あなたの犠牲になる。
───その言い方、あの場にいたみたいだね
「!??」
『……』
その声の正体は、彼女。
だと思った。
「よ」
「!!、まな、か」
「鈴本。代わるよ」
彼女を見るばかりに気づかなかったけれど、愛佳は既に横に立っていて肩を叩かれて体が跳ねる。
愛佳は少し呆れ顔で、余裕な笑顔を掲げていた。
「……なんで、」
「初任務を終えたって聞いたから、顔見に来たんだよ。鈴本は今回の後処理残ってるでしょ?話したいこともあるし、代わるよ」
「……、」
「休まなそうなところあるし、ちゃんと見張っとくから」
「………分かった。ごめん」
愛佳の目が、言葉以上に訴えてくる。焦りと不安、疑いに追われて言葉を選ばずに発してしまった。"あの場にいたみたい"。
欅の一員として、まだ疑いを持つ相手に対して、あまりに迂闊だった。
彼女の戸惑いを無視して、愛佳は彼女の部屋に共に入っていく。ドアが閉じられて静かになってから、私は鼻から深く息を吸って、背筋を伸ばし
今回の後処理へと足を進めた。
『………』
「って訳で。志田愛佳だよ、一応面識あるよね。よろしく」
『……』
「意外と顔出るんだね。めちゃくちゃ嫌そうな顔してんじゃん、私一応上司なんだけど」
顔が好みだとか、声が聞きたいとか。
扱くなんてめんどくさいし、そのやり取りに心を痛めたり後で後悔したりとかしたくない。きっと鈴本は、今回の件の後処理や指導、今後どう関わっていくかを悩んでくんだろうけど、それが苦痛になるか成長になるかなんて関係ないなとたどり着く。
けどそんな他人事に考えることさえも、全部私の内の話であって、この場では関係ないことだ。
他所向きの笑顔を貼り付けて、話しかける。
彼女はむしろ怪訝さをまして私を見返していた。戸惑いなんてない。ただの警戒と、不信。
「ごめんごめん。そんなに警戒しないで。別に喧嘩売ろうってわけじゃなくてさ。…休む前に少し話がしたいんだけど、いい?」
『……』
「怪我で風呂入れないなら身体拭こうか」
『……』
私の言葉にブンブンと顔を振り、明らかにドアに視線を向けて、また私を見る。
全身から早く出ていけって言われている。
「この部屋、狭いよね。私の部屋の半分くらいかなぁ。そのうちねるの側近になり上がればもうちょっといい部屋になれるから我慢してね」
まぁ無視ですけど。
「──ねるに買われるまでの豚箱の生活よりはいいと思うんだよね」
『──、』
不躾に、無遠慮に。言葉を吐き出していく私に、向けられる目が強くなる。殺意というよりは、敵意。
これ以上踏み込んでくるな、とでも言いたそう。
私はそんな彼女に笑顔を崩さないまま、部屋のベッドに無遠慮に腰を下ろし、前かがみになって膝に肘を着く。貼り付けの笑顔なんて慣れたもので、口角を上げたまま彼女へと余裕を見せびらかした。
意識は、彼女の敵意から離さず。
視線は白い包帯の巻かれた腕に向かう。
「…その怪我、わざと負ったって本当?現場と訓練は違うからね、いくら小林が逸材だと言ったってそれだけじゃ判断できないと私は思うんだけど」
『……、、』
空気は張り詰めて、冷たくなる。
無言の敵意と、吐露される不信。
肌がピリピリするほどの、彼女の視線は、それでも私を止められない。
「1番近くで見てきた鈴本や側近の小林がしたその評価が買い被りだった……とか。有り得なくもないじゃない?」
『──、』
彼女は声を発さない。言語的な会話が成り立たない、というのは想像よりも面倒臭い。筆談をする雰囲気でもないし、その言葉の真実味は評価しづらい。相手が返答をしようとしてくれていればまだいいけれど、そんなのはねるに買われてから1度だって感じたことは無い。
彼女の心は、意思は
ずっと何かに隠されていて掴めない。
「………お前に、信頼も信用もないよ」
『………。』
……志田愛佳という人間は、相手を疑って生きている。
目の前の、得体の知れない
たった1ヶ月しか経たない売り物だったそれを、疑いなく扱うことなんてないわけがない。
ねるに選定されたというだけの話。
綺麗で、好みの顔立ちと雰囲気があっても
どれだけ親しいやつがいたとしても
自分の中で感情と思考は別れていて
だから、長い付き合いの鈴本も信頼の厚い小林も、全てを信じられない。
『喋れない』という事実を、真実だと容易く、疑いもせずに受け入れるなんてことは不可能なんだ。
「その怪我、もしかしてそれで長濱への忠誠の証になるとでも思ったの?」
『─』
一瞬の反応。睨みつけるだけだった目元が動く。
閉じていた蓋からやっと零れた感情。
今言った言葉が彼女にとって本当なら、こいつの思考回路は相当めんどくさいかもしれない。
…顔綺麗なのになぁ。
「……はぁ、」
無意識に溜めていた息を吐く。
笑顔はいつの間にかどこかへ落としてきていた。
その身を呈すること。
守るために自分を厭わないこと。
それが、自分の存在意義であり、
長濱にいるための証明になる。
自己犠牲とはまた違う。
小林がこれを見抜いていたのなら……、逸材というのは綺麗すぎる。
「…残念だったね。鈴本が言った通り、そんなのは自分の価値を落とすだけだよ」
『………』
「怪我をしたその後は?致命傷を避けたとして、痛みや外傷で動きが鈍れば、ねるを守れない可能性は上がる。わざとかどうかなんて関係ない。お前の価値観に漬け込むやつは、この先山ほどいる」
彼女は、私の言葉に頷きも否定もせず対峙し続ける。
「お前の価値なんて関係ないんだよ」
けれど徐々にその目の色は変わっていた。
「!」
身体が反射的に動いた後に気づく。彼女は怪我した腕で私を殴りかかっていた。
「っおい、!」
『──』
「うわ!」
声は出されない。
避けたせいで姿勢を崩した私の胸ぐらを掴むと、ろくに力の入らない私の身体を引き立たせた。
「──!おぉ、」
『………』
手を離すと掴まれて崩れた襟元を正す。
そうして、構えるように対峙する。
「……え?まじ?」
『……』
この雰囲気、やり合う以外に答えはなさそう。
信頼を得るのに、怪我した手で私とやり合うってとんだ思考回路。
欅の軍曹は気に入りそうだなと思ったけど、生憎私はそういうタイプではない。
「待って。そんなつもりない。私はただ──うわ!」
『…、』
顔に出るなんて間違いだった。
あれは敢えて、私に出て行けと表していたんだ。
言葉の交わされないこの場に。
答えはその方法でしか出せないから。
体を打ち抜きに来る拳や蹴りを流す。身長のせいもあってか、鈴本と同じような型なのに重みがある。
けど、やっぱり
体つきが良くなっても、
いくら鍛えられても
たかが1ヶ月。
『──っ!!』
「、はい。おしまい」
まだまだ弱い。ぬるい。遅い。
彼女の力と流れを利用して押し倒す。馬乗りになって腕を抑え込めば、彼女は顔を苦痛に歪ませた。
「ほら。無駄な怪我は、ただの弱点にしかならない。お前の存在価値にはなり得ない」
『──っ、、』
これ、傍から見たら襲ってるみたいだし、すごい意地悪でドSだなぁなんて俯瞰する。
睨んでくる彼女の目は変わらず、倒れた拍子に髪は落ち、顔が見えた。
………、
「………」
『………、、?』
「……………」
「何してんの変態」
「うわ!」
『!』
感じたことない感情に飲まれそうになっていたところに冷たい声が浴びせられ
一気に引き戻される。
顔をあげれば、凍るくらいに冷たい目をした小林がいた。
「──で。どうする?梨加ちゃん呼べばいい?それともセクハラで訴えようか?」
「こいつが襲ってきたから抑え込んだだけで正当防衛だって」
『……』
「容疑者の言い分聞くわけないでしょ。ねるに言いつけたっていいんだよ」
私の言い分は全く聞きいれてもらえない。
でもあの状況を傍から見たら………と思い出して、これは言い分なんて意味ないなと理解した。
「──ごめんて。私の言い分に嘘はないけど、あれは意地悪だった…かも」
「女遊びで有名なんだから、誤解されるようなことはやめなよ」
「そんなの前の話でしょ。てか小林なんで来たんだよ」
「隠密から様子見といて欲しいって連絡あってね。物音激しくなったから入った」
「信用されてないね」
「今回みたいなことになってて信用なんてあるわけないじゃん。むしろ見に来てよかったよ」
「だから襲わないってば」
組み敷いた時の感情は、心臓を撫であげられるような、内臓を弄られるかのような感覚だった。何かが吹き出しそうで、けれど初めての感覚にその方法すら分からない、泣くだけの赤ん坊みたい。
自分の中の知らない何かを開きそうになる気がして、考えないようにした。
「はいはい。まぁ未然に防げてよかった。本題に入ろうか」
「本題?」
『、?』
小林は私に向けていた目を、彼女へ向ける。
その熱は、さっきまでの私と喋る小林由依ではなかった。
「調べがついたよ。全くあのバイヤー適当すぎて1ヶ月もかかった」
「ウケる。そんなめんどくさい経緯辿ってるんなら、本人もめんどくさいはずだわ」
「めんどくさいっていうか、なんだろうね。私も適当とは言ったけど、その表現が合ってるかは分からない」
その話はまた後でね。
そう言って小林は話を切替えると、複雑そうな顔でこっちを見る彼女へ、向き直った。
『………』
「批判のためじゃない、これからの信頼のためだよ。自分の素性を調べられて嫌だろうけど、勘弁してね」
『………』
「そんで?まずは名前?」
というかむしろ、ねるが名前をつけるんだと思っていた。それにしては遅いと思っていたけど、本人のことを調べさせていたなんて知らなかった。
小林は、何を確認することなく、真っ直ぐに彼女を見て口を動かす。
きっと、誰よりも先にその名前を見た彼女は
何度も目を通したんだろう。
「渡邉理佐。それが本当の名前」
『───、、』
彼女、
渡邉理佐の目に、光が映る。
「………ぁ、」
さっきこれに、心が飲まれそうだったんだ。
そうして知る。
彼女のそれは、絶望の光だってことを。