An-Regret.
てちの声がして、停止していた思考が陽に当てられるようにじわじわと音を立てて動き出す。
その人はゆっくりとねるの前に膝をついて、目線を合わせると 泣く子供に声をかけるみたいに優しく、口を開いた。
「…ねる?」
「……、てち、、」
「もう大丈夫、泣かないで」
ゆっくりと、染み込む言葉。理佐とは違う、少し低い声。強い瞳、。
なのに、優しさが消えない。
「遅くなってごめん、辛かったね。こんなのが届くなんて私も思ってなかった」
「……、?」
ねるの手に握られたアンクレットに手を重ねる。グッと力を込められて、でももう大丈夫だよ、そう言われた気がして思考を占めていた不安がかき消される。でも、霧のような不安はまだじくじくと心を覆ってくる。
てちはそっとねるの頭を撫でると、立ち上がり未だ尾関を跨ぐ愛佳へ声をかけた。
平手「愛佳」
愛佳「……」
平手「あれだけ手を出しちゃダメだって言ったのに。みんな理佐のことになると抑え効かないよね」
愛佳「……どうすんの、こいつ」
平手「……」
愛佳はバツが悪そうに足を退かし数歩下がる。それに合わせて上体を起こした尾関へ、てちは数歩近づくと立ったままやり取りを開始した
尾関『……、』
平手「この件が片付いたら、候補は示すよ。これは約束する。だから長濱ねるから手を引け、これ以上長濱ねるにも渡邉理佐にも干渉は許さない」
尾関『お言葉ですがそんな口約束信用できません。私は何度も「ねるは大切な友人なんだ」、!』
尾関の言葉を遮り、てちは口調強く言葉を発する。そして、意味深に「大事なね」と言葉を繰り返した。
平手「分かる?それに対して危害を加えたなんてこと、本当なら許したくないんだよ」
ねるに目線を合わせてくれた姿はどこにもなく、言葉には影があり声には圧がある。
見下した目線に、尾関がヒュっと息を吸った音が聞こえた気がした。
平手「血が流れないからってお前の安全が保証されると思ったの?」
尾関『ッ!』
平手「涙を流させた。私はそれをねるへの害だと認識してる。それを許す気は無いんだよ、”番”という存在が私たちにとってどういう存在なのか、知らない訳じゃないよね?」
「理佐が私にとってどういう存在”だった”か分からないはずない。調べれば直ぐに分かったことだ。ただの養子、ただ利用されるだけの能力者、ただの都合のいい不良品だとでも、思っていたなら愚かにも程がある」
『……そんな、ことは、!』
「………」
見えない脅威、威圧感。
真祖は、その存在だけでその価値がある。
数分前に愛佳に吐いていた尾関のセリフが、塵のようにも思える程、目の前の存在は強く大きかった。
「自分を売り込むセリフを吐いた割には、考慮が足りなかったね」
「もし仮に、私がねるを番にしたなら、お前の存在を罰さなければ気が済まないよ。愛佳がしたソレぐらいじゃ足りない」
『……っ、』
「番契約への干渉など力不足もいいところだよ。君たちの真祖への執着なんて関係ない。今後干渉は許さない。2度も言わせるな」
『──……』
これが最終通告だという提示に、尾関は下を向き意志を伏した。
そして、尾関から向きを変えると未だ押さえつけられたままのひかるちゃんへ向けた。
平手「…保乃、」
保乃『……』
平手「ひかるを離して。見ていてわかったでしょ、もう終わりだよ」
保乃『………』
それでも、その言葉に手を緩ませることはなく。
保乃はゆっくりと口を開いた。
保乃『…だめです』
平手「……」
ひかる「保乃ちゃん……」
保乃『尾関さんからの依頼は終了しましたけど、まだ終わってません』
平手「……それが今回の本当の依頼主だね?」
保乃『…うちらにホントもウソもありません。吹き溜まりは、ただその時に動かされるだけです』
周りの言葉に、ねるだけが置いていかれる。
愛佳へと視線を向けても、どこか苛立った様子しかなく誰も困惑を抱えていなかった。
ねる「……どういう、こと?」
平手「…今回の本当の目的は、真祖でも、その番契約でもない。尾関の目的はそこだったけど、それはただの囮だよ。もう1人…黒幕にとってはただの前戯でありついででしかない」
「本当の目的は、理佐だ」
「!!」
◇◇◇◇◇◇
───!!!
酷い破壊音と併せて、私たちはそこへと飛び込む。
『───!!!??』
小林「っ理佐!!」
土生「…!!」
由依の特攻について飛び込んだ先。
そこには、血を流して床に倒れる理佐と、その傷に手を当てる黒衣装がいた。
力なく横たわるそれが、生命を未だ灯しているのか不安になって、心臓が一瞬にして冷める気がした。
理佐「──………」
小林「理佐から手を離せ!」
『ま、待ってください!今は…っ』
小林「うるせえ!」
焦燥感に襲われるまま、由依は勢いを増し理佐へと足を進める。
けれど私には、その子が黒幕には見えなかった。
土生「待って!由依」
小林「なんだよ!?」
土生「落ち着いてよ。この子、聞いてた子と違う。理佐を治してくれてる」
小林「そんな訳っ!?」
?『……ホントだよ。渡邉理佐には死なれたら意味ないからね』
「!」
気配がなかった暗闇の先、『それ』はゆっくりと私たちに姿を見せる。
落ち着いたその姿は、私たちに少しの戸惑いを作り出す。
『来ると思った。気持ち悪いくらいなり潜めてたし、特攻タイプのくせにさ』
小林「……」
『瀕死で頑張ってたんだよ?でも来るのが遅いから、こっちが手伝わなきゃ死ぬところだった』
土生「っ!?、由依!」
──! !
言葉を聞くと同時に、由依は隣から消えて
相手の胸ぐらを掴んでいた。
”由依が暴走しないよう止めて”
無理だ。真祖に言われたその指示が守れないと直ぐに分かってしまう。
彼女の強さは、私が止められるものじゃないんだ。
小林「殺す、」
『…短気なのは元々?それともオオカミの血の影響?』
小林「──!!」
───!!!
由依は感情を止められずに手を上げるけれど、黒幕の子と対抗して力のやり取りが始まってしまう。
止められないと思っても何もしないわけにいかないと足を進めようとした時、後ろから服を引かれた。
振り返った先では、黒衣装の子が必死に理佐を救い出そうと手を当てている。
気づかなかったけれど、汗をかいて、僅かに息を切らしている。
土生「!」
『…早く…』
何かがおかしい。
死なせないようにしているはずなのに、目の前のその体はどんどん、手の届かない先へ進んでいるように見える。
『早く、長濱ねるを、連れてきてください…っ』
「……え?」
『私の力じゃ間に合いません!枯渇が絡んで身体がどんどん落ちています、本当に死んでしまいます!』
「──!!」
欲が少ないその身を羨んだことがある。
けど、それなら。
ねるを、大事に思う理佐は、一体いつその血を望めるんだろう。
「──由依!!」
どうする、!
ここから呼んだところでねるは間に合うのか。
由依は頭に血が上っているのか声が届かない。
目の前の黒衣装の子を信用していいのかも分からない。
流れる血が足について、酷く粘着質な感覚が襲う。
土生「……っ、」
どうする──!
「土生ちゃん!」「ちゅけもん!」
「!?え!!?」
焦る私の目の前に現れたのは、みいちゃんだった。
危険な場だと思っていたから、黒幕がどんなやつかも分からない、理佐が傷ついているとも聞いていたからみいちゃんには家にいるよう言ったのに、!
土生「なんで!来ちゃダメだって言ったのに!」
小池「そんなん言うとる場合とちゃうやろ!」
土生「だめだよ!危ない!っ、いのりちゃんがまた何か──」
──!!
土生「……へ?」
頬に走った痛みに、思考が遮断されてゆっくりと帰ってくる。
今、ビンタされたの……?
小池「土生ちゃんが今すんのは理佐を助けることやろ!由依を止めること!、しっかりせえ!」
土生「──…、」
真っ直ぐな目が、私を映す。
そうだ。悩んでいる場合でも他に気を取られている場合じゃない。
井上『あの人止めればいいんですよね』
『あんた、何して…』
井上『…ごめん、ちゅけもん。うち、この人ら助けたい』
『……謝ることじゃないよ』
土生「……、」
私がすべきは。理佐を助けること、由依を止めること。
土生「……お願い」
井上「任せてください!」
いのりちゃんは息を吸うとその声がハッキリと届くよう声を大きくした。
井上『………由依さん、止まってくださーい!』
由依「!!」
届いた声は、由依の行動を止める。
完全ではなかったけれど、暴走していたそれは確かに止まった。
小池「!、ちゃうわ!止まったらあかん!」
井上『!、あ、ごめんなさい!』
由依「……!?、…なに、これ!」
『……なにしてるの?』
井上『!』
井上の言葉通り、身体が止まったままの由依は少しだけ思考が帰ってくる。それでも、敵の目の前で動けなくなったのは危険でしかない。
慌てて能力を解いたけれど、そのうちに黒幕の子は私たちの目の前に来ていた。
手をかざされ、井上は意識が途絶えたようにそのまま倒れ込む。
『井上!』
土生「!」
『……あなたも辞める?』
『…っ、』
由依「なんだ、お前ら」
『……。』
私は選択を間違えたのかもしれない。目の前の由依を止めることを優先してしまったけれど、由依が黒幕を引き付けている間に理佐を助けるべきだった。
『……いい、タイミングだね』
「え?」
黒幕が、私たちが壊してきた扉へ顔を向ける。
そこから見えたその存在に、私は情けなく安心してしまった。
平手「……理佐を返してもらうよ」
平手、愛佳。
その後ろにねるがいる。
間に合ったかどうかと言われたら、私たちはきっと遅かった。
愛佳「───………」
平手「落ち着いて、ぴっぴ。まだ間に合う」
愛佳「、、早くどうにかして。また殴りそう…」
平手「……、」
理佐の血の匂いが充満する空間に、愛佳は表情を険しくしていた。絞り出した声は、ともすればすぐ火を吹き出し相手に掴みかかってしまいそうだった。平手はゆっくりと視線を巡らせると、話を聞くことも無く指示を出す。
平手「愛佳。ねるを理佐のところに連れてって。枯渇が進んでる」
愛佳「…そっち任せていいの」
平手「こばもいるし大丈夫。それにあいつの話を聞いたら、殺しちゃうでしょ。それはダメ」
愛佳「……、」
愛佳は、後ろにいたねるの手を引きこっちへ向かう。
そして、
黒幕と、真祖が、初めて対峙した。
平手「……なんで理佐を狙ったの、」
『……もう知ってるんでしょ?私のことも、その理由も。志田愛佳がいるなら、わかる事だもん』
平手「……ステレオタイプは嫌いなんだ。周りの評価で誰かを決めつけたくない。話をしよう」
『……』
平手「……山﨑天。貴女の話を聞きに来たんだよ」