家庭教師×生徒


怒り、嫉妬、独占欲。
それが、何の感情の副産物かなんてきっと子どもだってわかる。


「………」


分かる。
感情と思考はイコールだ。

ねるを特別にしたい。
私だけを見てて欲しい。
他の人が隣にいて、ねるのあの熱と声を奪われるなんて嫌だ。

けど。

私は。



あれから1週間経った今も特段行動を変えられずにいた。

ねるへ連絡することも無く。
もうすぐ期末を迎え、受験へと進むこの時期だからと言い訳を並べては

高校生に手を出すことへ、怯えている。


「犯罪……」


別に、そんなの他人事だったら気にしないのに。好きなら、お互いの想いが重なっているなら問題じゃないと思えるのに。
いざ自分がその立場だと思うと、悩んでしまう。

ねるの大事なこの時期、私はどういてあげればいいのだろう。
これから彼女の世界は変わる。一気に広くなって、選択肢が増え、彼女はたくさんの知識の元にその世界を吸収していく。
1人なら軽々進めるその1歩を、誰かに引かれて足を止めるかもしれない。高校生の恋心を否定する訳じゃないけれど、まだ、縛られるには早すぎる。

何にも囚われることなく、なんでも出来るこのターニングポイントで
彼女の腕を引く存在にはなりたくない。


「………ねる、、」


強要されたはずの言葉は、いつの間にか馴染んでいた。
ねるがいないのに、”ねる”と浮かぶ。

言葉は酷だ。
脳が意識して声を出す、声は耳にに吸収されて脳に響く。反復されたそれは、何よりも早く定着してしまった。


名前を呼ぶ、それだけで距離が縮まった気がしてしまう。特別に思ってしまう。
それが他人に許されていると落胆する。
私は結局、多くの人のひとりでしかないんだと。

とどのつまり。
私はねるの手中にハマり、ねるに恋をして、周りに嫉妬してる、高校生に恋した大学生。

生徒に恋した家庭教師、。


私に出来ること。
私が彼女のためにしてあげられることってなんだろう。



「………ふふ。あの子はこんなに悩んでるって知らないんだろうなぁ」


知るはずない。
知らなくていい。


家庭教師の苦労なんて、生徒が知るわけないんだから。










「、先生遅い」

「ごめんね、親御さんと話してた」


週一回の家庭教師の日。
長濱さんのお母さんと話をして部屋に上がると少し不貞腐れた顔があった。
荷物を置いて、長濱さんの隣に当然のように準備された椅子に座る。
机には回答を終えた問題集があって、私はまた採点から手をつけた。


「先生、この間大丈夫でしたか?」

「あぁ、うん。ごめんね、バタバタしちゃって」


相変わらず問題集には丸が重なり、私はただの確認作業しかない。
なにか不安があるか聞いたけれど、『大丈夫』って返されてしまった。

まるで私は、ねるに転がされてるだけみたいだと改めて思う。


「……ふぅ、」

「……先生?」

「ううん。ねるはすごいね、問題集のレベル上がってるのに」


ほぼ全ての正解。
大学の合格ラインは安牌だ。

この間はらしくないケアレスミスがあったけど、それは私のせいだったし。


「…今も大学を変えることは考えてないの?ねるならもっとレベル高いところに行けるよ。先生たちにも言われてない?」

「……」

「これから先、色んな世界も、選択肢も増える。その時にもっとレベルが高ければ、やりたいことに手が届いたり、見つけられたりする」


長濱さんは、私を見る。
視線を外したのは、私の方。

正解ばかりの問題集。
長濱さんはもっと上にいけるって証明してる。
こうなるまでに、長濱さんの努力があった。そしてこれからも、。


「長濱さん、」

「ねるです」

「──違う。ちゃんと聞いて」

「……先生こそ、ちゃんとねるのこと見てください」

「見てるよ。だから言ってる」


長濱さんのことを見てるから、だから、君はここじゃないって思う。


「……長濱さん。長濱さんが思ってる以上に今の時期は大切なんだよ。今しか出来ないことだってある。今しか出来ない選択肢もある。過ぎ去ってからじゃ間に合わない事もある」

「……」

「それが全てじゃないとも思うよ。いつだって間に合うことも遅くないことだってある。けど、わざわざ遠回りする必要もない」

「………それは、理佐だから言うの?それとも先生だから?」


──長濱さんの部屋が、静まり返る。
自分の声と、心音と、言葉を必死に伝えるばかりで頭がパンクしそうだったのに

慌ただしい世界はプツリと切れて、長濱さんの声を最後に、無音になる。


「………ねぇ、先生。ねるはただの教え子?ただ、受験を控えた高校生なの?」

「───」


追い詰めるみたいな、言葉たち。
きっと、ねるはあの芯の強い目で私を見ている。

でも、私は。顔を上げることは出来なくて、赤い丸に埋まる問題集に現実を刷り込むことしか出来ない。


「……り「最初から言ってるでしょ。私は家庭教師として来てる。名前を呼ぶことだって、ご褒美なんだよ」──、」


この選択肢の提示が、間違っているかもしれない。

長濱さんとの関係は、もっと早くに正しておくべきだったと思う。

友だちでもなく、後輩でもなく。
まして、恋人でもない。

この関係性は、ただの家庭教師と教え子で。
大学生と高校生で。


ねるが、何を思っているか分からないわけじゃない。だからこそ、まだここに留まっていられているのなら
ねるがちゃんとこの先へ進むために──


「───!??」

「そうやって距離取らんと、ねると向き合えんと?」

「──っちょ、と」


回されたのは腕。
眼前にねるの顔。
座る私の上に乗るのは、ねるの脚。


「──長濱さん、真面目に、「ねるやって真面目やけん。逃げてるのは理佐の方ばい」!??」


絡まって、近くなる。
息が触れるほどの近さ。
心臓が叩きあげられて、全身から汗が吹き出す。


「理佐。」


熱い。

強い目が射抜いてくる。


「っ、離れて」

「なんで。この間の理佐やって近かったばい。あんなことして今更逃げれると思っとると?」

「逃げるとかじゃなくて、」


ねるの脚が、太腿に擦り付けられる。
こんなこと、何で学んだんだ。知らずにやっているなら恐ろしすぎる。
高校で魔性とかになっていないだろうか。


「……っ」














─────ピピピピ、ピピピピ


「!!!」


スマホが終了時間を告げるアラームを鳴らす。

互いの迫っていた意識が、途切れて、ねるが少しだけ反応する。
私はねるの脚と腕に手を掛けて、その身を剥がした。


「──、理佐、雑」

「先生、でしょ」

「……」

「……本当に、もう受験なんだからちゃんと考えて」

「もう考えた。ねるが受ける大学変わらん」

「──長濱さ」

「先生やって分かっとるばい。みんな、もうそんな時期終わっとる。決めたところに向かっとると。その選択は先生がねるから逃げとるだけばい」

「……本気で選択するならまだ間に合うよ」

「理佐も、ねるのこと子どもだって思うと?」

「え?」

「馬鹿にせんで」

「──、」


長濱さんの言葉が、悲しみに震える。
強気の言葉とは裏腹に、声は弱くて。

私はやっと

ねるを傷つけたんだと知る。


「──ねる、」

「甘やかすだけなら優しくせんで」

「、」

「遊ぶだけなら、あんな思わせるようなことしないで」

「─っ遊んでなんか」




「突き放すなら、もう来ないでください」




涙を溜めて、

下唇を噛む。


ねるは、目を背けることなく真っ直ぐに私を見ていた。






───そういう、覚悟が必要だった。


長濱さんへ、こういう話をするのなら今までの関係も、これからの関係も
全て無くす覚悟が必要だった。

それほどに、ねるを傷つける行為だった。
これまでの関係を壊す行為だった。



私に出来ること。
ねるのためにしてあげられること。


そんなもの、私にはない。
そんなこと、最初から知ってたはずだ。


だって。

たかが家庭教師が、
まして学力の劣る家庭教師が。


教え子を突き放した先で、何をする手段もありはしないんだから。



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