あなたの犠牲になる。

──殴られる音と、弾かれる金属音。

開けた視界には、相手が倒れていて
押さえつけるように彼女がその上に乗る。

一瞬遅れて耳元に届いた音は、彼女の血が地面に落ちる、酷く不快なものだった。


「──っ!!」

「ねる様、車に乗ってください」

「!?待って、あの子怪我してる!」

「そんなことよりねる様の安全が優先です、邸に帰りましょう!」

「っいけん!死んじゃったらどうすると!?一緒に車に──」


運転手の顔に、頭がまっしろになる。
彼女を見る目は冷たくて、私の意見に煩わしさを浮かばせる。

この運転手はきっと有能だ。
正しい選択をしてるってわかってる。

この場での間違いは、私自身なんだ。


「……っ、わかっています。」

「…さぁこちらに」

『………、』


彼女でさえ、相手を抑えながら早く行けと視線を送ってくる。むしろ私が騒いでいることに困惑しているようにも見えた。

言葉はない。けれど、その目は確かに、生きる意味を持っている。


「…由依に連絡して。相手を拘束するよう伝えなさい」

『……』

「……、」


私の指示に、彼女はポケットからスマホを取り出し、起動させる。血に濡れた手で操作し、連絡を終えると、私に向かってスマホを掲げながら頭を下げた。


由依が来れば、彼女の手当もしてくれるはずだ。落ち着いてみれば血が出ているのは左手だけで、彼女はどこからが取り出した紐状のもので止血していた。

とりあえず、命の危機はないのだろう。


強い瞳のまま表情を崩さない彼女は、強い信頼と主に、底知れない恐怖を感じた。













由依「今回の失敗はねるだね」

ねる「………」

『…………』

由依「けど、あんたも相手は拘束するか武器を奪えって教わってるはずだよね。今回の怪我なんて負うことなかった」

鈴本「……無駄な怪我は自分の存在価値を落とすよ。次は気をつけて」

『……』


邸に帰ると由依が居た。慌てて彼女のことを言いつけたけれど、由依は酷く冷静で。彼女の元に行こうとする素振りもなかった。

一旦の治療を終えて彼女が戻ってくるころには、由依と美愉が揃っていた。

違和感はじわじわと燻り、何かがおかしいと確信する。


ねる「…どういうこと、?」

由依「…たったひと月前に買った"代わり"に全部任せるほど、長濱ねるを軽く見ていないってこと」

ねる「………、、全部…うそ、?」


まさか。
今回の件は、私と彼女を評価するための虚偽、?


由依「語弊があるよ、姫。嘘じゃあない。田村家との会合も、彼女にこの1ヶ月で基本的なことを教えたのも、逸材だって思ってるのも事実に変わりない。ねるに付けたのが彼女1人っていうのも、本当のこと」

ねる「………」

『…………』


由依が、内心ふつふつと怒りを抱えているのが分かる。私も彼女も、由依が期待するものとは掛け離れた結果を持ってきたんだ。

そして、私の問いに由依は正当な答えを返しているのに何も真実にはたどり着かない。。
こんな質問じゃダメだ。戸惑い、揺らいで、感情に流される会話に意味は無い。


──真実だとわかっているのに聞くのは時間の無駄──


ねる「…私たちを襲ったあの人は、何者?こちら側の人間なの?」

由依「……そうだよ。あれは欅の隠密。表に出ることはほとんどないし、名前も何人いるかも分からない」

ねる「私にも知らせないの?」

由依「そう。教えられない」

美愉「……」


隠密。

耳にしたことはあったけれど、目にしたことなんてなかった。日常に隠れているのか、その場に存在しないのかすら明確でない、そんな存在。

こんな形で関わりが起こるなんて。


由依「ねる。あなたは長濱の跡取りなんだよ。あなたを守るために色んな人間がいる。それは彼女だったり、今回敵役をやった隠密もそう」

ねる「………」


私は。
長濱の跡取り。

長濱は、欅を支える柱のひとつ。

私は、欅を支える為に、守られ、
その分立ち続けなければならない。


『………、』

由依「そしてそれは、相手側も同じ。誰かを隠して投げ入れてくる。それは田村保乃や藤吉夏鈴のような跡取りにも知らない人間だってこともある。口頭や表情だけでの探り合いにも限界があるんだよ」

ねる「……」

由依「だから、彼女が必要なんだ。傍らにいて、何よりもねるを守る、身代わりとして」

『………』


あの時、本当に何か有事が起きて彼女が役に立たなければ、きっと彼女はそのまま捨てられただろう。
そして、隠密が私を守るシナリオがあった。

今回、有事はなく、隠密が敵代わりをして
彼女と、私の評価をした。


彼女が、私を守れるか。
…私が、彼女を捨てられるか。


"今回の失敗はねるだね"


それが、今回の全てだ。



子供は、お気に入りのぬいぐるみが壊れたなら泣くだろう。

でも。私が言ったんだ。
彼女はぬいぐるみなんかじゃない。

私は…、彼女を捨てる選択を常に持たなければならない。


由依「……今日はお疲れ様、よく休んで」

ねる「……」


由依は、彼女と美愉を連れて出ていく。
私は入れ替わりで入ってきたメイドに世話をされてベッドに入った。


暗闇に、昼間見た光景が浮かぶ。

紅く舞う彼女と、何度も守るように視界を埋めた背中。

そして、慌てる私を安心させるように手を握り
笑顔を見せたその表情…。


「……りさ、」


考えなければならないことは沢山ある。
彼女から心を離さなければならない。
なのに、その夜浮かぶのは彼女の姿と、りさという響きだけだった。






















美愉「……傷の痛みは?」

『……』


彼女の部屋の前。部屋に送り、別れる寸前。私はテンプレのような声掛けをする。

彼女は喋れない。
愛佳は声を聞きたいと言っていたけれど、私には彼女がこの先声を出すことなんて想像できなかった。

キツい訓練中も、指導中も。声を聞いたことがない。

案の定、私の言葉への反応は首を振る、それだけだった。けれど痛み止めが効いているのか、顔にも苦痛はなさそうだった。


「…」

『?』


部屋の前から離れない私に、彼女は小さく戸惑う。
この1ヶ月で感情の表出だけは、上手く拾えるようになったと思う。
1ヶ月。彼女を指導して、教育をして。彼女の実力を含め、知れるところは増えたはずだ。

でも、分からない。
だからこそ、分からない。


「………なんで」

『……』


声を耐えられなかったのは私だった。
聞かずにはいられない。聞いても答えは得られないと知っているのに。


「なんで、"わざと"怪我をしたの、?」

『──……』


何故。

彼女の実力なら、あのナイフを弾くことも叩き落とすことも可能だったはずだ。
現に、間に合う反射を見せていた。

"無駄な怪我は、自分の存在価値を落とす"


彼女は、それを狙っていたのか?
存在を落とし、代わりを逃れる。その先に何かを求めている?
それとも長濱の内に入ることが目的の、サクラからの仕込みか?

だとするなら……彼女は、





───その言い方、あの場にいたみたいだね


「───!??」


頭が理解できない。
声はどこから降ってきた?
この声に聞き覚えはない。

まさか、


まさか。


顔をあげれば、見たことの無い目の色をした彼女が私を見下ろしていた。


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