家庭教師×生徒
「あれ?ねる早くない?」
「……誘った側が遅れるなんてないですよ」
約束の時間より早く来た待ち合わせ場所には、既にねるがいて。
『着いたよ』と送るはずの連絡アプリは役目を果たすことなくスマホは私のポケットにしまわれた。
「そういうもの?私も早めに来てるのに」
「もう、いいじゃないですか。来てくれてありがとう、理佐」
「……」
「……先生?」
「あ、ううん。まずどこ行きたい?」
びっくりした。
あまりに自然に呼ぶから。長濱さんを”ねる”と呼ぶことにすらやっと慣れてきたっていうのに、ねるの声で呼ばれるだけで胸が苦しくなった。
それに、家に行った時だって制服でないことが多いけど、やはり外で会うとなるとお洒落が違う。かわいい。ねるはゆったりした服が似合うな、、なんて考えてみたり、普段と違う化粧は女性らしさを引き立たせる。
喉奥がぐっと詰まる感じがして思う。こんなんで、1日持つのだろうかと不安になった。
◇◇◇◇◇
「…理佐は休みの日は何してるの?」
ねるが求めていたお店を回ってしばらく、通りがかる店を覗いてはまた出る。
ねるは気に入った小物を買うことはあったけれど、服とかそういう買い物をすることはなくて。
本当に、ただこの時間を堪能してるようだった。
歩き回って一息つくべく入ったカフェでは、当たり前だけれど目の前にねるが座る。いつもと違うねるへの視界。
長い髪も、輪郭も。距離は違うけれどその目元だって違う世界で見ているようだった。
「私は映画見たりしてるかな。大学行ってるから買い物は帰りにすることが多いし」
「愛佳とか?」
「、うん。ただ一緒に回ったりはしないかも。買いたい系統が違うからね」
「へぇ、不思議ですねぇ」
自然と出てくる愛佳の名前は、私を呼ぶよりもスムーズに聞こえる。 気のせいかもしれないけれど、そう思うと面白くなくて。
勝手だなと思う。特別な関係でもないのに嫉妬だけは立派で、私はねるとどうなりたいんだろう。
……なのに、目の前でねるは、時々上目遣いで見てきて。唇は何かを喋る度に恥ずかしそうにすぼめられたり、だらしなく笑う。
けど、両手で口元を隠して。
目を見開いては首は傾げられて、。
頭の片隅で繰り広げられる思考は、目の前のねるに邪魔されて
理性の奥の欲望が、ねるの仕草ひとつに引っ張り出される感覚だった。
「でも愛佳以外とも行くよ?」
「そうなの?」
「うん。大学の友人。もし大学で会えたら紹介するね。ねるは?高校」
「仲良い子がいて、その子と出掛けたり……でも何も無い時は本読むことが多いです」
ねるの言葉に一瞬昨日の姿が浮かぶ。
それを忘れるように無理やり思考から振り払った。私はねるへ、家庭教師として、先輩として今日を楽しんでもらいたい。
「…そうなんだ、。楽しい?」
「高校ですか?」
「うーん…。高校だけじゃなくて。なんていうのかな」
「あは。あれですか、今は今しかないからちゃんと楽しめーって?」
「……ふふ、ありきたりだったね。でも本当、高校生活って特別だなって思うんだよね」
「大学生の理佐もそう思うんだ」
「少し前なのにね、やり残したことがある気がする。でももう出来ないから」
「……理佐すごい年上の人みたい」
茶化すようなその言葉。でも、ねるはちゃんと受け止めてる。
でもきっと、ねるはそういうことをちゃんと考えてる。今しかない時間も、出来ることも。
「……家庭教師も、始めるの早かったよね」
「……、」
「私はやらなかったから、ねるみたいに頭いい子がいつから始めるなんて知らないけど。あの大学に行くなら必要ないんじゃないかなって」
「……今しかできないって思ったから。私には早くなんてなかった」
「……そっか」
「…」
君の思考を覗けたなら、今、目の前で目を伏せる拗ねる顔を見ることもなかったかな。
でも、私には。家庭教師という立場がなければねるとこうして会うこともなくて、
叶わない欲を抱えることもなかった。
君に会えたことも隣にいられることも幸運だ。
けれど、同じくらい、別れた後に後悔して苦しくなる。
高校の制服に身を包んだねると、隣に並んだ青年を見た時から、分かっていたはずのことを本当の意味で知らしめられた。
君の追う彼は、今どこで、何をしてる?
私はそこに立つことはなく、いつか2人が並んだ姿を見ると思うと……これ以上、近づきたくない。自分がどうしたいかなんて探るべきじゃない。
そんな勝手な思考を正当化して、こんな所に引き込んだ君を、憎みたくなる時がある……。
カフェを出て、お互いあまり寄らないゲームセンターに入る。
慣れていないこともあってUFOキャッチャーは全然取れなくて
遊べたのはリズムゲームやレースゲームだった。
それでも、買い物とは違う刺激や楽しさに笑って、ねるの普段見ない表情に、ただただ純粋に笑って。その姿を見れただけで充分だろうと思わせた。
「今日はありがとうございました」
「本当に送らなくていいの?」
「はい。今日は理佐の時間をもらっただけなので。家まで来たら、先生に戻ってしまいそうだし」
「………」
「……理佐、あのね」
「ねる、ここで待ってて」
「え?」
モールに戻って、ねると会う前に寄ったロッカーにたどり着く。
カバンから出したカギを差し込み回せば、ガチャンと音がなりロッカーの鍵が開く。
ドアを開ければ私が置いたそれが悲しげに私を待っていた。
迷っていた。……きっと怯えていた。
『ねるちゃんのこと頑張ってるって思ってるんでしょ』
ねるに近づくことも、家庭教師として会う以外にねるに残ることも。
でも、ねるは。
今日1回だって、私を家庭教師として接したくなかったはずで
私は、ねるに、渡邉理佐として会うべきだったんだ。
「……理佐、どこ行ってたの?」
「、ごめんね、ちょっと忘れ物してて」
「…これ、?」
私が差し出した手提げの紙袋を、ねるは少し戸惑いながら受け取る。
「私こそ今日はありがとう。こうしてねると会えて楽しかった。それは、渡すべきか悩んだんだけど…」
「……お花、」
紙袋は封がされていない。
持てばその中が見える。思っていた通り、ねるは持つと同時にその正体に気づいた。
紙袋から出して、大事そうに持つとそれを眺める。大したサイズでもないそれを、ねるは優しい目で見てくれていた。
「、包装されてるけど本物なんだよ、それ。生け花みたいなってるの。大学合格できるように。ねるなら絶対合格できるけど、」
「──嬉しい。ありがとう。どっか行っちゃった時はびっくりしたけど」
「ごめん」
ねるを想った花は、小さな箱に詰められた生花。
きっとねるが受験する頃には枯れてしまうけれど、それでいい。
私がいられるのも、できることもそこまでのはずだ。
「ふふ。ありがとう、理佐…」
「……」
花を愛おしそうに抱きしめるその姿も、伏せられた瞳も
綺麗に優しく弧を描く唇も。
すべて、私を捉えて離さなかった。
「ねる、」
「ん?」
「……」
私は、君に恋をしてる。
それでも、君の幸せを願いたい。
家庭教師は、いつまで君の隣にいられる?限られた時間は長くない。
渡邉理佐は、隣に立つことは無いから。
なら、どうしたらいい───。
「……もう少し、付き合ってくれない?」
「え?」
「車乗って。大丈夫、ちゃんと家まで送るから」
「、でも」
戸惑うねるの腕を掴む。私に引かれるようではあったけれど素直に付いてくる。
助手席のドアを開ければ、ちらりと私を見てからゆっくりと乗り込んでくれた。
ねるが収まったのを確認してドアを閉める。ぐるりと回って私も車へと乗り込んだ。