家庭教師×生徒
「家庭教師のバイト、どんな感じ?」
大学のラウンジで、愛佳に話を振られる。
家庭教師のバイトを始めたのは一ヶ月前からで、今日もこれから行く予定になっている。
「どんなって?」
「上手くいってんの?りっちゃんが家庭教師なんて、、、ほら勉強できる訳じゃないし、理佐に教えてもらうシチュエーションは唆るけど」
「唆るとか何言ってんの。でもホント、勉強出来る子なんだよね、生徒」
私たちのいる大学に入学したい。
その理由で該当した私は、初回にやる成績確認ですぐに私には力不足だと分かった。けれど、相手方は私の言い分を謙遜だと判断したらしく未だに契約は続いている。
「なんで、家庭教師なんて雇ってるんだろ」
「引きこもりとか、?でもまぁ勉強出来るのに家でまで勉強教わるとか私には分かんないなー」
やりたくなーい。って愛佳が手を組んで腕を伸ばす。
……正直、教えてることは無い、と思うくらいのレベルの子だった。 聞いてくることはあるけれど、確認作業であってなにを聞くわけでもそれに私が教えることをすることはない、。
私を使うのは、同じ大学に進むためだって言うけれど果たして必要なのかすら疑問を持ってしまう。
謎だ。
あの子は、私のような家庭教師に、何を求めているんだろう。
◇◇◇◇◇◇◇
「先生?」
「、なに?終わった?」
「はい」
長濱ねる。再来年受験になる。正直、こんな真面目な子が再来年に向けた勉強に私が必要だろうか。もっと頭のいい人だってバイトの中にはいるだろうし、。
愛佳との会話から浮き彫りになった疑問が頭の中を占める。
赤ペンを進めても、問題集に綺麗な丸で埋めつくしていくだけだった。
うーん。やっぱり、私のいる意味ってあるのだろうか。
「ねぇ長濱さん」
「はい」
「やっぱり、もっとレベルの高い人と勉強したほうがいいんじゃないかな。私が教えられることってあんまり無さそうだし」
「……、全部正解でした?」
「……え?うん、」
「………、2の(3)、難しかったんですけど教えてください」
「、うん」
にのかっこさん。2の(3)。
当該問題を探して目を下した先は、やっぱり綺麗な丸が付けられている。
「…何が難しかった?」
「えっと、ここが─」
「、」
ひとつの問題集にふたりで体を寄せる。と言うより、私はある程度の位置なのに長濱さんはまるで狙っているかのように体を寄せに来た。
喉が詰まる感覚と、欲情に似た感情がせり上がってきて息を止める。
……、この子は意外と人との距離が近いのかもしれない。 長い髪が邪魔なのか、長濱さんは私側にある髪の毛を耳にかける。 普段隠されている耳が、視界に映る。
長濱さんの香りが、一瞬強く鼻を掠めた。
風呂上がり……なわけないよね。まだ夕方だし。
でも、女の子ないい匂いがした。
この子は、みんなにこんなにも無防備なんだろうか。
この感情はだめだ。
邪な感情を、真面目な思考で塞き止めるように切り替える。
「先生?」
「、ぁ、ごめ、」
斜め下から、見つめあげる。瞳が近く真っ直ぐに私を写してきて
まるで狙ったかのような、アングル……。
ぁー、、、思ってたけど長濱さんはかわいい。こんな子だれもほっとかないよ。いいなぁ、長濱さんの同級生羨ましい。
でも、よく考えれば可愛い子に『先生』って、イイよね。
その角度も素晴らしい。これは役得。
あざといって言うのかな、意識的なのか無意識なのか知らないけどそういうの危ないからやめた方がいいよ。襲われちゃうよ。チャラい人はきっと押し倒してるよ絶対。そんなのやだからしないけどさ。
手とか触れそうだし。距離近い。そう、すべては距離が近くて、だからドキドキして、こんな思考に陥るんだ。
「──、」
「……、先生?」
「…………うん、きっと教えるより考えた方が学びになるから考えてみて!来週答え合わせしよう。私も教えられるようにまた勉強してくるから」
「………、。」
家庭教師の立場もないセリフを吐いて長濱さんから距離をとる。
顔が熱くて心臓が早く脈打つ。なんとなく汗をかいてる気もするし、もう帰ってしまいたい。
チラ、と見た時計は終わるには早い時間を示していた。
長濱さんは私の視線に気づいたみたいで、思考と同じセリフを口にする。
「……まだ時間ありますね」
「そう、だね」
「……」
「長濱さんはさ、」
どうして、私に──
そう聞こうとして、スマホが知らせを伝えてくる。
この場しのぎに切り出そうとした会話は、簡単に言い訳が出現してくれた。私は、逃げ道を得たようにそそくさとスマホを取る。
「あ、ちょっとごめん」
「……」
長濱さんは、少しだけ口をへの字にしていた気がしたけれど、問題をろくに教えないせいかと思って申し訳なくなった。
でも、私自身、長濱さんが難しいっていう問題をこの脳内で説明できる気がしないんだから仕方ない。
「……、ぁ」
スマホを開く。アプリを開く。そうして現れたのは、愛佳からの連絡だった。
「……友人さんですか」
「、うん。大学のね、友人」
「……、」
遊んでるのかちょっとアホみたいな内容で、僅かに笑いが零れる。
長濱さんにも教えてあげようと思って顔を上げた瞬間。今までのイメージにそぐわないほど力強く、スマホが鷲掴みにされた。
「え、?」
「……まだ、時間ありますよね」
「、はい」
「まだ、家庭教師の時間ですよね」
「………はい、」
……怒ってる。 ふわふわしてにこにこして。真面目な長濱さんが、すごく怒っている。
そりゃあそうだと反省する。お金を払って家庭教師を雇っているのに、聞いてきた問題は教えないわ、時間余らせるわ、その間にスマホ開くとか。
クビかなぁ。それはまぁ長濱さんにちゃんと合った人がつくことになるかもしれないし、、、
「まだ、ねるとの時間ですよね」
「……はい、、、?」
………え?
「まだねるの時間やって言ってるんです」
「……、」
家庭教師の時間=長濱ねるの時間。
そう、言われてみれば確かに??
想定外の展開に、長濱さんの要求を納得してしまう。
「他の人のこと、考えんで」
「──……ごめん、」
「他の人のことで笑わんで」
「……うん、」
「ねるのこと、見てて」
「…うん。」
本来なら何だこの子ってなるはずなのに。
長濱さんの表情があまりに切なそうで、私は承諾の返事しかできなかった。
怒ってるんじゃない。あまりに熱っぽいその感情が真っ直ぐに当てられて、私まで、苦しくなってしまう。
「……ごめん、今は長濱さんの時間だよね。家庭教師として良くなかった」
「……馬鹿じゃないんですか、」
「ごめん、て」
もしかして寂しい思いをしてるのかも。
自分を見てほしいって、要求的におかしい事じゃないし。だからこそ、大学をクリアするには余裕の成績なのに家庭教師を雇ってるんだ。
第一、お金を払っている時間を家庭教師としても力不足なのに、スマホ開くとか常識的じゃなかったよね。
「……、先生」
「ん?」
「……今度教えられない所あったら、ねるのこと名前で呼んでください」
「…え?」
「その次あったら、ねると連絡先交換してください」
「、?」
「その次は、休みの日にねると会ってください。その次は、」
「ちょ、ちょっと待って」
「ねるのこと、ちゃんと見て」
「───、」
いつの間にか、スマホごと手を握られていた。
「………はぁぁぁあー。」
「なにそのくそ重いため息」
「愛佳のせいでしょ」
「何の話?全然わかんないんだけど」
「………」
大学のノートなんて無視して、腕を伸ばしてつっ伏する。
愛佳の連絡さえなければ、あんな展開にならなかったかもしれないのに。
………いや、結局上の空だった私にはああいう展開は来るべきだったのかも。
そんな私は、この間の続きだけどさ、とダラダラと展開を口にした。
口にしてみて分かる。私は、あの子を前にして理性という盾を下げないことに必死になっている。
「……それ、明らかガチ恋されてんじゃん。なに逃げてんの」
「いやいや、愛佳こそその固定思考止めなよ。そんなわけないんだって」
「そんなあざといアプローチされて何が違うんだよ、馬鹿じゃないの」
「馬鹿って何、あの子はノンケなんだよ。だから違うの」
「はー?ノンケだからってりっちゃんに恋しない理由にはなんないでしょ」
「………彼氏いるんだよ、この大学に。だからここに来たいんだって」
「……………、」
「……ほら、だから違うって言ったでしょ」
視線を回しながらブツブツ言う愛佳を無視してまた突っ伏してみる。
あの長濱さんを彼女にする彼氏さんは、どんな気持ちでいるんだろう。
私は、なんだかんだと言い訳を心に唱えて、この子は違うんだと言い聞かせることしか出来ないから聞いてみたい。
けど、彼氏さんはあの子に触れられるんだから我慢する必要は無いのかとたどり着いて結局虚しくなる。
あの手を握り返すことは、私にはできないんだから。