あなたの犠牲になる。



──この子、たぶん喋れないですよ



あれから、数日。
あの子は未だに私の前に現れない。

曰く、私の代わりになるための教育中だという。


「ねる、勉強は?」

「終わったと。サボっとらんよ」

「……うわ、ほんとだ。もうヤダ天才って」

「天才やなか」

「じゃあどうする?お喋りでもする?」

「サボりやんか」


読み終えた資料を閉じながら言う私に、家庭教師は笑う。
家庭教師といっても勉学は学校で済ませているから、学校では学ばない社交性や対人間への対応、護衛術が主だった。
元々持ち合わせた危機察知力とか観察力がものを言うけれど、それそのものの基礎を叩き込まれる。


「………、」


…そういう意味で、あの子を選んだのは
何か正解がある気がする。可哀想だけど、。


「あの子を選んだのは正解だったよ」

「え?」

「まだ教育中だけど、アレは逸材」

「どういう意味?」


思考とリンクしてること、そしてこの人が褒めまくるその言葉が怖い。
その根源は、私の代わりなんだから。

頭がいいとか吸収がいいとか、それだけなら、いい。

でもきっと、その答えは最悪なものだって分かる。


「まだ会ってないんだっけ?」

「うん、初めて会った時だけ」

「ねるのその目を育てたのが私だと思うと嬉しいねぇ」

「……ねぇ、どういう意味なん?」

「分かってるくせに」


家庭教師、小林由依。
彼女は家庭教師の傍ら、その内容然ることながら私の側近の役割を担う。
狼のように相手に食らいつく姿を見たのは、数回じゃ済まない。

そんな彼女が認める"あの子"
眼差し強くゆっくりと私に微笑んで、トン、と指を机で叩く。


「まぁ、本人に会って理解したらいいよ」

「……それは代わりになって分かるってこと?」

「……あの子は強いよ。それに、教育すべて理解出来てる。自分の役割にも納得してる。指示を受け入れてるだけの半端なやつに、ねるの"代わり"は任せられない」

「………」


由依の言葉は、力強くて、一瞬騙されそうになる。
あの子はとても優れた、”側近”だと。
でも、由依の目は冷たくて、そんな生優しい意味じゃないのだと伝わる。


「あの子の教育って、誰?」

「会いに行くつもり?」

「行かんよ。邪魔やん」

「よく分かってるね」

「……話、聞くだけ。ねるの代わりするけん、知らんと任せられんばい」

「……」


嘘はついてない。それは本当。
ただ、裏側の真意は、表に出さない。

由依は頬杖をついて、小さくため息を吐いた


「まぁ、すぐ分かることだしね」

「、」

「鈴本だよ」


――鈴本美愉。
欅の隊員の中で戦闘や実践においてのトップに位置するひとり。

なぜ、彼女が。とは思う。けれど、それは最もだ。
私は、あの子は。
そういう位置にある。


「…本当に?」

「真実だとわかってるのに問いかけるのは時間の無駄だよ」

「、」

「ねるの側近として見に行ったけど、来月顔合わせの時には彼女が使われると思う」

「来月…?」

「サクラとの顔合わせあるでしょ。向こうとの顔合わせは表沙汰にはなっていないけど、それこそ、反欅には絶好の機会」

「それにあの子が来るの?」

「たぶん使われる。そこで成果が出せるかも評価のひとつだよ。とはいえ、何も無いならそれに越したことないけどね」


欅はこの国を支えるグループのひとつ。欅にはそれぞれ別の強みを持った本家が集結している。

長濱家はその中のひとつ。私よりも欅の偉い人はいるけれど、今回のサクラとのやりとりには長濱家が第一席として関わっていて、そのために顔合わせには私が出席することになっている。


サクラは、今後国の経済を回すために大事な国のひとつだ。けど、当然ながらどこにでも反対勢力は存在する。


「……由依は、来ないの?」

「……あの子はちゃんと仕事するよ」

「………ごめんなさい、こんなこと言うべきじゃなかった」

「…ううん、いいよ」


由依は分かってる。私が、暗に何を言ったのか。

───由依なら私を守れる、という信頼は、裏を返せば私を守るために犠牲になっていいということになる。そんな意味はなかったけれど、”あの子”を守り、小林由依という存在を捨てようとしたんだ。


「選んだことに、後悔してる?」

「………」


知らなかった。こんな恐怖は。
だって今まで、みんな強くて、守られて当然だった。目の前で死にそうになることなんてなかった。
傷つくころには、私は逃がされていたから
そのことにも、その事実にも心揺らされたことはなく、正直酷く他人事だった。


それなのに、あの子が。
痩せて、ボロボロで、目に光なんてない。
力なんて私よりも弱いなんてこと、容易に答えが出るようなあの子が。

私の代わりに。
由依のように。
美愉に、たった1ヶ月育て上げられただけで。


「………、」

「ねる」

「、はい」

「ねるが選んだ、それだけで彼女の行先は決まったんだ」

「──……」


私が、あの子にすると、指名した。
あの時の心の隅に引っかかるような感覚は、私が罪悪感を減らすためだけの逃避だったのかもしれない。

『あぁ、底辺だから──』

あれは、図星だったのかもしれない。


「でも、ねるはその命を軽んじちゃいけない」

「……、」

「変な情を持つのもダメだよ。私にも、あの子にも。分かるでしょ?」


分かる。
たくさん、教えられてきた。

私は、欅を支える長濱家の跡継ぎだから。
何を犠牲にしても立っていなきゃならなくて
何かを犠牲にしてきたからこそ、後ろを振り返らないで前に進まなきゃならない。

そのための、由依も、美愉も、例え隣に誰もいられなくなったとしても
この先を見続ける。

そして、あの子も。

私が選んで、私が犠牲にする。
この先それを背負い続ける。

隣を歩んでくれない、そんなことは
現状の当たり前なんだ。


「…分かっています」


そんなの理解出来ているはずなのに、返事をするのに喉が痛くて
声が引き攣らないか不安だった。

















「よ、鈴本。教育どう?」

「……ちょっと愛佳、なんで教育担当逃げたの。教育なんて私のガラじゃない」

「これには深いわけがあるんだよ」

「どうせ顔が好みとかでしょ」

「違うよ!」

「なに?」

「すっごい好みなんだよ!!分かる?この差!!だからそんな扱くなんて出来ないと思ってさー。育ったら同僚として仲良くしたいからよろしく」

「……さいてー。」


『………』


「へぇ、良くなったね。身体も育ったし、肉付いた」

「愛佳が言うと卑猥」

「そういう捉え方する鈴本もむっつりだね」

「…………死ね」



『…………、』



「いつか、その声も聞いてみたいなー」

「え?喋れないんじゃないの?」

「わかんないじゃん。こいつの背景も過去も知らないんだから。声が出せなくなったのか、元々声が出せないのかなんて、私らが決めることじゃない」


『───……』


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