家庭教師×生徒

小池「ええ゛!??」

土生「んん?」


みぃちゃんの珍しく裏返った声がした。土生ちゃんは口を詰むんだまま声を漏らしたけど、眉間のシワは深くて理解に苦しんでいた。
ねるはそれに驚きながら、あまりに素直すぎる反応に笑ってしまう。ふたりはそんなねるに更に?を増やしていく。


「えっ、え?どういうこと?なんで先生の大学行かへんの!?」

「みいちゃん驚きすぎばい」

「うちのことはええねん!なんで!?」

「……うーん。なんでって言われると具体的なこと言えんけど」

「……」

「………みいちゃんが、ねるの味方してくれたけん、心がすとんって決まったと」

「……え?」


みいちゃんが味方してくれたあの時、ブスブスと黒ずんだ心が、青空みたいに晴れた。夕陽に照らされてオレンジ色に染るみいちゃんの強い目はすごく綺麗で、可愛い顔立ちとは逆の芯の強さが印象的だった。

それが、なんで進路に決定打を打ったのかは感覚的すぎて分からない。

ただ──


「う、うちのせい?」


震えるみいちゃんは、あの時の顔とは全く違う表情で。不安げで、悲しそうに眉を潜ませる。
誰かのために心を傾けることが出来る彼女は素敵な女性だと改めて思う。

みいちゃん自身が不安にまみれる中、そんな風に思うのは
本当に心が決まってるから。


ねる「違うよ。むしろ感謝しとる」

小池「でも、」

土生「……、」

ねる「それより受ける大学のレベル上がるけん、勉強しなきゃ。やれることはやらんとね」

小池「……、土生ちゃん…」

土生「…」


笑顔を返してテキストを広げる。

後悔なんてしない。
間違えたなんて言わせない。

その為に、ねるは。
先生とは違う道に行く。


















「…………」

「「……………」」


お昼のラウンジには似つかわしくない無言が漂う。
愛佳を見れば呆れ顔で、私の視線に気づくと小さくため息をついた。
きっと盛大にため息をついたところで、目の前で呆ける本人には聞こえていないだろう。


愛佳「……どうするよ、これ」

由依「どうするって。引っぱたいて根性入れさす?」

愛佳「なんで急にそんな根性論に飛ぶの?」


いやだって。解決策なんて分かりきっているけど、到底無理な話でしょ。
ねるちゃんが違う大学に進むこと、理佐との繋がりを切ったのなら、私たちにどうすることも出来ない。


由依「じゃあ、新しい出会いでも探す?」

愛佳「私ならそれでもいいけどさ、理佐は違うじゃん」

由依「本気で返さないでよ、私が空気読めないみたいじゃん」

愛佳「え?私ずっと本気なんだけど」

由依「え?そうなの?」

愛佳「ていうか、今のところ否定してよ。私だって本気の子に振られたらすぐ次なんて行けないから」

由依「ちょっと今そこ突っ込む気にはならないかな」


テンポのいい会話は気持ちいいけれど、生憎それはこの事態好転には全く関係ない。

何となく胸が苦しいのは、きっと罪悪感だ。


────

『子どもはやることをやりなさい』

────


由依「焚き付けすぎたかなぁ」

愛佳「ねぇさっきから思ってたんだけど」

由依「ん?」

愛佳「ねるが理佐のこと振ったと思ってんの?」

由依「……そうだけど」

愛佳「なんで?」


なんで、って?
もう先生はいらないって。ねるはもう大丈夫だって。先生の大学には進まないって
そう聞いているのに違うのか?

そもそも目の前の理佐は、だからこんなにも腑抜けて魂が抜けたまま
コーヒーを口元に傾けてはウザイほどにため息をついているのではないのか。


愛佳「由依らしくないね。…あぁ、あんなこと言ったから罪悪感でも持った?」

由依「…何が言いたいの?」

愛佳「分かんないかなぁ?それとも言って欲しいの?ゆいぽん」

由依「……ウザイんだけど」


頬杖を付いて口角を上げる。挑戦的のような、それでいてバカにしたような。
愛佳の、見透かしたような猫の目に
苛立ちが勝る。それが何故なのか分かっているから、他人につつかれたくないのに
それを敢えて手を伸ばす愛佳は
酷いやつだ。


愛佳「これでも私は怒ってるんだよね。基本的にりっちゃんの味方だからさ」

由依「……だから?」

愛佳「その由依らしくない判断はやましいことがあるからでしょ。それがきっかけでこんなことになったってことは、否定できないよね」

由依「……、」


酷い、というのは私の自己防衛的な話で。
愛佳は、理佐を本当に大事に思っていて
理佐の大事な出来事に終止符を打ったのが私なら
それに敵意を見せるのは当然だと思う。

愛佳の目が猫と同じだったら
黒い瞳は縦1本に細くなっているだろう。


由依「頭下げろって話じゃないでしょ?」

愛佳「由依の頭下げたってこの話は好転しないじゃん。そんなのいらないよ」

由依「……」

愛佳「まぁだからって何して欲しい訳でもないんだけどさ」

ウザい。愛佳ってこんなねちっこいこと言うやつだっけ。
友達やめようかな。


由依「じゃあなんなの?」

愛佳「最初に言ったじゃん。ただ怒ってるんだよ、由依のあの言葉でねるが傷ついて、理佐との別れを選んだなら、許さないよって話」

由依「───、、、」


理佐本人ならともかく、なんで愛佳に許さないと圧をかけられるんだろうか。そもそも愛佳に許される必要があるのか。

そんなことを苛立つ頭で考えて、ただ感情だけが先行する。
こんなの私らしくない。







理佐「何の話?」


愛佳「あ、起きた?」

理佐「起きてるよずっと。空気重くて大人しくしてただけ」

愛佳「とか言ってねるって言葉に反応したんじゃないの?」

理佐「……何の話かわかんないけど、由依、長濱さんに何か言ったの?」

由依「………、、」


理佐の目が、どこか光を持つ。
さっきまでの腑抜けていた理佐じゃなかった。
言葉がすぐ出なかったのは、愛佳の言う通りきっとやましいからだ。


「……子どもはやることをやれって。」


でも。

あの、言葉は。

引き裂きたかったわけじゃない。

理佐が、ねるに向き合っているように
ねるにも理佐と同じ形で向き合って欲しかっただけ。

この先ふたりが共に歩いた先で、やり残したことや後悔の欠片でつまづいて欲しくない。
笑っていて欲しい。

その為に、今目の前にあることから手を離さないで欲しい。
この時期に手放したものは、手に戻ることは圧倒的に少ないから。


由依「…………」

理佐「……そっか」


理佐と目が合っていた。
けれど、理佐はその一言をこぼす前に目をそらす。

私は今、どんな顔をしているんだろう。
やましさを抱えたバツの悪い顔か、それとも結果を差し置いた偽善や正義心を剥き出しにした堂々とした顔か。


「ありがと」

「───」

「これで長濱さんが自分の道を選べたんだから、由依が話してくれてよかった」


───なんだ、これは。


そんな、自己中心的な思考に染められる。


その顔はなに。
その言葉は何。

その感情の意味はなに?


意味が分からなすぎて『どんな裏が隠された言葉なのか』と深読みしてしまう。

でも、理佐の表情は穏やかで。

さっきまでの腑抜けたものとは違う、安心したような。ねるの決断を、受け止める………受け入れたような印象だった。



「──………、」


言葉が出ていかない。
目の前の友人に、何も言える言葉がない。


だって、それは私が──









──ああ、そうか。

だから、



「………愛佳、」

「なに?」

「……絶対、許さないで」

「………言われなくても」


だから。

愛佳は私を許さない。


理佐は追いかけることなんてしない。


そして、その事に何かを抱えることもしない。


このまま。
ねるとの別れを受け入れてしまうんだ。





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