家庭教師×生徒


◇◇◇◇◇◇◇

何だかそわそわと落ち着かなくて、いてもたってもいられなかった。明日には家庭教師の日があるって分かってたけど、先生のことだからもしかして来なくなるかもしれないって思って。

あの日、先生の隣に乗って向かった大学へねるは自制も効かずに乗り込んだ。


「先生は?」


ノックをして返事を待たずに開ける。部屋にはびっくりした顔の愛佳と由依さん。前にここに来た時は先生と一緒だった。

入って、二人に会って。もう後戻り出来ない現実に今更ながらぞわりと不安の恐怖が心を蝕む。
勢いのままに来てしまった。
今の関係性とか先生の笑って許してくれるところとか、そういうのに甘えていたかもしれない。

でも、この不安感は
ここに来ないでじっと部屋で待つ不安と焦燥感には勝らない。


愛佳「こんなとこまで来ちゃって、いけない子だね。受験するからって簡単に出入りできないでしょ」

ねる「学生証出したし、許可もらったばい」

愛佳「そうやって賢いとこ使うんじゃないの」

由依「……理佐なら講義は受けてたけど、サークルには来てないよ。そもそも同じサークルじゃないし」

ねる「……」


優しかった由依さんは、どこか棘のある言葉を投げてくる。それに疑問を持って自分の行動を振り返るほど、私に余裕はなかった。


「家庭教師なんだし、次の授業まで待ったら?」


胸の辺りがゾワゾワする。
思考は成立しない。感情だけが先走る。
そんなこと、分かってる。そんなことで解決するんならこんなところには来ない。

だって本当はわかってる。
ここに来るのは間違ってるって。



「っこの間、なんか変でしたよね?あの後先生大丈夫でしたか?」

「ふふ。子どもが心配することじゃないかな」
「!!」


由依さんは伏し目がちに、口角を上げていた。
微笑みをそのままに。意思の強い、どこか怒っているのかもしれないという視線が、ねるを撃ち抜く。


「ねるちゃんは理佐が心配みたいだけど、私たち一応年上だしちゃんと考えてるよ」

「………」

「子どもは自分のやることに集中しなさい」

「っ、私、そんな子どもじゃないです」

「そう?生徒でもないのに大学来て、好きな人追って嘘の申請までして……少なくとも私は大人がやることじゃないと思うけど」

「由依さん達は大人なんですか」

「大人だよ。年上として忠告してる」

「………っ」


越えられない壁が突きつけられる。
年齢や時間はどうあっても覆せない。それを引き出されたなら、卑怯だと唱えたって届かない。越えられない。


社会人としての経験や、実力とは違う。
まだ社会に出ていないねるたちに、知識の量や立ち回りだけでカバー出来ない差がある。

嘘や偽りじゃ誤魔化せない。
明らかで確実な、大人と子どもの差。


ねる「……」

愛佳「……ねる。申請した内容済ませてもう帰りな。ここにいたって理佐は来ないから」

ねる「………愛佳もねるが子どもだって思うと?」

愛佳「──子どもだなんて思わないよ。でも、若いとは思う。ねるにはまだ選べることが沢山あるから、それは大事にしていった方がいい」

ねる「……」

愛佳「理佐が好きなんだよね」


好き。

先生は知らないだろうけど、ねるは色んな人を利用して先生をねるの家庭教師にしたし、そうして視界に入れてもらって今やっとここにいる。

ねるの好きは、理性じゃ抑えられないくらい重い。
だから、それが。
今この瞬間に、消えてしまいそうで怖い。

覆せない『高校生』というレッテルと、『子ども』という立ち位置が
邪魔で仕方がない。


愛佳「由依や私が言ったこと、ねるはちゃんと分かってるでしょ、理佐もそう言ってた。ちゃんと信頼されてる。理佐は臆病だけど、ねるを裏切ることはしないよ」


でもみんな、それを大事にしろって言うの。今しかないから。取り戻せないから。後悔するから。

『あの時しか出来なかったこと、あると思うんだよね』


先生が言ってた。
でも、今だから出来ないことが苦しいのはどうしたらいいの。

だって。


だって。


いくら正論、一般論をひけらかされても
今、私は。
そのせいで、理佐に近づけない。


「………」


先生はどうしてるの。
なにを考えてるの。

『こども』の私には分からないの?


「………、急に来てごめんなさい。帰ります」


来た時同様、ドアを閉める。

悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて。
ねるは申請した内容なんて忘れて大学を後にした。




◇◇◇◇◇◇◇


そうして、翌日。

ねるの不安を裏切って、先生は来てくれた。


でも──



「…今も大学を変えることは考えてないの?ねるならもっとレベル高いところに行けるよ。先生たちにも言われてない?」

「……」

「これから先、色んな世界も、選択肢も増える。その時にもっとレベルが高ければ、やりたいことに手が届いたり、見つけられたりする」


抉られるのは心。
なのに、心臓が傷つけられたみたいに痛い。

こんなことなら、頑張って問題解かなければよかった。でも、安心して欲しかったの。先生がいても、ねるはちゃんと問題解けるよって。だから、離れないでって。
なのに。


「長濱さん、」

「ねるです」

「──違う。ちゃんと聞いて」

「……先生こそ、ちゃんとねるのこと見てください」

「見てるよ。だから言ってる」


先生は、ねるを見ない。
問題集に目を向けて、高校生で教え子の、長濱ねるしか見てない。


「……長濱さん。長濱さんが思ってる以上に今の時期は大切なんだよ。今しか出来ないことだってある。今しか出来ない選択肢もある。過ぎ去ってからじゃ間に合わない事もある」

「……」

「それが全てじゃないとも思うよ。いつだって間に合うことも遅くないことだってある。けど、わざわざ遠回りする必要もない」

「………それは、理佐だから言うの?それとも先生だから?」


お願いだから。
ねるを見てよ。

想いだって知ってる。
関係だって、ただの家庭教師と生徒じゃないでしょう?

ねえ──


「………ねぇ、先生。ねるはただの教え子?ただ、受験を控えた高校生なの?」

「───」



「……り「最初から言ってるでしょ。私は家庭教師として来てる。名前を呼ぶことだって、ご褒美なんだよ」──、」




─────、。





なにかが、お腹の奥で
大きなしこりになって苦しい。











「───!??」

「そうやって距離取らんと、ねると向き合えんと?」

「──っちょ、と」


駄々をこねるこどもだと、思う。

でも、本当に。本気で。
もどかしさに胸が潰れそうで息が詰まったんだ。

先生のこと好きなこと、知ってるくせに。

ねるのこと、好きなくせに。




「──長濱さん、真面目に、「ねるやって真面目やけん。逃げてるのは理佐の方ばい」!??」


子どもなんて知らない。
先生なんて知らない。

理佐に回した腕と足に力を込めて身を寄せる。理佐の体温は心地よくてねるに馴染んでいく気もするし、熱くて火傷しそうな気もする。



「理佐。」



思ったより声が熱を帯びてて、自分でもびっくりする。
でも、理佐もやっと、先生の仮面を捨ててくれる気がした。


「っ、離れて」

「なんで。この間の理佐やって近かったばい。あんなことして今更逃げれると思っとると?」

「逃げるとかじゃなくて、」


もっと。

もっと、。

ねるを見て。先生なんかじゃなくて。



「……っ」














─────ピピピピ、ピピピピ


「!!!」


スマホが鳴動して、2人の意識が一瞬途絶える。
その瞬間に、先生には元いた椅子に押し戻された。


「──、理佐、雑」

「先生、でしょ」

「……」

「……本当に、もう受験なんだからちゃんと考えて」

「もう考えた。ねるが受ける大学変わらん」

「──長濱さ」

「先生やって分かっとるばい。みんな、もうそんな時期終わっとる。決めたところに向かっとると。その選択は先生がねるから逃げとるだけばい」

「……本気で選択するならまだ間に合うよ」


本気って何。

結局先生も、ねるのこと信頼なんかしてない。ねるの決めたこと、間違ってるって思ってる。



「理佐も、ねるのこと子どもだって思うと?」

「え?」

「馬鹿にせんで」

「──、」


馬鹿にしないで。

ねるは高校生だけど、子どもかもしれないけど
ただ浮かれてるわけじゃない。

この時期が大切だってわかってる。
大学選びが分岐点だっていうことも分かってる。
この恋心が実らなくて、もしかして将来バカなことしたなって後悔することがあるかもしれないって考えてる。


でも。

それでも。

ねるは、理佐のいる大学に行くことを選んだ。
先生は理佐がいいって決めた。

問題集が解けていくことに、ねるは勿体ないと思ったことない。

理佐が言ったことも
愛佳や由依さんが言ったことも
耳を塞いでる訳じゃない。



「──ねる、」

「甘やかすだけなら優しくせんで」

「、」

「遊ぶだけなら、あんな思わせるようなことしないで」

「─っ遊んでなんか」



理佐はどこかで、ねるを分かってくれるって思ってた。
否定しないでいてくれるって思ってた。

愛佳の言った『信頼されてる』って言葉を、ねるは信じたかった。




「突き放すなら、もう来ないでください」




いっぱい言いたいことあるのに、
ねるは唇を噛んで、否定して身を守ることしか出来なかった。




先生が『ごめんね』って言葉を落として出ていく。


ぽろぽろ流れる涙が、問題集を濡らす。
苦しくて、悲しい。

なんで出てくの。
頭を撫でて、抱きしめてよ。

あの少し大きい手で
少し低い声で、優しい声で

ねるって呼んで。


心に浮かぶ我儘に、ねるは子どもだって思い知る。

結局……先生の優しさに、甘えていただけなんだ。





あの日もらった花は、毎日手入れしているけど
やっぱり少しずつ枯れていっていて

先生とのお別れを、漂わせていた。




12/20ページ
スキ