An-Regret.


「……理佐、?」


耳に響いた声は、ねるのものじゃないみたいだった。

弱々しく、どこか遠くに響く。


心が、ぱらぱらと、端から欠けていくみたいで、
けれど、脳はそれを拒絶するように心への認識を手放していく。


「ねる!」

「──……」


気づいたのは、体を包む温もり。
痛いくらいにねるへ腕を回すのは、みいちゃんだった。


「っ、」

「…みいちゃん、」


みいちゃんが、泣いていて。
何かが絆されていく。

目を、背けてはいけない。
逃げて、理佐をなかったことにしちゃいけない。

ねるは、理佐が好きで、大切で。
でも、こうして、繋ぎ止めることが出来なかった。


「っ、みいちゃん、、理佐、が、!」

「─っうん、、!」

「理佐が、おらんくなっ…、!」

「……っ、」

「りさぁ、!」

「ねる、!」


眠ったように目を閉じる理佐は、ねるがどれだけ泣いても目を覚ますことはなくて
いつかのように抱きしめてくれることも、頭を撫でてくれることも、なかった。


由依「……ねぇ、これ」

愛佳「……」

平手「…………」



理佐を失った浮遊感に、じわじわとさっきの会話が滲みだし始める。


ねる「…………、」


ゆっくりと、けれど酷くはっきりと。
後悔という黒いモヤが心を覆い尽くしてきて、息が浅くしか吸えない。
心臓が締め付けられるような感覚。喉が詰まる違和感。

全ては、たったひとつの感情が巻き起こしている。それは分かっていたけれど、誰のせいにすることも出来ない。
自分のせいだから、その感情は自分を襲っている…。













「ねる、」

「っ、」


しばらくして、愛佳の声が近くに響く。
沈んでいた思考は、落ち着いたその声に引き上げられて
きっと腫れ上がっているであろうねるの目に、愛佳はしっかりと視線を合わせてくれた。


「行こう、こんな冷たいとこに寝かしておけない」

「……、」


愛佳が、理佐を抱き上げる。それを見送っていたねるに、てちが手を差し出してくれてその手を取った。立ち上がり、視線を回した先でみいちゃんは土生ちゃんに肩を支えられていて
それが羨ましいと本当なら思えたはずなのに、未だ理佐がいなくなったことを受け入れられないのか、理佐がいなくなったからこそ空虚で考えられないのか、2人の姿に、なんの感情も持てなかった。


平手「…おいで」

由依「は!? こいつら連れてく気?」

平手「…逃がして勝手をさせるつもりはないってことだよ。……このままになんてしない」

天『………』

平手「愛佳、黒衣装の子たちも全員集めて」

愛佳「分かってる。逃がしたりしない」

武元『…私たちから連絡します。少しだけ時間をください』

天『………』








◇◇◇◇◇◇



それから、数ヶ月。

ねるは食べることを止め、寝ることを捨てた。
感情すら消えてしまったかのようで、それは生きていることを疑う瞬間もあるほどだった。

平手はねるを自邸へ匿い、あまりに危ういその存在を目の届く所へ置いた。理佐との生活の場から離れることに拒否されるかと思ったその提案も、ねるは無言でそれを受け入れる。その姿は、人形のようにも思えた。



愛佳「……ねる、どこ行くの?」

ねる「……ずっとここにいても変わらんけん、外行ってくる」

愛佳「……外は雨だよ、傘、持ってけよ」

ねる「……」


外は、雨だった。雨音が屋内にいても聞こえるほどの雨。傘を差さずに歩けば、今のねるなら幽霊に間違われるほどに姿を崩しにくる。
ねるが自分から外へ出ることなんて珍しい事だったけれど、雨だからこそその活動に繋がったことを愛佳は分かっていた。それでもその行動を止めなかったのは、人形のようだったねるを止めてしまえば、ねるのすべてを止めてしまいそうだったから。

愛佳に差し出された傘を受け取り、ねるは玄関を開き外へ出る。断続的に続く雨音は、周りからの音を遮断してくれるようだった。
ねるは足を進める。傘はその役目を果たすことはなく。目的の場所へとたどり着くころ、ねるはずぶ濡れになっていた。


「…っ、私、タオル取ってきます」


ねるの姿を見て、ひかるはタオルを取りに走る。雨による匂いと音の遮断に、ひかるは察知が出来なかったようだった。
その姿を見送って、由依は表情を崩さず世間話のように話しかける。


由依「……ここに来るの、よく許されたね」

ねる「由依さん、ねるのこと、、死なせてください」

由依「……意味わかって言ってんの?」


ぽたぽたと髪から雨が落ちる。
枯れた感情の代わりに、ねるの涙 を表しているようだった。
開かれたままの玄関。外からは雨音が響く。
玄関の境目を隔てたまま、ねるは中へは足を進めず その境界線はなにか別の壁にも思えた。


「分かってます。由依さんだって言ったばい。理佐を殺して、その罪に罰せられろって。……理佐、死んじゃったけん……でも、ねる自分でいくらやっても死ねんで……」

「……吸血鬼は、そう簡単に死ねないよ。自分からなんて特にね。同種のやつにしてもらわなきゃ」

「やけん、由依さんにしてもらいたか、」

「……、私のあの言葉の意味は、そう意味じゃない。分かってるでしょ」

「……、でももう、理佐おらん、」

「悪いけど、叶えることなんてしないから」


死ぬな、なんて言えない。生きろなんて非道なことを口にすることは出来ない。
その選択をする、その気持ちを、
形や経緯が違くても、その暗闇を由依は知っている。

あまりに安易で正当過ぎるその言葉が、ねるを手の届かないところへ突き落とすと、知っている。


由依「……」

ねる「──なら、ひかるちゃんに何かあってもよか?」

由依「は?」

ねる「っ、由依さんが叶えんのやったら、そうさせる!」

由依「……ねる。それ、本気で言ってんの?」

ねる「…っ、」

ひかる「……ねるさん、」

ねる「─!!」

由依の後ろからひかるが姿を見せる。その表情からねるの言葉が届いたことは明確だった。
由依はひかるが持ってきたタオルを取り、ねるへと押し付けるように渡した。


由依「……。もう帰って。ひかるを裏切るようなこと、嘘でも言わないで」


由依は玄関を閉めてため息をつく。ねるの気持ちも、少しは分かる。自分がねるや理佐を巻き込んだ時と同じだ。それでも今、ひかるは守るべき存在で、そのリスクを隣り合わせにするほどの余裕はまだない。

息を吸って振り返る。視線を向けた先で、ひかるは強い眼を由依へと向けていた。


ひかる「私は大丈夫です。ねるさんのこと、助けてあげてください」

由依「…分かってる」


ひかるが守るべき存在であることに変わりはない。それは紛れもない事実だ。けれど、長濱ねるは嘘でもあんなことを口にする人間じゃなかった。
闇や絶望は、思考を侵す。ねる自身に悪意はない。 ただ、追い詰められ息を吐くこともままならないのだと言っている。

ねるが、危ない。





──「平手、ねるはもう限界だよ。何しでかすか分かんない」


機械を通した先で、平手の悲しげな声がした。


楽観的観測は簡単だ。希望を据えることも、難しい事じゃない。

ただ、それだけに。
それを抱いた先、途方もない時間の先に
その希望や観測は、形を変え、酷く辛い重荷になる可能性だって、否定できない。1度抱いた光を、手放すことなんてできない。






愛佳「……おかえり。雨、ひどいみたいだね」


愛佳は濡れていることを把握していたように、準備していたタオルをねるへと被せる。
それでも拭こうとしないねるを見て、ガシガシと頭を拭いた。


ねる「……、愛佳は、なんでそうやっておれると?」

愛佳「…。」

ねる「りっちゃんのこと、大事にしとったのに」

愛佳「……あいつに、平手のこと頼まれてるからさ、投げることなんてできないよ。………なんて、そんなのはきっと、ただの言い訳」

ねる「え?」

愛佳「理佐を死に追いやって。こうして生きて…馬鹿みたいだなって思うよ。あれだけりっちゃんといて、今は何かが抜け落ちたみたいになってる。それなのに、生きてる」


ねるは顔をあげようとしたけれど、愛佳の手に制されてしまった。


愛佳「…嫌になるよ、朝が来る度。寝付く度。けど、だからって命を捨てることも自暴自棄になることも無い…何でなのか、自分でも分からない。ただ……、」

ねる「……」

愛佳「……部屋で、平手が待ってる。話してやって」


愛佳は、ねるの頭をタオル越しに軽く叩く。
ねるが顔を上げた頃には、愛佳はいつもの笑顔をみせたけれど、目は悲しげに染まっていた。


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