家庭教師×生徒
車のエンジンと走行音が、心地よい雑音になる。
窓から見える景色はどんどん流れて、それと一緒に街灯が過ぎ去る。暗い車内が過ぎていく明かりに照らされた瞬間には、プレゼントされた花が形を浮き彫りされて、ねるは今の状況に胸が苦しくなっていた。
今の状況。
先生の車、
先生の隣。
ただ買い物するだけだったけれど先生を……理佐を独占する感覚はデートみたいだった。
ドラマのように花をもらって、
少し強引に車に乗せられる。
どこに行くのかも分からない。
小さな恐怖と一緒に、恐怖とは違う、胸の高鳴りがする。
ドキドキとして、緊張して無意識に口をすぼめた呼吸になる。
息が浅くなってしまうから、なるべく深く、ゆっくり。先生に、変に思われないように。
「ねる、大丈夫?」
「、はい。大丈夫です」
「急だったから驚いたよね、ごめん」
「いえ、、でも、どこ行くんですか?」
「…内緒」
少しだけ口角を上げて、余裕な笑顔。
その表情に、こどもな自分を自覚する。
高校生、なんて。先生にとっては相手にしてもらえないんじゃないかな。
それこそ、告白したところで高校生というだけで振る理由になるくらいだもん。
先生の横に立つには幼稚。
大人の女性らしさなんて乏しくて
理佐の雰囲気にはそぐわない。
事態は悪くなんてなっていないのに、何故か思考は崖を堕ちるようにどんどんマイナスへと傾いていく。
それは、この急な展開と
それへの小さな恐怖感が不安となって、事態を否定したがっているのかもしれない。
「……先生、」
「ふふ、もう理佐って読んでくれないの?」
「っ、でも」
「今日は先生じゃないでしょ?」
先生。
その響と名称に甘えていたのはねるの方だったかもしれないと急に突きつけられる感覚だった。
先生だから生徒に悪いことしないし、酷いこともしない。
準備された言い訳を利用して、生徒のわがままを聞いてくれる。
だから。
その分ここで終わりって予定を守ってくれると思っていたし、
ねるが望んでいること以外のことをするとは思っていなかった。
そしてねるは、今夜も『先生はこんなに誘ってるのに手を出さないんだ』って愚痴るように安心していたはずなんだ。
この不安と、高鳴るような動悸。
先生じゃない、渡邉理佐という人に
ねるは、恐怖心と恋心を抱えている。
目の前の花たちは、そんな私を見上げていた。
「…………」
「……………、」
…この花を、先生はどんな気持ちで選んでくれたんだろう。
ただの教え子、生徒、。でも、そんな肩書きで構わないから、ねるのこと考えていてくれたなら涙が出そう。
先生を初めて見つけた日から、ここまで。よくたどり着けたものだと思う。
ただ恋い焦がれるだけで終わっていてもおかしくなかったのにたくさんの偶然と幸運が繋がって今ここにいる。
先生の……理佐の運転する車を隣で乗って。
理佐から貰った花を抱えてその香りに酔いながら、理佐の横顔が見れる、、、そんな幸せは、小さな奇跡だと思う。
そんなことを考えいたら、車はゆっくりと速度を落として方向を変える。先には開けた駐車場があって、先生は手馴れたように車を停めた。
「私もここに車で来るのは久しぶりなんだ。夜も開いててよかった」
「ここって、」
目の前に現れたのは、見覚えのある建物。
先生はいつもここに通っていて、ねるはここを受験する。
着いた先が大学で、何となく、残念な気もしたけれど気のせいだと思うようにした。
「降りよう、ねる。花は車に置いておいで」
「うん」
先生に続いて車を降りる。
出た瞬間のヒヤリとした新鮮な空気に触れて深く息を吸った。その一呼吸に、緊張は少し解けてくれた気がする。
「こっち」
手招きされて、先生の後ろに続く。
数ヶ月前に来たことのあるそこは、夜になって姿を変えていた。
けれど、まだ所々に光と人の気配がある。笑い声もして、ホラー映画で見るような恐怖感はなかった。
「どこいくと?」
「内緒だってば」
「大学やって分かったばい」
「でも内緒なの」
理佐がどんどん進んでいく。
私は少し早足になる。
それは周囲が分からない戸惑いかもしれないけれど、暗い学校内が全く怖くないわけじゃない。置いてかれることを考えたら急に怖くなって、自分で思ってた以上に大きな声が出た。
「先生っ!」
「、ん?ぁ、ごめん、早かった?」
「置いてかんでよ、怖か」
「ごめん」
「……ここらへんよくおるの?」
「うん、サークル部屋が近いんだ。でも、行くところはもうちょっと先。おいで」
先生が近くに立ってくれて安心する。それも合わさってか、先生の声で”おいで”って言われるのがすごく好きだと気づいた。
優しい声で撫でられている気がする。くすぐったくて心地いい。何でなんだろう、。
意味もわからないのに、さっきまでと打って変わってにやけてしまいそうだった。
いくつもの教室を過ぎて、廊下が広くなる。
電気もついていないそこにねるが足を止めると、先生は手を引いてくれた。
「っ、せんせ、」
「暗くてごめんね、でも暗い方が分かるから」
「……っ、」
優しい手。前に冷え性なんだって聞いたことあるけれどねるには少し温かく感じる。
少し進んだ先で妙に明るいと思ったら月明かりが差し込んでいた。おかげで廊下の形が分かる。廊下の先は下に向けて吹き抜けになっていて、いつの間にか2階に来ていたんだと分かった。
「見て」
「…、!」
「私のお気に入りなの」
胸元くらいに廊下の縁が来る。吹き抜けの先は大きめのラウンジが広がっていて、そのラウンジに沿った壁一面がガラス貼りだった。
視界が大きく開けた先、
ねるの目の前には、ガラス越しの星空と夜景が広がっていた。
今日は月が明るいね、そう言う先生の声は少しだけ遠く感じた。
「………、」
「ねる、?」
「ここ、先生の好きなところ?」
「うん。夜は星と夜景。夕方は夕陽が見えるよ。昼間は人が入るけど、食事時じゃなきゃ静かだし、雨の日は雨音が最高」
「ふふ、なんかマニアックやね」
「そうかなぁ」
先生は廊下の縁に腕を着く。普段そうしているのかなと思えるほど姿勢が固定される。
星も夜景も、特別綺麗なわけじゃなかった。探せばきっと、身近にある程度の風景と条件。
それでも、理佐が好きなところ。お気に入り。たったそれだけのことに、ここは酷く特別で別世界みたいだった。
こういうところが好きなんやね。
夕陽が見れた日は、眺めながら微笑んだりするんかな。
雨の日は、あの窓側の席で雨音を聞いて。最高だなぁって思っとる。
その隣にいられたら……ねるは、
「ねるは可愛いね」
「………え?」
「そんなに気に入ってくれた?」
「っ、ぁ、えっと、」
月明かりに微笑む先生の顔が、綺麗すぎて直視できない。
先生の一言と、その姿に感情が湧き上がる。
好き。
急に感情が溢れそうになって苦しくなる。
「贈った花も、ずっと抱えててくれたし」
「…ッそんな、貰ったのを手放したりしないです」
「車でもチラチラこっちみてたしね」
「気づいとったなら言ってください!」
つい大きくなる声に先生は笑ってごめんねって言う。くしゃっとして笑うその顔にまた胸がきつくなる。
…こうやって2人で笑えることが出来るならこのままでもいいのかもしれない。
家庭教師は終わるかもしれないけど、先輩後輩で教えてもらうとこがこれからも出来るかもしれない。
理佐ならお願いしたら、仕方ないねって承諾してくれるかも。
そんなことを、頭の片隅で思ってしまった。
「……彼氏さんは、そういうところ好きになったのかもね」
「───、」
「何か言いたい時に唇の噛むのは癖なのかな」
「っ、」
「……無理に連れ出してごめんね」
「!ちが、」
「なんか、忘れちゃうんだけどねるは高校生なんだよね。遅くなるしもう帰ろうか」
「っ、」
「ほら、また唇噛む。ダメだよ、傷になっちゃう」
困ったように笑う。
ねぇ、ダメって言うんならその誤解どっかに捨ててきてよ。
ねるのこと見てよ。
言ったやん。ねるのこと見てって。
彼氏なんていないし。好きな人は先生のことばい。
さっきまで幸せやったのになんで地獄に突き落とすと? 今日くらい浮からせといてよ。馬鹿じゃなかと?
そもそも彼氏いるなんて勘違いせんかったらこんなことにならんかったのに。
ねるのアプローチもっと効いたったい。
そしたら、先生やってねるのこと好いてくれて
そしたら、片想いやって気づいて
そうしたら、どこかで両想いやって気づいたかも………、、どこかってどこよ。
頭の中が好き勝手動いて訳が分からなくなる。目の前の先生のことも分からなくなる。
理想と八つ当たりと現実と、常識。
ねる中心に物事が進むわけがない。
あざとさだっていつの間にかどこかに忘れてきた。
狙ってたはずなのに。先生の気持ちを試すために、色々アプローチしてたのに。
「ねる、言いたいことあるなら言って?」
「……っ」
「嫌だった?」
「…違うの、!」
「……うん、」
「せんせ…」
「………なぁに、長濱さん」
「………お願い、」
「いいよ、」
「ねるのこと、、抱きしめて…」