してみようかなって」
「危ないよ」
「………」
鈴本の言葉に、織田は今度こそじっと見つめ返す。
その目に、鈴本は顔を赤くしながら目を逸らした。
そんな鈴本を見て、織田は溜息をつきながら小説を取り出す。
パラパラとページを目的もなく動かした。
「……あたしも争い事はやなんだけど、薄れたとはいえ役割があるからさぁ。平和にいきたいよ、……ほんと」
最後の一言が消え入りそうなくらいに小さくこぼれる。
織田の言葉が、ただ1人、鈴本にだけ届いて弱音と言えるかわからないそれに嬉しくなる。けれど、同時に
いつも笑顔で全てを受け入れる貴女がいつか壊れてしまわないか心配だとも思う。ひとりで泣いていることを、ずっと見てきた鈴本は知っていたから。
「せんせー?」
「あ、小池さん。ごめんなさい、呼び出してしまって」
「いいんですよー。せんせーじゃないですか」
保健室に顔を覗かせると、保健医の菅井が顔を上げる。
これ、と菅井からあるものが渡される。
見ると見覚えのある髪留めだった。
「これ……」
「小池さんのだと思ったんだけど、違かったかな?」
「いえ、そうです。失くしたと思ってました……」
それは。転校してきた日につけていたお気に入りの髪留め。嬉しいはずなのに、頭はモヤがかかったようにスッキリしない。
その顔を違うと勘違いした菅井は心配したように小池に声をかける。
「小池さん?」
「……あの、」
「ん?」
ーーーあの日、ここにいた人は誰だったんですか?
そう聞けばいいだけなのに、
なぜと問われたら何も答えられない。
何人かの女の人の声。
カーテンが開く音。
そのあとの慌ただしい物音。
そうして、自分に誰かがモヤをかける。
ごめんね、と。
言われた気がしていた。
「……大丈夫?」
「……はい、すみません。ありがとうございます」
髪留めを握って、菅井に笑顔を見せる。
しっかり頭を下げて、保健室を後にした。
こめかみを擦りながら教室に向かう。
眉間のシワは取れなかった。
モヤがかかったような感覚は少しづつ薄れるけれど、気持ちは一層もどかしく感じる。
思い出したい記憶ほど、思い出せないのかもしれない。
テストの答案を埋める時、覚えたはずの単語が思い出せない感覚と似ている気がした。
「ん、おかえりー」
「あ。忘れとった」
「え、ひどっ!」
教室に戻れば、織田が空いた席で小説を読んでいた。
織田が待っていたことをその姿を見るまで忘れていた。
「菅井先生、なんて?」
「ああ、忘れ物届けてくれたわ」
「忘れ物?保健室なんて行ったの?」
「んー。転校初日にな、体調悪くて」
まだ、転校してきて1ヶ月も経っていない。
転校生なんてレッテルは、注目をされるのに不足なかった。けれど織田は小池が保健室に行ったなんて知らなかった。
「………大丈夫だったの?」
「え?うん。寝たら落ち着いたから」
「そう。…誰かに会ったりした?」
「それがさー、誰か来た気はするんやけど思い出せんのよ」
(……接触済かぁ。土生ちゃんが避けてるのは分かってたけど、これはヤバいのに手出しちゃったかも)
小池とともに織田は教室を出る。
途中まで帰り道は同じだった。
2人が昇降口で靴を履き替えると、小池が『そういえば、』と言葉を繋ぐ。
「話たいことってなに?」
「ん?んー。告白?」
「なんで疑問形やねん」
「うちにもわからへんのですよ」
「ちょ。やめて。マジで腹立つから」
「うわー。いややわ、怖いわー」
「だに!」
笑い合う姿はまるで青春だった。
『話したいこと』が流れていくことには気づいていたけれど、織田が話さないのであれば小池は深く追求するつもりもなかった。
「げ。なんだあれ、」
「あ、だにじゃん」
「理佐!喜ばない!」
「え、ごめん」
そんな2人の姿を
土生、愛佳、理佐が小池の帰宅道を遡っている途中に発見する。
小池に会えたのは良かったけれど、織田がいることは予想外だった。
まだ遠目だったからか、小池以外が互いの存在に気づいた。
愛佳「どおするよ、土生」
土生「………、」
理佐「別にだにがいても平気じゃない?」
愛佳「ある意味抑止力にはなるだろうけどさ、平気ではないだろ」
土生「……行く。」
愛佳「っし。じゃ。行くぞー」
土生の返答に、愛佳は有無を言わさず歩みを進め出す。
近づくにつれ、顔が固くなっていく織田に小池は気づいた。
小池「……だに?どしたん?」
織田「………土生ちゃん、だよ」
小池「え?」
土生「はじめまして。小池さん」
小池「え、?」
小池は声をかけられて相手を見上げる。背の高いその人は、なんだか見覚えがある気がした。
けれど、それよりも
この張りつめた空気の方が気がかりだった。
織田は相変わらず、硬い顔で土生を見つめている。
逆に、その『土生ちゃん』は自分を優しい目で見つめてきていた。
小池「あ、あの……」
土生「土生瑞穂です。転校生だよね?」
小池「あ、そうです。小池美波っていいます。土生さんって隣の席の…?」
土生「!、そうなのかな?ちょっと休んでて…」
織田「こんなところじゃなくて、学校で話したらいいじゃん」
愛佳「うるせー、だに」
織田が嫌そうに会話に入ってくる。織田がそんなこと言う人には思ってなくて、小池は少し驚いた。けれど、それ以上に土生の後ろに人がいたのだと気づいて自分が土生しか見えてなかったと恥ずかしくなる。
それほど、土生に魅了されていた。
織田「てかなんで2人ともいるの!学校来なよ!」
愛佳「だにに言われたくねーわ」
織田「なんで!?私ちゃんと行ってるじゃん」
理佐「だにちょっと臭いからさぁ」
織田「やめて!ほんとやめて!!気にしてるんだから!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す3人を小池は呆気に取られながら見つめる。
そんな小池の香りや存在に、土生の理性はぐらぐらと揺るがされていた。
「………みいちゃん」
「え?」
「みいちゃんって呼んでもいい?」
「…っ、ええよ」
柔らかい声と表情に、胸が苦しくなる。
どこか、気を許せば、
どこまでも、飲み込まれてしまいそうだった。
織田「美波!帰ろ!」
小池「あ、うん」
土生「……またね、みいちゃん」
小池「……、また、ね」
織田に手を引かれて小池の足が進む。
けれど、小池の意識は土生から離れなかった。
土生の目が怖いと感じるくらいに惹き付けられて、飲み込まれそうで。
それなのに、自分はどこか、
彼女の隣に立ちたくて仕方がなかった。
2人の帰路の分かれ道につく。
ここに来て、やっと織田の手が小池を解放した。
少し気まずそうに、織田が話を始める。
織田「じゃあ、ごめんね。変なことになって」
小池「ええよ、気にしてへん。」
織田「あのさ、話したいこと、なんだけど」
小池「え?」
織田は、意を決したように真っ直ぐに小池を見る。
それは、ふざけているようには見えなくて小池は視線を向ける位置を考えてしまう。
「土生ちゃんには気をつけて。あんまり近づかないほうがいいから。なんかあれば、私の事呼んで」
小池「………うん」
ぐっ、と喉が詰まる感じがして、それしか返答出来なかった。
土生を目の前にしたあの感覚は、もしかしたら恐怖なのかもしれない、と小池は思う。それがなぜなのかは分からないけれど。
小池の返事に安心したのか、織田はいつもの笑顔で別れを告げた。
織田「また、学校でね。バイバイ」
小池「バイバイ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
織田は自宅につき、ベッドに転がる。
まとわりつく服が邪魔だと思って、自分の性分を自覚した。
別に困ってないし構わないけれど、
理佐の言葉を思い出して凹む。
「仕方ねーじゃん、狼なんだもん」
人間は臭いに気づかない。
気づくのは、鼻の効く吸血鬼だけ。
それでも。
(臭いだけは……どうにかしたい、まじで。)