家庭教師×生徒
あれから、先生とこまめに連絡を取り合うようになって
他人行儀だったやり取りも、いつかのデートみたいに距離が縮まった。
少しずつだけど、先生と教え子という関係は和らいで、薄らいで。
大学も歳も違うけれど、だからこそ、互いを繋ぐ関係性が明確になった気がした。
そうして、名前で呼び合う関係から
触れ合うようになって。
そして、
それで。。。
「その夢語り、いつ終わるの?」
「…………愛佳の意地悪」
あれから3ヶ月。夢語りは現実の欠片もなくただの妄想に成り果てていた。
ねるは、ねるが選んだ道に進んだ。
先生に縋り付くでもなく、しがみつくでもなく、ちゃんと自分のやるべきこと、やりたいことを選択出来る道を選んだ。そして、その上で、先生の目の前に現れた。
だから、この関係性は壊れて、近づけると思っていたのに。
「はーぁ。ねるのこと好きやないんかなぁ」
「………」
「好きやったらもっと、こう、連絡くれたり、ご飯行ったりせんかね、」
「………」
「……………」
愛佳は無言で、スマホを弄る。
かと思えば、テーブルにあったレモンティーをすすった。
愛佳たちの大学の近く。隠れ家みたいなカフェ。ねるの呼び出しに答えてくれた愛佳は少し気だるそうに姿勢を崩していた。
そして、チラリ、とねるを見る。恨ましげに見るねると視線を合わせて、またスマホに視線を落とした。
「なんよ」
「…なにが」
「何か言いたそうばい」
「そっちは何か言われたそうだね。言わないけど」
「……なん。今日愛佳いじわる」
なんでそんな冷たいと?
ねる悩んどるのに。
先生は全然寄ってくれん。ご飯誘っても3回に1回くらいしか合わせてくれん。
ねる頑張ったとに。
「……あのねぇ」
「、」
「この3ヶ月、何回このやり取りしてんの。理佐がどう思ってるかなんて、ねるが1番わかってるくせに。ほんと子どもだよね」
「む」
「まだ高校生の頃の方が相手できたわ」
「そんな言わんでよかやん」
「ねるは『そんなことないよ、理佐はねるのこと好きだよ』って言われたいだけでしょ。理佐がねるのこと好きなのはずっと前からだわ。今更なんなの、疑ってもないくせにそうやってウダウダして。めんどくさ」
「ひどい!」
「酷くないわ。そもそも私の時間をどんだけ使うんだばぁか。こっちだって可愛い恋人が待ってんだよ!あんたらのことだから行けって言われてるだけなんだから!」
「ぇ?愛佳恋人いたの?」
「…ほんとふざけてるよね、ねるって」
頬杖をついて、またレモンティーを啜る愛佳を見て
恋人がいたことにも驚いたけどそれ以上に、その人との時間を奪っているんだと知って反省する。
恋しているからか、今は酷くその時間が美化されて、申し訳なくなる。
「……ごめん」
「……いいよ。私もねるのことは応援したいしね」
私のしぼんだ姿に、愛佳の声は優しくて
促されるように顔をあげれば、呆れながらも優しいお姉さんのような表情だった。
「高校の頃の力強さはどこいっちゃったわけ?」
「アレはなんか、負けん気っていうか、理佐を捕まえるのに必死やったっていうか」
「じゃあなに。今は理佐が離れない証拠でもあるっての?付き合ってもないのに?」
「……」
「どうせあれでしょ。あの合コンの日の理佐見て、私が1番だって自惚れたんでしょ」
「そんな……こと、なか」
「………」
「…………思ったかも、少し」
「はぁ、」
あの日。ねるを見て。
びっくりしていたけど、それでも。和らいだ顔、ねるを見る瞳、その声に、安心した。
理佐の空気に触れて、安心してしまった。
それが自惚れだと言うなら、そうだと思う。
女の人を置いて、半ば無理やりだったけれどねるの相手をしてくれた。
だから。
「理佐は」
「!」
「ねるが自分自身のことを考えて進んだことに安心してたよ。あの頃、ねるの大事な分岐点を優先させることしか頭になかったからね」
「……」
「そういう、優しさなんじゃないの。理佐がねるを相手にするのは」
「……え?」
「元。家庭教師として、ねるが後悔するようなことにならなくて。ちゃんと大学を選んで先に進んでて。だから喜んだとか。久々の教え子に懐かしさを感じたとか」
「………」
「そういう可能性だってあるよね。『好きだったらー』なんて自惚れたこと言ってる余裕なんてないよ。ねるが勉強に励んだ数ヶ月。入学して理佐との接点に辿りつくまでの数ヶ月、理佐には理佐の時間があったんだから。心変わりしたって何もおかしくない」
「………もしかして、恋人、、いるの?」
「自分で聞きなよ。今日これから会うんでしょ?」
愛佳は、そう言うとテーブル横にあった伝票を手に持った。
「理佐はモテるよ。男女問わずね」
「───……」
理佐に会わなかった約半年。
ねるは勝手に、理佐は恋人を作らないって思っていた。
理佐はねるが好きで、だから。
そんなことにはならないって。
──「ねる?」
「!!」
気づけば、目の前には先生がいた。
「、、え?」
「愛佳に呼ばれて、店の入口で別れたんだよ。ねるが中にいるからって」
「あ、…そうだったんですね」
時間を見たけれど、先生との約束の時間には2時間くらい早くて。なのに、愛佳に呼ばれて出てきたんだ。
ねると、約束あったのに。
「……愛佳は?」
「帰ったよ。由依と約束あるんだって」
「……そうなんですか」
じゃあ、恋人ってあの人なのかな。
あの二人なら、喧嘩なんてしないし、こんなねるみたいにめんどくさいことなんてないのかな。
「……愛佳と会ってたんだ」
「はい。ちょっと相談で」
「ふうん」
「……?」
「…悩みは解決した?」
「……どう、ですかね。私、めんどくさいんで」
聞けばいい。
想いを伝えたらいい。
そうしなきゃ進まない。家庭教師と生徒の時間は終わったんだ。あのころの駆け引きなんて今はいらない──
「私じゃダメかな」
「……え?」
「私じゃ、ねるの相談相手にはなれない?」
「──……ぇ」
気づけば、先生は。
ねるを真っ直ぐに見つめて、酷く真面目に。
少し怖いくらいの眼差しで、ねるを見ていた。
「……ねるのこと、めんどくさいなんて思わないよ」
「……」
「ずっと深くまで考えて、悩んで、色んなこと抱えてるって知ってるから。それでねるが潰れるなら、一緒に悩むし背負うよ。だから」
「あの、先生」
「もう先生じゃない」
「!」
少し力の籠った声に、びっくりする。
怖いわけじゃないけど、先生…理佐のいつもの声とは異なっていて、身体は一瞬固くなった、
「……ごめん。でも、私とねるはもうそんな関係じゃなくて、対等だって思うから」
理佐がテーブルに手を出す。
惹き付けられるように、その手に触れると
理佐は力強く、それでいて優しくねるの手を握った。
「……ねるの傍で力になりたい」
先生、だからじゃなくて、?
生徒相手だからじゃなくて?
「……ありがとう、」
「………」
「ひとつ、聞いてもいい?」
「うん」
即答してくれる強さに、心が和らぐ。
愛佳が言っていた通り、その強さや優しさに惹かれる人がたくさんいるんだ。
分かってた。だって自分自身がそうだから。
なのに忘れていたのは、完全にうぬぼれだ。
「理佐は、付き合っている人、いる?」
「……え?」
「……」
じっと見つめ返す。考え出したらまた出ていかない気がしたから、何も考えないようにして流れるように口にする。
理佐は少し呆気にとられた様にして、少しして、ねるの口元を見ながら呆れるように笑った。
「また、唇噛んでる。やめなさい」
「っ。答えて」
「ふふ、愛佳にいじられたね?」
「理佐!」
無意識に噛んでいた下唇に触れようとするから反射的に逃げる。その口ぶりと仕草に誤魔化されると思った。
ねるの反応に、理佐は唇に伸ばしていた手を戻した。
「……いないよ」
「!」
「付き合ってる人はいない」
少し口角を上げて。
安心させるような優しい声。
「今まで、告白とか…された?」
「そうだね。ゼロではないかな」
「付き合わなかったの?」
「うん」
迷いなく、ねるの目を見たまま。
会話は、滞ることなく。
「男の人とも?」
「関係ないよ。だって」
こっちを見て。
そう言うように触れていた手に力が込められる。
柔らかい雰囲気は消えて、
理佐は少し緊張してるみたいに固い。
怖いくらいの眼差しに、心臓が締め付けられる。
「私は、ねるのことが好きだから」
理佐の芯の強い、優しい声がした。