An-Regret.



2人と別れて、長い廊下を歩く。
どこに向かっているかは分からなかったけれど何かを聞くなら、今なんだと思った。



「……ねる?」

「うん?」

「私が眠ってる間…辛かった?」

「……」


私の問に、ねるが足を止める。
一言「辛かった」と口にしてから、ねるはゆっくりと私と向き合う。
その悲しげな顔に、私はカッコ悪くも目を逸らしてしまう。


「……ごめん」

「ねるは理佐の身体が残っとるなんて、知らんかった。もう二度と会えないと思ってた」

「……」

「死にたいと思ったし、死のうとしてた」

「……え?」

「どれだけやっても死ねんで、由依さんやてっちゃんにも縋って、みっともなかったと思う」

「──……っ、」

「ひかるちゃんにも酷いこと言った」


………知らなかった。そこまでのことがあったなんて。自分が怖くて聞けなかった、100年間は
ねるに苦痛を強いていた。
何ができたわけでもないけれど、もっと早く聞くべきだったと反省する。



「それが情けなくて、でも理佐がおらんことも耐えられんかった」

「……ねる、」

「理佐はねるに死なせんって言ったばい。離れようとしても離さんとも言うた」

「………」

「なら、りっちゃんがいなくなったら、ねるはどうしたらいい?」

「──……」

「理佐」

「……、ごめん」

「そんな言葉で逃げんで」

「……、」


あの時も言われた。
──『逃げんで。ねるのこと見て。理佐のこと考えて』

私は、何から逃げ続けているんだろう。


「ねるは理佐の弱いとこもヘタレなことも、理佐が嫌いなことも愛しとるよ」

「、」

「でも、理佐がねるのためって傷つくことも蔑ろにすることも嫌い。許せんし、殴りたい」

「……はい、」

「ねるは、理佐の宝物やなか」

「……」

「理佐を動かすための人質でもなか」


ねるはきっと、私を殴りたかった。
けど私はねるの言葉に耳を貸さなかった。

それは、きっと間違ってると知りながら
それが不良品である自分には相応しいと思わなきゃならないと、思っていたから。

───『結局自己満足や』

相応しい選択をしていれば、例え何を言われてもどうなっても私が後悔に苛まれても、自分の非で相手を苦しませることはないと思っていた。


「ねぇ、理佐」

「………、」


けれど、私が出すべきはそんな事じゃない。その思考はねるを傷つける。何度も唱えたその言葉が、私の心臓を抉る気がした。


…言葉にしなきゃいけないことが分かっている。
言わなきゃならないことも分かってる。

ねるが求めていることも分かってる。

なのに、喉が引き攣って、声が出ない。

………言葉にしていいのか迷ってるんだ。
今まで言葉にしてきたそれらは、いとも容易く破ってしまっていた。裏切ってきた。

ねるを大切に思ってる。
ねるが好きなことも間違いない。

けれど、だから。そのために命をかけたいと思ってしまう。
でもきっと、それはねるへの裏切りなんだ。

私は。どうしたらいいんだろう。
100年経っても私は変わらない。ねるのたくさんの想いに応えられる、そんなことあるのだろうか。


「……やっぱり、答えられん?」

「ねるのこと、裏切りたくない。大切にしたい。けど、いつだってねるを苦しめてる…」

「……うん、」

「私は……私が嫌い…」


ねるに自分を愛するように言われたけれど、そんなのはまだ塵すらない。
それがねるへの裏切りだとしても、ねるを愛することとそれはかけ離れているようにしか思えなかった。


「……知っとるよ」

「ごめん、言うべきことなんて、分かってるのに…」

「よかよ。そんな表面的なこと聞きたいわけやなかばい」


ねるの声に、顔を上げる。
その先には私を愛おしそうに見つめる瞳があった。


「理佐の言葉やけん、意味があると」

「……っ、」


ねるの声が、私を包み込む、
いつも、そうだった。私自身を否定しない。
ねるはいつも、私を誰よりも唯一人としてくる。


「自分が嫌いなんも、自分のこと信じられんことも知っとる。今ここですんなり言葉にされても、きっとねるは安心なんてせんけん」

「……ねる、」

「やけん、ねるからのお願い」

「、」

「1人で、決めんで」


ねるの言葉が頭を白くしていく。
ごちゃごちゃ絡まって沈みかけていた思考がかき消される。

ねるの黒い瞳が、まっすぐ私を映している。


「ねるに一言でいいけん、声をかけて。相談して」

「……うん」

「一緒にどうするか考えてこ?」

「………うん」


ねるの言葉がストンと落ちてきて、染み込む。
ねるの声は心地いい。いつも、私に向けられる言葉は想いが込められてて、感情が乗ってて…私には勿体ない。

そんな思考の沼に入りそうなとき、引き上げるようにしてねるが私の手を握る。
白い肌、柔らかい指先。それに包まれるだけで、苦しい。視界には柔らかい、ねるの顔が向映る。 胸が締め付けられる。出会った頃と変わらない。けど、あの時より強い。


───あぁ、そうか。
私は、まだ1人で進もうとしていたんだ。


「なに笑っとるの?」

「……ううん、私ってねるがいないとダメだなって思って」


今更?そういってねるが笑う。

そう。今更。
やっと。しかも気づいたんじゃない。ねるに気づかされた。

つくづく、私ってダメなやつだ。
けど、それをねるは知っている。

そして、共に歩こうとしてくれている。



「…理佐、好きだよ」



甘い、毒のような囁き。
すんなり口にするくせに、照れたように口を小さくする。
でも、その瞳が揺らぐことなんてない。



「理佐は?」

「……私って弱いからさ」

「ふふ。うん、」



───好き。

───一緒にいたい。

───愛してる。


────番になって。



番という言葉を使ってまで。願いと希望を纏わせて。私は『番』を否定する存在なのに、信じたいと願ってて。


「私の想いは変わらないよ」

「そうやって逃げる」

「だってずっと、形は変わってもなにも変わってないから」

「なんよ、それ」


本当だよ。ねるを想う気持ちは何も変わってない。
愛おしく、想う度に切ない。心臓が締め付けられる感覚は、いつだってねるが関わってくる。
大切にする方法には、私が全てを賭けることが必要だと思ってた。私の存在意義はそこにあると、思ってたんだ。そうして、それに、私は救われた。存在を許されたと、思った。


「でももう、私ひとりで決めたりしない」

「…うん」

「ねると一緒にいるってそういう事なんだよね」


けど、だから。影に囚われて、後悔しかなかった。
後悔しないようにしても、どれも、必ず後悔が纏わり付く。
怒らせてばかりで、裏切って。

傷つけて……。


「理佐はもっと変わらんといけんね」

「それ、由依にも言われた。結構変わったと思うんだけどな」

「マシにはなったかなぁ」

「マシって」


後悔しないことなんてことはない。
これから先、まだまだ悩んで後悔していくと思う。

けどきっと、ねると相談して進んだ先なら、例え後悔を孕んでいたとしても前を向ける。

足枷はきっと、私たちを繋ぐでも唯一つの証に変わる。


後悔と、拘束の足枷から


きっと。



「…ねる」

「ん?」

「ずっとアンクレット付けてくれてたんだね」

「…外さんよ。ねると理佐の証やけん」

「………」


あの時のアンクレットは、ねるを離さないための足枷だった。
そして、私への足枷。

何にも変えられない。私たちの鎖。


「理佐も、忘れんで」

「…、」

「後悔したことも、ねるを置いて行ったことも、それでねるが苦しんだことも」

「───……ねる、」

「ねるは理佐のこと、許しとらんけん」

「……うん」

「100年経っても1000年経っても変わらんけん」

「…、うん」


その言葉に、私はねるが怒ってないと分かってしまって浮かれてるのかもしれないと思った。




「また笑っとる」

「ごめん」


私とのやりとりに笑ってくれるねるに心が満たされる。
私はこれから、今までと違う道が選べる気がしていた。

そんな夢現に、ねるの腕が上がって、私を包み込む。
私の方が背が高いのに、頭を撫でられて心地良さに酔う。ムズムズする胸の奥に気付かないふりをしてねるの身体に腕を回すと、その細さに驚いた。痩せたとは思っていたけれど、抱きしめて改めてねるの身体が脳を直撃した。私が無意識に手を緩めようとした瞬間、ねるは私を包む腕を強めて身体を密着させる。

ねるの香りが、鼻腔を埋めて。頭がクラクラする。


「……ねる、」

「…りっちゃん、ねるのこと欲しか?」

「──……っ、」

「ねるも、理佐のこと欲しい」

「、っなに、」


いつの間に、そんなこと言うようになったの。


「ずっとお預けやったけん、止めれん」


吸血の欲が欠乏していると下を向いていた私に、この欲を分けてやりたい。

ドクドクと渇く。
体の奥底から、欲がせり上がる。
ともすれば、ねるを吸い尽くすほどに求めている。

枯渇なんてしていないのに。


「……、待って…。これじゃ、私…」

「怖い?」


……知らない感覚だ。
急激な欲求と渇き。でもきっと、この感覚は私が変わったんじゃない。


「大丈夫やけん、」


間近で目の当たりにして、気づく。

ねるは、体つきも表情も畏れるほどに美しくなった。
私を引き寄せる力は、私が適わない程に強い。

───ねるは”吸血鬼”───


私がしたはずの、当たり前の現実に、横隔膜が震える。
息苦しくなって、息が浅く切れ始める。
身体のアクセルが全開に近づき、欲が暴走する。


その全てを操り引き上げるのは、愛する人。
あの頃の可愛さもあどけなさも人間らしさも今はない。

美しい、吸血鬼。


「っ、ねる…」

「……可愛い、理佐」

「…、っ!、」


ねるが背を伸ばす、顎を上げて、私にキスをする。
脳が痺れて体が固くなるけどねるに肩を引き寄せられて、口付けが深くなる。


触れるだけだった唇は引き寄せられると同時に粘着質な音がして、舌が触れ合ってすぐ、ねるは離れてしまった。


「─…っ、ねる、…!」

「りっちゃん、眼真紅やね」

「、!、ねるも」

「ふふ、お揃い」


紅い眼が、私の欲を掻き立てる。

ねるは妖艶に笑うと、私の手を引いて歩き始め
た。




足を進める度に、アンクレットが存在を示す。

歩く度、進む度。私は、ねるとの証に
歓喜と後悔を繰り返すだろう。



けど、その先で、ふたりで進む道を選び直していくんだ。






100年先も
1000年先でも。

私は、ねると共に歩く。


同じ足枷に

後悔とは違う、同じ思いを繋げて。



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