An-Regret.


身体が先か、脳が先か
そんなのは結局どっちが先かなんて答えは出なかった。

けれど、理佐の横たわるその隣で、意識を失うように眠ってから
ねるは食事や睡眠を受け入れられるようになった。

けれど、ねるが何回目を覚ましても理佐が目を覚ますことはなくて。その度に、目覚めるその時を想像しては現実に打ちのめされる。


「……ゆっくり、休んで」


この先理佐が目を覚ますとは限らないとてちは言った。それでも、この先に億が一にも可能性があるなら、ねるは理佐を待つ他に選択肢はない。




◇◇◇◇◇◇


「………ねるさん、」

ねる「、どうしたと?」

「……、いえ。なにも」

ねる「……夏鈴ちゃん、辛か?」

藤吉「………」

ねる「辛かば、またおいで。ねる、時間いっぱいあるけん」

藤吉「………はい」


……夏鈴ちゃんは今、暴走する吸血鬼や狼を止める役割を担っている。あまり感情を出すほうではなくて、無言で佇んでいることが多いけれど
静かに何かを発していることも多いと分かったのは最近やった。
感情を当てられる立ち位置は辛くないわけが無い。それでもあの後、彼女はその役割を進んで受け入れた。 それは彼女の中で、それしか存在意義がないと言っているように思えて、それが誰かを見ているようで切なくなる。

次の仕事があるからと、背を向ける彼女に、ねるは待っとるねと一言送ることしか出来んかった。


愛佳「あ、ねる。暇でしょ?」

ねる「なんよそれ。失礼ばい」

愛佳「えー、なに。じゃ何してんの」

ねる「……夏鈴ちゃん見送ったと」

愛佳「暇じゃん」

ねる「うるさか」


夏鈴ちゃんを見送った後愛佳に声をかけられる。ちょっとしたやり取りの後、松田ちゃんを部屋に呼ぶようお願いされた。


ねる「松田ちゃーん、どこー?」


松田ちゃんはパタパタと動いていて気を抜くとどこにおるか分からんくなる。
愛佳は気に止めることを諦めたみたいで、よくねるに探してくるよう呼びにきよる。
なにか、連絡取れるようにしたらいいと思う。


松田「ねるさん!どうしましたか?」

ねる「、ごめんね。愛佳が呼んどるけん行ってもらえる?」

松田「え。なんでしょう、怖いなぁ」

ねる「大丈夫ったい、怒っとらんかったよ」

松田「分かりました!行ってきます」


びしっと敬礼をして、松田ちゃんは愛佳の部屋へと走っていく。
彼女の能力付加、増幅は多くの場で活躍している。それでも、悪い人に騙されたり使役されてしまう事態のリスクは大きく、愛佳の監視下で対応しているのが現状だった。



武元「ねるさん、お変わりないですか?」

ねる「唯衣ちゃん、そっちは大丈夫と?」

武元「平手さんの采配のおかげですかね。今日も大して役にたってないです。天や夏鈴が怪我して来たらすぐ治しますね!」

ねる「ふふ。頼もしか」


吸血鬼の世界で唯衣ちゃんの力はあまり大きな意義を持たないみたいやった。病気を治せる訳ではないし、半永久的な吸血鬼に、外傷の治癒は大きな戦争やそれこそ理佐みたいな状況下でやっと必要とされる。
それでも彼女は、少しでも何か自分に出来ることを探している。
お辞儀をして背を向ける彼女は、前を向いていた。




ねる「……ほのちゃん?」

保乃「……あ、ねるさん」

ねる「こんなとこで何しとると?」


唯衣ちゃんを見送った後、普段使われない部屋から人気がしてドアを開ける。そこには保乃ちゃんがひっそりと座り込んでいた。
ねるの声ににへ、と笑って白状する。憎めないというのはこういうことを言うんかな。


保乃「平手さんにこき使われちゃって。ちょっと隅でサボっとるんです」

ねる「ふふ、いけん子やねぇ」

保乃「そんな!ほのさっきまでめちゃくちゃ働いてましたよ!」

ねる「ふふ、声大きかね。バレちゃうよ」

保乃「はっ!」


ねるは気づいとったけど、保乃ちゃんは部屋の中にいたからか気づかんかったみたい。
ねるの言葉に何となくこの先の展開に気づいた保乃ちゃんは、大きな目をさらに大きく見開いとって、お口まで開いて漫画みたいやった。


「保乃、何してるの」

「平手さん!」

「任せてた仕事終わった? そしたら次、これ」

「あ!!いやまだ!!もう少しかかりますんで!」


保乃ちゃんはそのまま仕事部屋へと走り去る。その後ろ姿を眺めて、てちはため息をついた。


平手「……はぁ」

ねる「てっちゃん、あんまり使い倒すんも良くなかよ」

平手「人聞き悪い。愛佳の仕事の1割しか回してないよ。しかも後処理くらいなのに」

ねる「愛佳と並べちゃいけんって」

平手「保乃が言ったんだよ、使えるようになりたいって」

ねる「へえ、」

平手「ひかるに堂々と会うためだってさ」

ねる「ふふ、由依さん許してくれるんかな」

平手「さぁね。私には関係ないからなぁ」

「私が何?」

ねる「、由依さん」


ねるたちの後ろに現れたのは、話に出たその人で。どこまで聞こえていたのか分からなかったけれど、由依さんはそのままてっちゃんへと封筒を渡した。


由依「平手、これこの間の」

平手「ありがと。喧嘩しなかった?」

由依「茜相手に喧嘩ふっかけるほど馬鹿じゃないって」

平手「よかった」


由依さんは、あの時のことを引きずらずにねるに接してくれている。
ひかるちゃんにも謝ろうとしたけれど、『分かってるから大丈夫』だと制されてしまった。
代わりに、一緒にお茶でも飲むよう言われて 少しの気まずさを纏いながら訪問したのに、結局帰る頃にはねるのほうが泣きそうになっていた。



由依「…あいつ、まだ寝てるの」

ねる「……そうやねぇ」




……理佐は、まだ目を覚まさない。

身体は朽ちることなく、静かにベッドに横たわっている。

冷たいし、色味はなくて。心臓の鼓動も、聞こえたことは無い。

けど、理佐の体は朽ちない。


真祖によって与えられた『死』は、確実に理佐を生命から切り離した。
てち曰く、理佐は天ちゃんによる傷で既に瀕死状態で唯衣ちゃんの力で糸1本繋がっているようなものだったらしい。 枯渇の相まったそれは、きっとてちが手を下さなくても理佐を引きずり込んだけれど、敢えて、手を下したのはお互いの決意の元だったのかもしれない。

その中で、理佐は。ねるにたくさんの言葉を送ってくれた。
悲しいものとしか思えなかったけれど、今は、少しだけ、それが支えになることがある。


『私と、番でいてくれる?』


あれは、その先に待つ『死』を知っていたから言葉にできた。だから、投げやりに、ただただ、妄想にしかならないその願望を夢見がちに唱えたのだと

悲しみと後悔に昏れる中、それしか考えられなかった。


けど、それはきっと違う。






「理佐、桜咲いたよー」


毎年、桜が咲く時。
理佐が目が覚める気がする。
夏でも、秋でも、冬でもなく。
桜が満開な時でもない。

桜が咲く、その時。
理佐はその瞼を、開ける気がしている。


「……りっちゃん、もう100年よー」


100年なんて、待てると思っていなかった。

でも、永くその想いを抱えて。
100年、好きでいる気持ちに変わりはなかった。


横たわる理佐の横に腰を下ろして、頬を撫でる。
ひやりと冷たい皮膚、綺麗なまま崩れない表情。

それを目の当たりにする度、このまま目覚めないのではないかと怖くなる。

それでも、


「理佐、好き……」


「愛しとるよ」




──ねる、好きだよ
        愛してる。






あの時の言葉が、離れない。

真っ直ぐに込められた、理佐のしがらみを抜けた先にある気持ち。

ねるに向けられたその言葉達が、投げやりであるはずがない。




綺麗な理佐をまっすぐに見つめて、キスを落とす。
そのまま理佐の首元に顔を埋めて、吸血行為の真似事をしながら唇を落とした。




『───』




理佐の鼓動は、まだ聴こえない。










天「ねるさん、」

ねる「…天ちゃん、」

天「………、あの」

ねる「まだ、理佐は起きんねぇ」

天「……」

ねる「はよ起きんと、天ちゃん大人になってしまうとね。そしたら誰かわからんかもしれんよ」

天「……私の事なんて、覚えてない方がいいです」

ねる「……」


あんなことをしておいて、忘れられるわけが無い。
けれど、傷つけた相手なんて覚えていたくないに決まっている。忘れた方が、、。

そんな天ちゃんの矛盾する気持ちが手に取るように分かる。


ねる「天ちゃん。理佐は天ちゃんのこと許しとるよ。だからそんな悲しいこと言わんで」

天「……」


自分のことを忘れて欲しいなんて、悲しい。

それが例えば、あまりに辛くて忌まわしくて、そのせいでこれからの人生や物事が総崩れしてしまうなら、一概に悲しいとも言えないかもしれないけれど……。

それでも、理佐を忘れてしまった時期はとても辛かったと覚えているし
理佐自身、色々な感情に、小さな心は悲鳴をあげていたようにも思う。

山﨑天は、理佐と似ているわけじゃない。根を張る思考は別の形。
ただ、環境や境遇が似ていたせいで 同じであると思い込んでいるだけだ。周囲も、本人も。


ねる「起きたらたくさん話をしようね」

天「……、」

ねる「天ちゃんが頑張っとることも、みんなが頑張っとることも」

天「…私は………、」

ねる「……強くならんでよかよ。無理に笑わんでよかばい」



あれから。尾関を除く、黒衣装たち6人はそれぞれに首輪が装着されている。
平手の元に付き従い、行動はすべて監視下に置く。命令や指示を拒むことは不可能で、そこに何の許容もない。それが今回の件の懲罰だった。 期間はそれぞれに違っていて、最も長いのは山﨑天だった。
それを彼女は口を閉じたまま受け入れた。

指示されるままに働いていた彼女が、自分の意思で言葉を発したのは最近のことだ。

何を思い、感じたのかは分からないし、ねるの知れることではないと思う。ただ、他の5人との関わりや、長い時間は、山﨑天の削れた心を少しずつ埋めてくれたのかもしれない。

出会った頃やその時のことを話すことはもうなくなった。
けれど、天ちゃんは理佐のあの時の姿を追うように話す時がある。それはねるが知っている理佐とはあまりにかけ離れていて、
いつか、理佐に話してあげたいと思う。


天「理佐さんは、強いですよね」

ねる「……ふふ。甘かね、天ちゃん」

天「え?」



理佐は決して強くない。むしろ、泣き虫で酷くネガティブで、へたれなのだ。

何を言ってもその思考から離れることはなくて、どれだけ抱きしめても、抱き締め返してくれてもそんなのはこれからの保証にもならなかった。

理佐のくれたアンクレットは、彼女の思考を露にしていたと思う。
でも、だからこれまでも、これからも彼女を忘れることも掠れることも、離れることも無いのだと思える。


足枷が外れることは無い。
後悔が拭える日は来ない。

理佐が目覚めるその日まで
後悔は、消えない。


































そして、季節がめぐり再び春の訪れる。


桜が芽吹き、色づいて、白く淡いピンク色がその実を咲かす準備を整える。









「理佐ー、そろそろ桜咲くったい」



「…………、」





「……、理佐?」





周囲の雑音が、消える。

心音が、届く。

桜の花びらが、日に照らされてその暖かさに、ゆっくりと開いていく。




「─────、」








駆け寄り膝を着くねるの足にアンクレットが当たり、後悔が途切れる。

理佐の紅い瞳はねるを映し、そして


少しだけ低い、柔らかい声で
ねるの名前を呼んだ───。



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