あなたの犠牲になる。


「小林」

「、なに」

「あいつのこと、どう思う?」

「……」


問いかけに足を止めて振り返れば、志田は軽い印象を消して、いつになく真面目な顔をしていた。

小林は”それはどういう意味?”と口から出そうだったのを寸でで止めた。それは愛佳の問いに逃げているだけだと脳の端が叫んでいたからだ。


「欅と長濱にとって不利益はないと思ってるよ」

「……」

「彼女は主張もなく影に立つタイプだから。けど、ねるの傍に立つならそれがいい」

「それが逸材だって?」

「逸材だと言ったのはそれだけじゃないけど、そんなのさっきのやり取りで感じたんじゃないの?」


だからその問いかけを私にしたんでしょ。
そんな言葉を影に潜ませて投げれば、志田はそれを感じとったのか、視線を横に逃がした。


「不利益にならないことは認める。きっと求めた結果を出す。でも、アレはそんな便利なもんじゃない」

「それの何が問題なの?求めた結果が出ればそれでいいでしょ。身代わりの保身なんていらない。それぐらいの方がめんどくさくなくていいじゃん」

「由依。使うのは人間だよ、物じゃない」

「……は?」


小林から出た声は、低かった。
お腹の奥が不快感に埋まる。横隔膜が肺を競り上げるかのように、吐きそうになる。

小林はこれがなんなのか理解していた。

──なんの汚れもない、純粋な嫌悪感だ。



「…なにまともな事言ってんの?」

「!」

「可哀想で声の出せない悲壮さに同情でもした?押し倒してまともに顔見て罪悪感に塗れでもした?あんた、笑顔貼りつけてるだけで相手の顔見てないでしょ」

「……おい、」


志田が腹立たしそうに小林を見る。うつむき加減で、ともすれば互いの睨み合いだったけれど、そんなやましさに塗れた目に、圧に、小林が気圧されるなんてありえなかった。


「…人間扱いされるやつは売られない」

「、」

「”物”を求める奴がいなきゃ売り場は成り立たない」


それが世の理だ。
どんなに酷でも、理不尽でも
そういう者がいてそうされる物があって
それでもそこにしか居場所がないモノがいる。

そうして……世界は成り立っている。


「渡邉理佐は、そういう存在だよ。彼女はねるの身代わりになる、そこに存在価値がある。それ以上求めるものはない。ほら、なんの問題もないでしょ」

「………お前はそうやって生きてくの?」

「ねぇ、ほんとにどうしたの。今更そんなこと言うなんてらしくない」

「……いや、。由依はあいつの目見た?」

「目?見てるけど、なに」

「何も思わなかった?」

「は?」


今度は本気で疑問の声が出た。何が言いたいのか分からない。意味がわからない。

けれど志田は、小林をまっすぐ見たまま。
本気で、本当に。何も思わなかったかを知りたいようだった。


「……何も。ただの身代わりに、何も思うことなんてない」


そして、小林もそれに視線を逸らさずに答えた。

小林の中で、何を思う、何かを感じる必要なんてない。志田に投げた『笑顔を貼り付けて顔なんて見ていない』という言葉は、バカにしてるわけでも、虐げている訳でもない。

それが必然であり、当たり前だと思っている。
主の為に身を呈す。そのものを育てる、関わる、言葉を交わす。

けれどそれが、いつ忽然と存在が消えるか分からない。
いちいち感情を向け、関係を築いていたら壊れるのは自分だ。

そう、意味を込めたのに、志田はまだ小林から目を逸らさなかった。



「……はぁ、」


思考が人情に流される感覚にため息が出る。こういうのは苦手だった。境界線が曖昧になって思考の区切りがなくなるほどに、苦痛は大きくなる。
自分はそういうタイプの人間だと、小林は随分前から知っている。

面倒くさい。それが小林の素直な感情だったけれど、それを志田に投げたところで機嫌が悪くなるだけだと理解出来た。
小林は腕を組んで壁に寄りかかり、思い出すように視線を上へと流す。


「…逸材という言葉は、彼女との1ヶ月で純粋に感じたこと。目は……そうだね。意志を持つようになったと思うよ、元々冷たい印象が、熱を持つ、みたいな?」

「……」

「何も無い自分に、役割ができて、全うすることに存在意義を感じてるんだと…思ってるんたけど」

「……そう、」

「………違うの?」

「…」


言いづらそうな顔をする。
いや、というよりもどう言い表すべきか分からないような反応だった。


「私もよく分かってないけど。なんか気持ち悪いんだよね。私は基本誰も信用しないけど、その分相手の観察はしてるつもりなんだよ」

「そうだね」


志田は笑顔で距離を詰めるくせに、心許すことはない。
それは、主に対してもそうだった。そしてそれは、小林が志田に出会った時から変わらない。何があったかなど聞いたこともないけれど、猫みたいに笑う目はいつでもなにか奥底を見つめている。

なのに今、志田は至極真っ当真面目な顔で視線を斜め下に流して何もない壁を見つめる。なにも、見えていないみたいに。


「………、」

「なんか分かんないけど、要は警戒しろってことでしょ」

「由依の言う通り害はないよ、多分ね。けど、何が起こるか……何をするかは構えておく方がいいって思う、」

「……」


小林の思う渡邉理佐は従順で、自己犠牲の塊だと思っている。それは身代わりにはうってつけだと。


「問題ないと思うけど。怪我してまでねるを守ったんだし。無駄な怪我だったとは思うけどね」

「それが問題なんだよ」


なのに、志田の視点は全く違う。
何も見えていないはずの目は、それだけはしっかりと見据えるように顔が変わる。


「……」

「あの怪我はしなくて良かった。それは渡邉理佐だって分かってた」

「考えることと実際動けることにはズレがあって当然だよ、彼女は実践は初めてだったんだから」

「……」






────


……逸材というのは綺麗すぎる。

渡邉理佐から感じたのは不快感なんて優しいものじゃない。


けれど、そんなのは由依に言ったところで不信と不和しか生まれない。
渡邉理佐の居場所がなくなるだけ。
ねるが、身代わりを失うだけ。

渡邉理佐が優秀であることに変わりはないんだ。

警戒があればいい。
あいつに引きずり込まれないように。




───


「あ、いたいた。探しちゃったよ。部屋に居ないんだもん」

「……あぁ、あんたか」

「小林の場所なんて何時でも把握してるだろ」

「人をストーカーみたいに言わないでよ。仕事はちゃんとしてるって」

「……仕事?」


こんな時間だけど、早めに伝えとこうと思ってさ。
その言葉と笑顔に、2人の頭の中は業務へと切り替わった。



「平手から呼び出しだよ。渡邉理佐をご指名でね。もちろんお嬢様を連れて」



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