あなたの犠牲になる。

由依「基本はもう済んでる。今日の顔合わせ、予定通りこの子がつくから」

ねる「え?」

『………』


由依に紹介されて、その子はぺこりと頭を下げる。

スーツを着て、綺麗な立ち姿。
顔くらいしかろくに見えないけれど、痩せこけていたそれは薄らいでいた。

そして、なにより


ねる「──ほんとに、?」

由依「ふふ、本当。あの時からはだいぶ変わったからね。鈴本がいい教育したんだよ」

ねる「……、」


──何より、綺麗だった。1か月前より遥かに。そして、まっすぐで強い瞳。

あの時の、死んでるような目は、影もない。


ねる「………」

由依「いつまで見惚れてんの」

ねる「!見惚れてなんかなか!」

由依「はいはい。じゃ、頼んだよ。何があってもおかしくないからね」

『………』


彼女は、由依の言葉を受け取ると、しっかり頭を下げた。













でも、こんな小さな会合と顔合わせに由依は何をそんなに警戒してるんだろう。
その価値は、襲うリスクに釣り合わないと思う。長濱ねるという存在は、未だ大きな価値もなく、欅にとっての力もまだ乏しいのは自覚している。


「お久しぶりです、ねるさん」

「久しぶり。今日はよろしくお願いします」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」


顔合わせとはいえ、互いの面識はある。今回の会合は、今進めている企画を正式に進めるための習わしみたいなもの。

それでも表沙汰ではないのは、ここ最近反勢力の動きが穏やかではないから。
由依はそういう意味で、警戒を張るのだろうか。


「……それでは、──」


顔合わせの会合、議題を済ませてから話題に上がるのは今回の企画についてと、腹の探り合い。気を張っていなければならないのに、私は”あの子”が気になって仕方がない。



「ねるさん?大丈夫ですか?」

「、あ、ごめん。大丈夫」

「今日は由依さんじゃないんですね」

「……うん」

「ひいちゃんが会うの楽しみにしてたんですよ。遊びじゃないんやでって何回言ったか分からんくらい」

「ふふ、ごめんね。今日は、私も初めてなんだ」


サクラからの出席は、田村保乃。
その側近は、森田ひかる。

この2人の仲の良さは、心配になるくらいだけど、由依曰く、正しい信頼関係と愛情らしいから問題ないらしい。

正しいってなんだろうと思ったけど、自分には関係ないと区切りをつけた記憶がある。


ひかる「保乃ちゃんやって、ねるさんに会えるってにやにやしてたやん」

保乃「黙っとき!」

ねる「ふふ、可愛かねぇ」

ひかる「……由依さんは、側近外れたんですか?」

ねる「ううん、そういう訳じゃないけど今日はちょっとね…。会いたがってたこと伝えておくね」

ひかる「いいえ、ねる様にお手を煩わせるような件ではありません」

ねる「そう?」

ひかる「はい」


保乃ちゃんの後ろに立つひかるちゃんは、にっこりと笑いながら
ピリピリと空気を痺れさせる。

そうしてすぐ、保乃ちゃんの腕を引いた。


ひかる「保乃ちゃん、後ろに」

保乃「え?え?」

『………、』

ねる「え?」


──なにか、起こる。

彼女達の反応からそう思った頃には、私たちは後ろに下げられていて
”あの子”の背中が、私の視界を埋めつくしていた。


──!!

───!!!


酷い喧騒と物音が響く。

襲撃が起きたと理解出来たのは、彼女とひかるちゃんが戦闘に入ってからだった。


おかしい。こんな小さな会合で、こんな風に襲われるなんて。
大した人間も来ない、長濱と田村には、まだ上がいる。ほとんど権力を持たない私たちを襲ったところで、反対勢力のリスクの方が大きいはずだ。


物が倒され落ちる音。物々しい衝撃音。
殴られる音、倒れる音、衝撃。

『ガキは部屋の奥にいる、捕まえろ』と指示が入る。

その声が届く頃には、彼女は私の肩を支えて走り出していた。


ねる「っ、」

『………』


彼女からの指示がない。声が出せないからだ。どこに行けばいいのかくらいは事前に分かってはいるけど、声が聞けないことがこんなに怖いと思わなかった。


「保乃ちゃんは、!?」

『……、』

「ねえっ!」


裏口に誘導されて、あとは抜けるだけの状況になる。その安心からか、ふと保乃ちゃんを思い出す。ひかるが逃がしてるとは分かっているけど、この騒動の中どうなったのか心配だった。

答えられないって分かってるのに、私は彼女に掴みかかってしまう。


『……』

「!」


彼女が、私の手を握りしめる。彼女からしたら、私を早くこの場から離したいはずなのに。

強く包むように握られた手に、いつの間にかバクバクしていた心臓と、パニックになっていた頭の中を、酸素が行き届いたかのように落ち着かせる。狭くなっていた視野が色を取り戻し、彼女の手に付いていた血に気がついて、やっと彼女の怪我を知った。

それに、初めて会った時の彼女が脳裏を過り、心臓が撫であげられたのようにぞわりと不快感が走って、慌てて顔を上げた。


「──…、、」

『………。』



衝撃だった。

彼女は、優しく笑っていたんだ。
手を優しく、強く握って。
私の目を真っ直ぐに見て。

微笑んでいた。


「……大丈夫、?」

『、』

「あなたは…?」

『……』


私の言葉に、彼女は表情を崩さずに顔を振る。自分のことなど気にすることじゃないと、言ってるみたいだった。





「人の心配してるなんて、余裕じゃん」

『!!』


彼女の向こうから聞こえたのは、変声機で変えられた機械的な声。

彼女が振り向いて開けた視界からには、声の主。決して大きくはなく、中性的な立ち姿だった。兵隊のような格好をしていて、歩けばゴツゴツと足音が立つ。
手には刃先20cmはあるサバイバルナイフがあり、それを慣れたように持つ姿は、異様だった。


「長濱がまだ逃げてなくてよかったよ。田村の方には逃げられちゃったからね」

「!」


保乃ちゃん、逃げられたんだ。
そんな安心感を得てすぐ、私を背に隠すようにした彼女に不安が生まれる。

彼女を知らない。
初めてあった時よりも、立ち姿も格好も側近のソレになったけれど
近づいてくる相手より強いかは知らない。たった1ヶ月で手練を倒せるとは思えない。


「…ふふ、お前親に売られたんだって?」

『………』

「先月、長濱に買われたんだろ?」


ナイフを構えながら、フードの中から見える口元が笑う。


「あんたの身元調べたよ。やっすい金で売られたんだね、買値も大してつかなかった。そのお嬢様の気まぐれで買われて、身代わりだなんて笑えるね」

『……』

「人間の売買を、良心痛まずに繰り返すヤツらの子ども。そんなガキに自分の命をかける意味ある?」


心臓がバクバクと動くのに、頭はどんどん真っ白になっていく。
目の前の人が言うのは最もだ。国が認めているなんて言い訳で、人間の売買なんてひとを物として扱うのと同じ。どこかの国では犯罪だ。でも犯罪ではないとして、人道や良心的なことを責められて否定なんてできない。そこに、どんな理由があったとしても、。


「りさ、なんて呼んでくれるやついないでしょ」

『!!?』

「──!」


相手の言葉に、明らかに彼女は反応する。

"りさ"、それが彼女の名前、?

こんな形で知るなんて思わなかった。
でもそんなことよりも、急に彼女があちら側にいく可能性があるという事実に怖くなる。由依さんもいない、愛佳も、美愉も。私には今、彼女しかいないのに。


ゴツゴツとブーツを鳴らし、気づけば相手は、彼女の目の前に立っていた。


「長濱を渡せ。お前には報酬をやる、自由を約束するよ。金で無理に言う事聞かすなんてしないし、意思を優先する」

『………』

「……っ」

「どうしたいか選んで」


相手は道を選ばせるように腕を広げる。
口元は笑ったまま。この先の選択なんて分かっているかのように、余裕な態度を崩さない。


「…ここで死ぬか、生きるか。今、そういう話だって分かるよね?」


私の前に立つ彼女の表情が分からない。
私と彼女に信頼関係なんてなく、この先の選択を信じる選択は何も持ってない。


彼女があちら側にいってしまったら。
私は捕まり、その後のことなんて想像もしたくない。

逃げるすべも、戦うすべもない。

でも、彼女は。りさは。
きっと私の元で使われるより、自由に過ごしたいに決まっている。


なのに、私は身の欲しさからか、彼女の先を邪魔するように
りさの袖を掴んでいた。


『………』

「っ──ごめんなさい、あなたの自由を奪うって分かってるのに、。でも、お願い。そっちに行かないで」

『──……、』

「ほら。こいつらは自分が可愛いんだよ。どうあっても、誰を犠牲にしても、自分を優先させるんだ」

「──……っ、助けて、」

『………。』


────、


「!」


震えて、縋る私の頭に、何かが乗る。
反射的に体を縮こませて目を閉じてしまったけどその後に何も起こることも無く。目を開ければ、彼女の手が私の頭を撫でていた。


「──え?」

「、!」


──ドン!!

瞬間。音と同時、相手が後ろに仰け反った。

そして、そのまま。
流れるように相手の首に腕を掛け、身体をかがめると足を引っ掛けるようにして相手をひっくり返し、後頭部は綺麗に地面へとたたきつけられた。


それは一瞬で、瞬きをする間に相手は地面に寝ていた。


『……』

「………すごい、」

『、』


相手のフードを外し、身体を蹴って気を失っているのを確認すると
彼女は私の腕を引き、立たせた。


「……ありがとう、」

『……』


私の言葉に、彼女は顔を振り否定を示す。
……でも、良かったのだろうか。

彼女には否定も肯定もする言葉を持っていない。私の疑問に、答えることなんて出来ない。
この答えは、彼女しか知らないのに
私は知る術がなく、ただ相手を退けた、その結果だけが残った。



裏口を通り、外にたどり着く。待機していた車を目の前にして
運転手が慌てて駆け寄ってきた。


「っ大丈夫ですか!?」

「大丈夫、守ってくれたけん。田村の方は?」

「先に出ていかれました。安全は確保されたと思います。ねる様も早く車に──」


────!!


『!?』

「!」


後ろにいた彼女が反応して、私もそれに気づく。
振り返った先には、さっき倒した相手が立っていた。

でも、そんなことは正直二の次だった。
私に背を向ける彼女の腕から、静かに血が滴る。ぽたぽたと地面に紅い染みが落ちる。

その元は、さっきまで相手が手にしていたサバイバルナイフが刺さっていた。


「───っ!??」

「甘いね、相手は殺すか拘束しろって教わらなかった?もしくは、武器を奪えってさ」

『……っ、』


相手は明らかな敵意を持って、片足に備えていたナイフを抜き取り走り出す。その先の私の隣には、運転手だけ。

学んだ護衛術は目の前の敵意に恐怖心が優り、まるで役に立たなかった。


目の前のナイフに身体をかためる。次に来た衝撃とともに、
私の目の前はまた、彼女の背中に埋め尽くされる。




──『アレは逸材』


嫌な予感は的中する。


──『教育すべて理解出来てる。自分の役割にも納得してる。指示を受け入れてるだけの半端なやつに、ねるの"代わり"は任せられない』



由依の言葉が、降り注ぐ。


私の代わりを、彼女は自己犠牲を、厭わない。


あの刺さったナイフは、不意を突かれたのではなく
彼女が私を守るためにその身を呈したのだ。


…相手が再び地面に落ちる瞬間。


彼女の身体からは鮮やかな紅が舞い、その動きを綺麗に彩っていた。
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